ぶらぶら人生

心の呟き

7月1日の眺め 6 (白い紫陽花)

2007-07-01 | 散歩道
 雨の少ない六月だったが、今年は、どこの紫陽花も、比較的美しく咲いた。しかし、今は、花色の衰えが目立ち始めている。

 散歩途中にあるSさん宅の、庭の奥まったところに、大きな白い紫陽花が咲いていた。白色系の紫陽花はかなり多いが、大抵はほのかに他の色を帯びている。それなのに、この紫陽花は限りなく白に近かった。(写真)
 白という色も、これだけ大きな塊になると、寂しげとは言い難くなる。
 
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7月1日の眺め 5 (栗の実)

2007-07-01 | 散歩道
 久しぶりの散歩だったので、付き合ってきた草花のその後が、みな気になる。
 栗の木も然り。
 木に咲いた雄花、雌花を眺めて以来、散歩の道すがら、旧知の友人を訪問するように、栗の木を訪れた。
 今朝も、国道わきの草むらに入り、栗の木に対面した。
 久しく見ぬ間に、栗の実はかなり大きくなっていた。(写真)
 そっと手で触れてみると、イガイガはまだやさしく、やっとよちよち歩きを始めた幼児のようであった。
 ひと月先には、どんな姿になるのだろう?
 ささやかな楽しみである。
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7月1日の眺め 4 (続 コスモス)

2007-07-01 | 散歩道
 コスモスは、ビーグル犬のいる家のわきにも咲いていた。
 季節を先取りして、臙脂色のコスモスが、一箇所に固まって美しく…。(写真)

 ビーグルは、散歩に出かける支度中で、そわそわしていた。
 この犬には、ずいぶん吠えられた。そのつど、怖い思いをし、悪人視されているようで辛くもあった。
 今朝は、飼い主が傍におられるので、吠えることはしなかった。
 散歩の朝、初めて会ってから、十か月になる。犬の方も、徐々に、私のことを無害な人間と分かってくれつつあるようだ。

 散歩には、いろいろな出来事との遭遇がある。
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7月1日の眺め 3 (コスモスの花)

2007-07-01 | 散歩道
 気が早いのは、萩の花ばかりではない。
 かなり前から、コスモスの花も、ちらりほらり咲いている。

 今朝、なんとも可憐なコスモスの花の群生に出会った。花も葉も繊細である。(写真)
 花を育てた方が、近くにおられたので、
 「コスモスですよね?」
 と、尋ねた。
 その種だと思う、との返事だった。

 前々から、散歩の途中、その女性に会うことはあった。名前も何も知らない人だが、いつでも言葉少なに深く頭を下げて挨拶される。その奥ゆかしさに、いつも感心する。
 人と人との関係がずいぶん希薄になった世の中だが、接する他人に、ほのぼのとした温かみを与える人もいるのだと、この女性に会うたびに心が和む。
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7月1日の眺め 2 (ヤマハギの花)

2007-07-01 | 散歩道
 道沿いの壁面に、薄紫の花が咲いていた。
 萩? と、頭をかしげながら足を止めた。
 どう見ても、萩である。(写真)
 それにしても、少し早過ぎないだろうか?

 帰宅後、本を開いて、「ヤマハギ(山萩)」の特色と、私の見たものとを比べてみた。ほぼ間違いなさそうだ。
 ただ、花は7月末ごろから咲き始め10月まで見られる、と記してある。
 今日は7月1日。花の咲く時期として、少し早すぎるとも思えるが、異変は、このところ珍しくない。
 おそらく、ヤマハギの花なのだろう。
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7月1日の眺め 1 (合歓の花)

2007-07-01 | 散歩道
 幾日ぶりかに、朝の散歩に出かけた。
 体調がいまひとつであったことも確かだが、怠け癖がつくと、楽な方へ流れてしまう。私のように、意志の弱い人間にとって、惰性ほど怖いものはない。
 今朝は、雨もなく、比較的さわやかな朝だったので、まずは新聞を読む、という朝の行事を中止して、散歩に出かけた。

 久しぶりに国道を歩いてみて、変化に驚かされた。広範囲にわたって、夏草が刈り取られていた。私が、観察の草木と勝手に定めていたものが、姿を消していた。
 歩道わきの側溝を覆い、歩道にまで夏草は勢力を伸ばしていたから、道路管理者か誰かによって、刈り取られたのだろう。
 歩きやすくはなったが、目印としていたものがなくなって、アレアレといった思いだった。姿が消えてしまうと、どこに何があったのかも思い出せない。イタドリの生い茂っていた場所くらいが、なんとか思い出せた程度だ。

 散歩のときに眺める合歓の木は、国道をわずか逸れた位置にあるし、樹木だから無事であった。
 合歓の花の咲き始めは、もう半月も前だっただろうか。このところ花の数が増え、樹上が華やいできた。合歓の木は、枝の上部に花を咲かせるので、カメラに収めにくい花である。幸い、道沿いに垂れたひと枝があったので、枝を引き寄せ、間近に眺めることができた。(写真)
 鳥が羽を広げたかのように、扇の型に、淡い花を咲かせる合歓の花は、柔らかく、はかなげな花なのに、不思議と夏の雰囲気に似合う。
 見上げた梢の葉は、まだ眠っていた。時計代わりに持ち歩く、携帯で時刻を確かめると、5時28分であった。
 葉は、どんなふうに目覚めるのだろう? 
 その瞬間を見てみたかったが、散歩の先を急いだ。

  象潟や雨に西施がねぶの花

 芭蕉の有名な句を思い出した。
 合歓の花に、憂愁の哀しげな美女をイメージするのは、芭蕉の句の印象が強いせいだろう。
 夏に、樹木が咲かせる花として、好きな花の筆頭である。
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7月のスタート (家の木槿)

2007-07-01 | 身辺雑記
 新しい月がスタートした。一年の後半に向かってのスタートでもある。
 部屋部屋のカレンダーをめくった。ひと月ごとのカレンダー、ふた月一枚になったカレンダー、ともに奇数月の7月は、新たなページとなる。カレンダーを飾る風景写真や有名画家たちの絵を眺めたあと、しみじみと、カレンダーが薄くなったなあ、と実感した。日めくりほどには目立たないけれど。
 それは、とりもなおさず、今年という歳月の目減りであり、私の余生が残り少なくなったことの証である。…などと、若い日には考えもしなかったことを、心によぎらせた。

 他家の木槿に遅れて、わが家の庭にも、今朝一輪の花が開いた。(写真)
 木槿は、大抵一日で凋萎する花である。そこで、<槿花一日之栄>という言葉がある。
 木槿は一日をすがすがしく咲いて、夕べとなれば、静かに花びらを折りたたむ。私も木槿に倣って、一日を穏やかに生き、そして、今日のひと日をひそやかに終える、そんな日々を重ねてゆきたいものだ。
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