古代ハスを眺めた後、「荒神谷遺跡」を訪れた。
蓮田に沿って、<古代の小径>を歩き、少し山道を登ると、それはあった。
青銅器の出土状況の再現された場所である。(写真)
人間の歴史の原点に当たる古代に、私は今まであまり関心がなかった。特に考古学の範疇には、目を瞑ってきた。あまりに遠く、現実とかけ離れているように思い続けてきたのだ。が、弥生時代の青銅器380点が出土したという現場に立つと、一度に謎めいた世界に引き込まれてゆく感じになった。
銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16は、どんな意図で地下に収められ、発掘に至るまでの長い長い歳月、眠り続けることになったのだろうか?
その謎を解く一説らしいものが、後に訪れた「島根県立古代出雲歴史博物館」にあった。が、謎が解明し尽くされているのではないだろう。
少し、歴史の勉強がしてみたくなったから、不思議である。
知識としてではなく、あくまでも人間を考えるという意味で。
果たして、そんなことを楽しむ時間を、神様は私に与えてくださるだろうか。
実は、一泊二日の旅をしただけで、深い深い疲れを覚え、のらりくらりと時間を浪費している私の心身は、一体どうなっているのかと、今日は少々情けない気持ちになっている。それでも一方で、有史以前の人間のありようを学んでみたいと、真摯に考えているのだから、われながら複雑な心境である。
蓮田に沿って、<古代の小径>を歩き、少し山道を登ると、それはあった。
青銅器の出土状況の再現された場所である。(写真)
人間の歴史の原点に当たる古代に、私は今まであまり関心がなかった。特に考古学の範疇には、目を瞑ってきた。あまりに遠く、現実とかけ離れているように思い続けてきたのだ。が、弥生時代の青銅器380点が出土したという現場に立つと、一度に謎めいた世界に引き込まれてゆく感じになった。
銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16は、どんな意図で地下に収められ、発掘に至るまでの長い長い歳月、眠り続けることになったのだろうか?
その謎を解く一説らしいものが、後に訪れた「島根県立古代出雲歴史博物館」にあった。が、謎が解明し尽くされているのではないだろう。
少し、歴史の勉強がしてみたくなったから、不思議である。
知識としてではなく、あくまでも人間を考えるという意味で。
果たして、そんなことを楽しむ時間を、神様は私に与えてくださるだろうか。
実は、一泊二日の旅をしただけで、深い深い疲れを覚え、のらりくらりと時間を浪費している私の心身は、一体どうなっているのかと、今日は少々情けない気持ちになっている。それでも一方で、有史以前の人間のありようを学んでみたいと、真摯に考えているのだから、われながら複雑な心境である。
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