「インドハマユウ」(写真)には、思い出がある。
平成16年の春から、私はパソコン教室「ソコロ」に通い、個人指導を受けた。マウスの使い方さえ知らなかった、全くの初心者としての出発であった。
当時は、傷心に打ち沈んでいた時期だったので、パソコンの勉強は、新しい日々を生きなおすきっかけともなった。教室に通うため、益田川沿いの道を歩き、季節の移ろいを眺めながら、外気に触れることも、心の闇を救ってくれた。
季節が、今の時期になって、川土手に白い花の群落を見るようになった。夏野の緑の中に、大きな白い百合に似た花が咲き、目を慰めてくれたものだ。が、その花の名前が分からない。何の花だろう? と、ただ眺めるだけであった。
おりしも、デジカメの使い方やインターネットの検索の仕方を教わった。
そこで、花をカメラに収め、だれかれにとなく、写真を見せては、花の名を尋ねた。が、なかなかその名を教えてくれる人に巡り合えなかった。
私は、安来に住む妹に、勉強を兼ねて、花の写真を入れた葉書をパソコンで作り、送ってみた。すると、妹からは、すぐに「浜木綿」だと、返事があった。が、そんなはずはないと思った。私の見た浜木綿とは、花びらがまるで違うのだ。共通点といえば、葉が似ているくらいである。妹も思いのほか頑固に、自説を曲げなかった。安来では誰も、浜木綿と呼んでいる、と。
そこで、私は初めてインターネットでの検索を試みた。
「ハマユウ」で調べると、実に沢山の記事が出てきた。そこに並ぶ花の写真は、私の見てきた浜木綿ばかりであった。私は、わが意を得たりの気分だった。が、根気よく検索してゆくうちに、百合に似た浜木綿が紹介されているのだ。その名は、「印度浜木綿」であると。妹の言い分も間違いではなかったのだ。私は、すぐ電話して、妹に、<印度>を冠する浜木綿なのだと知らせた。
そのとき、初めて、パソコンの威力を身をもって体験し、ありがたい、と思った。
その日は、「ハマユウ」を検索したばかりに、さらに新たな知識も得た。
箏曲家、宮城道雄(1894~1956)の最後の名曲が「浜木綿」であり、それに因んで、6月25日の忌日が、「浜木綿忌」と名づけられていることなど。
私は、宮城道雄といえば、「春の海」を知る程度だった。
パソコンで、次々と新たな知識に出会えるすばらしさ、楽しさを、そのとき感動をもって、実感したのである。
このように、「印度浜木綿」は、私にとって、パソコンを自ら操作して、親しむきっかけを与えてくれた花でもある。
最近、益田川の河畔を歩く機会がなく、そこに咲く印度浜木綿を眺めるチャンスにも恵まれない。が、気づいてみると、私の身辺にもある花だった。散歩の道々、しばしばこの花に出会い、そのつど、花との関わりを思い出しては、懐かしく眺めている。
国道わきに「ウイキョウ(フェンネル)」が咲いている、とTさんがコメントをくださった。あり場所も教えていただいたので、今朝、散歩コースを逆に歩き、その場に行ってみた。
ウイキョウという名は聞き知っていたし、花もイメージしていたものに違(たが)わなかった。ただ、その植物についての知識はなく、単に大きな雑草くらいにしか考えていなかった。
セリ科の多年草として、古くから親しまれ、薬用・香辛料にも使われてきた植物のようだ。活け花の材料としても用いられるとか。
「茴香の花」は、夏の季語。
茴香の花の匂ひや梅雨曇 嶋田青峰 (歳時記より)
今朝も梅雨空。ほのかに茴香の香が漂い、句の雰囲気にぴったりの朝であった。
「茴香の実」は、秋の季語。
茴香の実や朝の日のかぐはしき 松岡隆子 (歳時記より)
私は、茴香の実を見たことがない。
広辞苑によると、<果実は円柱状で、生薬(いくくすり→起死回生の薬。不老長寿の薬。)として香辛料、健胃・駆風薬。>との説明があり、まさしく万能薬ではないかと、恐れ入った。
【茴香水】【茴香油】という熟語も辞書にあり、かなり生活に身近な植物ということらしい。私は、その恩恵を受けたことがないように思うけれど、知らぬうちに、食しているのだろうか。
私の見た茴香は、道野辺にあった。今、黄色い小さな花を集合させて咲いている。(写真)
かなり丈の高い植物だし、花が実となるまで、野辺に放置されているとは思えない。やがて刈り取られる運命にあるだろうと思う。しかし、万一このまま秋を迎えるのであれば、その実にもお目にかかりたい。