ぶらぶら人生

心の呟き

梅雨明けの朝 2 (百日紅の花)

2007-07-24 | 散歩道

 今朝の散歩で、咲き初めの百日紅の花に会った。海辺に近い丘の家の庭先に。(写真)
 これから当分、この花にはめぐり合えるだろう。あちこちの庭先などに、比較的多く植えられている。

 山口の後河原にも、ピンクと白の百日紅があり、この時期、毎年花を咲かせていたのを、ふと思い出した。一度、夏の川沿いの道を歩いてみようか。桜並木は、もう蝉時雨の季節に入っているのかもしれない。

 「サルスベリ」の木肌は、木登り上手の猿でも滑り落ちそうな滑らかさだ。その特徴から名付けられたのだろう。また、「百日紅」と書いて、(さるすべり)とも(ひゃくじつこう)とも読まれるのは、あの咲き継いでゆく花の風情から付けられたものだろう。
 華やぎと優しさを兼ね備えた、いい花だ。

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梅雨明けの朝 1 (名を知らぬ花)

2007-07-24 | 散歩道

 昨夕のニュースで、中国地方の梅雨明けを知った。
 昨日は、街で友人と会って、昼食をともにした。帰途、フロントガラスに見える山の上に、少々気兼ねしたような入道雲が立ち上がっていた。
 「あら、入道雲! 梅雨があけたのかしら?」
 と言いつつ、入道雲のことを暫しの話題とした。
 昨日の天候は、どう見ても、梅雨から抜け出した空の色であった。

 今朝は、またしても三日間の空白のあとの散歩であった。
 梅雨明けの朝は、さわやかであった。
 気分よく歩いていると、四日前にはなかった花が、観察木に選んでいる栗の木の傍の草原に咲いていた。サフランモドキに似ているが花は少し大き目だし、花弁が少しラッパ状にもなっている。花茎はまっすぐに伸びて、背丈も三、四十cmはありそうだ。マンジュシャゲのように、葉らしいものが見えなかった。ずいぶんさわやかな花である。(写真)
 初めて見る花であった。突如、地から湧き出したように咲いた、この花の名前を私は知らない。が、梅雨明けの朝、意を決して散歩に出かけた私を大歓迎してくれているかのようであった。
 <明日も、サボらずに来てネ!>と、語りかけてくれているようにも見えた。


 (花の名前がお分かりの方は教えてくださいませ。
  過日、露草の仲間としか分からなかった花の名を、「ムラサキゴテン」(別名「パープル・ハート」)だと、コメントや電話で教えてくださった方があり、嬉しかった。名前が分かると、親しみの度合いがぐんと増す。
 「ムラサキゴテン」を庭にさして…と、折り取ってくださった方に、今朝の散歩の途次、折よくお会いできた。そこで、花の名前をお知らせした。<今度は覚えておきましょう>と、喜んでおられた。
 同年というのに、その方は朝から農作業中だった。働く人と、ただぶらつくだけの私と、その体力の違いを思い、少々情けなく思った。
 帰宅後、花壇を見たら、「ムラサキゴテン」が、一つ、花をつけていた。ピンクの小さな花を。無事に根付いた証拠だろうか?) 

コメント (3)
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廊下画廊

2007-07-24 | 身辺雑記

 以前、草花舎で求めていた作品(三木俊治)と、今回求めた、松本里美の銅版画「猫かぶり娘(Shammed innocent girl)」の二作品を、昨日、廊下の壁面にかけた。と言えば、私のなせる業のように聞こえるが、実は友人にカラーフック(額縁吊金具)を打ち付けてもらい、作品をかけてもらったのだ。(写真)
 各部屋の壁面には、かつて求めた、あるいは戴いた、その時々の思い出のある絵が、所を得て場を占め、追加の余地がない。
 <そうだ、廊下なら大丈夫>、そう思って、二作品を廊下に掲げたのだ。
 名づけて<廊下画廊>と、しゃれておこう。
 (松本里美の小品「Dinner」は、キッチンに掲げた。)

 経済力のない私の求める絵画には、値の張るものは一つもない。
 ただ、私の心に添うものばかりである。 

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