草刈後の片づけは、夫婦で作業をしてくださる。崖側の草は伸び放題だし、側溝の掃除も行き届いていない。その余分な作業まで、併せてしてくださるので、私は大助かりである。
おまけに、花の鉢を三ついただいた。
その一つが、「五色ドクダミ」。(写真)
葉色の妙を楽しめと、いただいたのである。
(あとの二つは、<冬コスモス>と<ベンケイソウ>とのことだったが、ネットで調べてみたところ、前者は該当のものが見つからず、後者は名前こそ見つかったが、植物の種類が異なっていた。
みな、聞き覚えなので、記憶違いもあるだろう。
何かの折に正式な名前が分かればいいとしよう。今すぐ、ブログに書く必要もないことだから。
花の名前は、とにかく覚えにくい。
過日、「ムラサキゴテン」をいただいたTさんも、花の名前は分からないとのことだったので、後日、お会いしたとき、伝えておいた。
すると、その数日後の散歩の折に、呼び止められた。
「あの花、なんていう名前だったかしら? ムラサキの後が出てこないの。宮殿ではなかったし……」
<御殿>だと教えると、
「すぐメモしておくね」
と、帰っていかれた。
紫御殿と紫宮殿、全く無縁ではない。
とにかく、老いるとは、かくなることなり!
書いたメモ用紙さえ、どこにやったか、忘れないとも限らない……。
午前中に刈った草を夕方片づけてもらうのが例年の習いだが、今年は時期がずれたために草の量が多く、一日崖で自然乾燥をさせ、翌27日の夕方、片づけてくださった。
昨夕から、身辺の眺めが少し軽くなった感じだ。あとは庭木の剪定。こちらも、雨で延期になり、今月末か八月初めという予定になっている。
草刈りが遅れたので、今年は崖のあちこちに撫子の花が咲いた。
26日の朝、刈り取って捨てられるのはもったいないと思い、崖下の方の花は摘み取って、花瓶に挿した。
作業後の崖を見ると、高所のあちこちに撫子が刈り残してあった。(写真)
草刈機での作業なのにと、心遣いが嬉しかった。
前回のブログ、「暑気中り?」に添付した写真、「エノコログサ」の茂る原は、背の高い「待宵草」の咲く原っぱでもあった。これを「大待宵草」というのかもしれないと思った。理由はただ、背丈が高いというだけだが……。
以前のブログにも書いた、太宰治の
<富士には、月見草がよく似合う。>
(御坂峠にある碑文は、原文どおり、<似合ふ>と、歴史的仮名遣いらしい。)
の、句を思い出し、小説を読み返す必要があるな、と思った。
前回のブログでは、花色は何色だったのか、多分、白い花ではなくて、黄色だったのでは、と書いた。
(つい最近、知ったばかりの知識だが、「月見草」は、もともと白い花なのだそうだ。)
早速、『富岳百景』を読み直した。
幾度も読んだはずなのに、細部はきれいに忘れていた。太宰治の富士山に対する愛憎の表現が実に面白い。読書の醍醐味をしばし楽しんだ。単なる身辺雑記ではなく、小品の中に、私の好きな作家、太宰治の様々な面が顔を覗かせ、読みつつ微苦笑を禁じえなかった。
<(バスで峠の茶屋に引き返す途中、乗り合わせた六十歳くらいの、私の母とよく似た老婆が、)
「おや、月見草。」
そう言って、細い指でもって、路傍の一箇所をゆびさした。さっと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残った。
三七七八米の富士の山と、立派に対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていた月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。>
となっていて、はっきりと<黄金色の月見草>と、太宰治自身が書いているのであった。<富士に……>の一句が、一人歩きして有名になってしまっているが、文中においては、一描写に過ぎない。
それにしても、<六十歳くらいの、…老婆>とは、ちょっと失礼な、と思ったが、六十歳は、確かに老婆であり、老爺といわれても仕方ないのかも知れない。当人が勝手に、若いと思っているだけともいえる。
今晩は十三夜のはずである。月見草(待宵草)の原っぱからは、真正面にお月さまが眺められるはず。今晩は、ちょっと散歩に出かけてみよう。
暑さはすべての人に公平なはずなのに、私ひとりが傷めつけられているような気がした。
病院で、健康診断を済ませたあと、M駅前で食事した。それまではよかったのだが、そのあと、買い物のために街を歩いたとき、アスファルトの反射光を浴びながら、<ああ、これがまさに、真夏の炎暑だ!>と思った。
わずかな間に、身体の芯にまで暑さが通り、全身焼かれたような気がした。
熱中症というのが、どんな症状か知らないが、帰途のバスに乗ったあたりから、変調が現れた。生欠伸の連発である。私は、日ごろ欠伸の少ない方である。ところが、湧き出るような欠伸を抑えようがないのだった。
帰宅後、すぐ横になった。
が、休む暇なく、前日、刈り取った草の片づけに、同級生の夫妻が来てくださった。仕方なく起き上がった。作業のあと三人で話しながらコーヒーを飲み、暫くは気分が紛れていたが、そのあと、今度はお腹の調子がおかしくなった。朝食抜きの空腹なところへ、お昼に食べたものが負担となったのだろうか。
これでは、夜の集金常会に行けそうにない、お隣へ依頼しようと電話をしたら、常会は29日とのこと。私の勘違いだった。9と7を読み違えたらしい。老人にありがちな間抜けた話だ。
安心して、とにかく横になることにした。
しかし、深夜まで、身体の芯に入り込んだ暑熱が抜けず、息苦しくて眠れない。苦手な冷房を入れてみる。と、身体の表面の熱はどんどん奪われるのだが、芯の熱は依然として抜けない。
眠れないので、深夜、誘眠剤のお世話になった。
今朝、目覚めたのは、四時であった。
気分はよさそうであった。
新聞を取りに玄関に下りたついでに、外に出てみた。
フクロウの、野太い声を久しぶりに聞いた。
<ノリツケ ホーセ ノリツケ ホーセ>
と、鳴いて、今日の晴れを予報していた。
新聞を読んだあと、六時から散歩に出た。
が、朝食後は体をいたわりながら、昼過ぎまで休養。
ひたすら怠惰を友にして。
写真は、散歩途中の荒地にそよいでいたエノコログサ(ネコジャラシ)。
私は、雑草たちの鄙びた風情にも心を惹かれる。