ぶらぶら人生

心の呟き

山口県立萩美術館「富本憲吉展」へ

2007-07-18 | 旅日記

 雨の降り止まぬ日であった。
 7月13日、友人の車に乗せてもらって、山口から萩に向かった。家まで送ってもらうのなら萩方面に向かうコースを辿り、山陰路を引き返そうということになって……。
 萩へ向かう目的は、「富本憲吉展」を観ることにあった。

 冨本憲吉(1886~1963)の生誕120年を記念した展覧会。作品リストを見ると、299点とある。小さな作品から大きな作品まで、また陶芸から画巻、陶芸図案や表紙絵、日記の類まで、その展示内容の幅は実に広いものだった。
 冨本憲吉の生涯や人柄の細部に至るまで見えてくるような展覧会である。

 第1回重要無形文化財保持者(人間国宝)に選ばれるくらいだから、全く狂いのない人生を歩んだ人であろう。作風にも、それがにじみ出ている。
 冨本憲吉が陶磁器制作上、何より重視したのは形体だったという。
 ひと言で、その特徴を表現すれば、均整美と言えるだろうか。鉢、燭台、壷、蓋付壷、皿、コーヒーセット等々、思いのほか八角の形が多かった。作者の好みの形なのであろう。勿論、それ以外に六角もかなりの数あったけれど。
 冨本憲吉は、模様にも大きな関心があったようで、「形と模様は一体だ」とか「模様から模様を造らず」といった信念から、独自の模様を描いている。
 生活の周辺から得た図案が多かった。特に目立ったのが、「竹林月夜」のほか、「羊歯」、「四弁花」(住居の傍らにあった定家葛の五弁の花を元にして、考案されたもの)、「椿」、「牡丹」等々の植物が、主であった。四字漢字の「白雲悠々」、「春夏秋冬」、「風花雪月」などのほか「平常心」、「花」など、個性的な文字も、模様の一部となっていた。
 冨本憲吉は、一つの世界に安住することなく、楽焼、土焼に始まって白磁や染付、さらには色絵、金銀彩へと独創的な仕事を推し進め、新たな道を模索し続けた人らしい。

 すごい人である。優れた陶芸家でもある。が、非の打ち所のない、まとまりの良さが、あるいは欠点とはいえないだろうか。けちをつけるわけではないが、人となりや作品についても、立派過ぎることによる物足りなさ、というものがあるような気がするのだ。
 私は、どちらかと言えば、まともであるより破格な人間、そうした人間から生み出された、魂のほとばしるような作品に、心を動かされるタイプなのかもしれない。
 冨本憲吉の作品は、みな情熱が沈静し、静謐な美をたたえているような気がした。
 先日、日曜美術館で初めて知り、大いに感動した、沖縄の陶芸家、国吉清尚などの対極にあるのが、冨本憲吉なのだろう。資質的なものを比べることは容易ではないけれど。

 山口県立萩美術館・浦上記念館の設計は、丹下健三だと知って、改めて建築物についても新たな気持で眺め直した。二階の展示室から一階に移動する長い廊下が緩やかな傾斜になり、右の大ガラス越しに指月山が望めるようになっている。そんな立地条件も考慮されているのだろうかと、友人と話し合った。
 喫茶室前の大ガラスも、居心地を良くしてくれる、建築の一部であった……。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月の庭 (西洋ノコギリソウ)

2007-07-18 | 草花舎の四季
 やっと書き終えた手紙を二通持って、郵便局へ出かけた。
 私は、元来仕事は雑だが速く、物事をさっさと片づけてしまう生き方をしてきた。が、このところ、万事スローになってしまった。年のせいだろうか。
 拙速が巧遅に変わったのならいいが、<拙にして遅>というのでは、取り柄がなさ過ぎる。
 そんな自分に嫌気が差しているとき、
 ――明日できる仕事を今日するな。他人ができる仕事を自分がするな――
 という言葉に出会った。ローマのことわざだと、ひろ さちや氏の本にあった。
 いくらなんでも、言葉の字義どおりに生きることはできないだろう。それにしても、少し気分を楽にしてくれる言葉であることには違いない。
 ≪今日できる仕事を明日に延ばすな≫(アメリカの政治家、ベンジャミン・フランクリンの言葉とか)
 というのでは、頑張りを強要されているようで、窮屈だ。
 <明日できる仕事を今日するな>という、怠け者の私にとっては実に好都合な言葉を、内心で呟きながら、書くべき手紙を延ばしに延ばしてきた。
 やはりそれはそれで気が重くなって、やっと午前中に返信をしたためたというわけである。
 局に行った帰り、草花舎にも立ち寄った。

 昼過ぎから、急に空が晴れてきた。梅雨が明けたのだろうか。
 多分、蝉の声だろう。緑の自然に昆虫の声が満ちている。
 Yさんはテラスのキンシンバイを刈り込み中だった。来週には、ドイツへ出発ということもあり、お天気の日には、庭の手入れをしておこうという算段だったのだろう。
 先客もあり、私のあとにもお客があったが、客は私一人という時間帯もあり、今日もYさんの仕事のお邪魔をしてしまった。語らいは、つい人生論になったり、社会批判になったりする。
 引き上げる前、かなり以前(8日)に撮った写真を見せて花の名前を尋ねた。今も、庭の片隅に白い花を咲かせている。(写真)
 葉を見る限り、「ノコギリソウ」だろうと思っていた。ただ、わが家の、狭い花壇を春先から初夏にかけて占拠していた「ノコギリソウ」は、濃い紅紫色の花をつけていた。花色が違うと、判断に迷ってしまうということは、植物の特性をきちんと見ていない証拠である。
 やはり「ノコギリソウ」の仲間で、「西洋ノコギリソウ」とか「ヤロウ」とも呼ばれる植物だと教えてもらった。繁殖力旺盛で、薬効もあるらしい。草花舎の庭面積は広いので、どんなに茂っても、少しも邪魔にならない存在である。
 わが家の狭い花壇にあった「ノコギリソウ」は、あまり傍若無人にはびこるので、一斉に引き抜くという愚行を犯した。薬効があるのなら、せめて引き抜いたとき、葉の生かし方を考えてもよかったのだが、無知ゆえに一切を葬ってしまった。少し残念だが、仕方ない。
 帰途の道、午後の日ざしが暑かった。いよいよ夏本番? 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする