昨夜、浜辺で花火大会のあることを、すっかり忘れていた。
八時前、たまたまつけたテレビが、野球の広島対巨人戦を放映していた。前夜、完敗した広島が、先取点を挙げている。しかも、投手は古参で左腕の高橋健である。
広島は、このところずっと成績が悪く、最下位に低迷している。したがって、テレビで観戦することもめったにない。負ける試合は見たくもないというのでは、ファンの資格があるかどうか。
そのうち、打ち込まれて負けを喫するとしても、暫く見ることにした。高橋の快調な投球を喜んで見ていたら、ドンドンと、花火の打ち上げられる音がした。
その音で、花火大会のあることを思い出したのだった。
初めから会場に出かける気はなかったが、昨年同様、花火の夜には戸外に出て、西方の山の端を掠めるように彩る、小さな花火を眺めようとは思っていたのだった。
案外、人々の花火への関心は薄いのだろうか。私のように、音に誘われて、戸外に出てくる人はなかった。(近所はみな、私同様、高齢者が多い。)
私ひとり、お月さまと一緒に花火を見た。折から十三夜の月が夜空にあった。
昨年は、宍道湖の花火を眺めた。(かつてのブログに投稿。)
そんな華やぎはないが、それでも幾発か、夜空に小さな花が咲いた。海辺との間にはさえぎる小山があって、花火の全景は捉えにくかったが、小規模なりに一瞬の華やぎを心に届けてくれた。花火は見る人に、ものを思わせる夏のお祭りでもある。
初めて花火らしい花火を見たのは、山口の椹野川河畔だった。遠い昔の思い出である。それから幾たび、花火を見たことか。旅の思い出に重なるものもあり、それらすべて、まるで秘め事のように、ひとりで懐かしむより仕方がない。
海辺で打ち上げられた遠花火は、耳に届く轟音の割合には貧弱だったが、こぢんまりと夜空を飾った。(写真)
この夏の思い出として、心に留めておこう。
昨夜、花火の上がる音を聞いて、外に出てみた。待宵草の咲く丘から、十三夜の月を眺めてみようと思っていたのだが、あえかな遠花火を見るために、途中で足を止めてしまった。
花火は、程よい間をおきながら、打ち上げられる。
その合間には、お月さまに対峙する。
東よりの空に、月はあった。(写真)
少し赤みを帯びた月であった。
月との対話は、一方通行で淋しいが、今は未来への夢などなく、専ら過去と向き合っての会話となる。
過去との語らいの豊かなことは、それだけ長い歳月を生きたことの証であろう。と同時に、語るに値する想い出の豊かさは、来し方の幸せを物語るものでもあるように思う。
月を眺めているうちに、ふと、明日は母の忌日であることも思い出した。お供えを送ってきたのは妹一人だけだが、今日の祥月命日には、兄妹それぞれ亡き母を偲んでいることだろう。母との永訣から十五年が経った。
今日は参議院議員の選挙日でもあった。
早いうちに投票を済ませた。
開票結果が、夢の持てるものでありますように!
散歩の道野辺に、頼りなげに咲く「ホウセンカ(鳳仙花)」が、一本あった。(写真)
昔からなじみのある夏の花である。
きっとこれから威勢よく葉を茂らせ、花の数を増やすのだろう、と思いながら、この夏の初対面なので、カメラに収めた。どこにでも咲いていそうで、そうしばしばお目にかかれないのが、花との出会いであることを思いながら。
特に、「ホウセンカ」は、昔ほど栽培されていないのではなかろうか。
出会いとは、そもそも実に不確実で、当てにならないもののような気がする。花との出会いに限らず……。したがって、一度の出会いを疎かにしたくない、と思っている。
実のはじけ飛ぶまでには日数がかかるのかもしれない。尾崎放哉の句に、
鳳仙花の実をはねさせて見ても淋しい
という自由律俳句がある。
この句の心情は理解に難くない。放哉の孤独と同質ではないとしても、人間は皆、多かれ少なかれ根源的な淋しさを胸に秘めて生きているのではあるまいか。それが共感に繋がるのだと思う。
なんとも清らかな花。「タマスダレ(玉簾)」という和名から想像して、昔から日本に咲き続けてきた花かと思っていた。また野にすがすがしく咲く様は日本的でもあり、多くの日本人の好みに合いそうな気もして……。
が、全くの思い違いであった。
南米原産の帰化植物で、有毒植物なのだそうだ。
<美しきものには毒あり!>ということか?
それはともかくとして、濃い緑の、ほっそりとした直線的な葉に、白い花がよく調和し、さわやかで美しい。(写真)
フリー百科事典「ウィキペディア」によれば、ヒガンバナ科、ゼフィランサス属。(「ゼフィランサス」は、あくまで属名であって、植物名ではない、と断り書きがしてあった。)
家の裏庭にも、いずれ開花するはずと、楽しみにしている。
鮮やかな青い花が、今朝初めて目に留まった。露草の咲く季節になったのだ。
<つゆくさ>という名前から、なんとなくはかなげな印象を受けるのだが、案外生命力の旺盛な植物なのかもしれない。刈られても踏まれても、野辺の花として生き続けている。
露の降りた朝の風情がいい。だから露草というのだろうか?
歳時記に寄れば、その他の呼称がいろいろある。
「鴨跖草(おうせきそう)」「月草」「蛍草」「青花」「うつし花」「帽子花」「かまつか」など。
命名の由来を想像できるものもあるが、はてな?と頭を傾げるたくなる名前もある。
バラ科の植物に、「カマツカ」というのがある。露草との関連はよく分からない。
くきくきと折れ曲りけり蛍草 松本たかし (歳時記より)
青花摘む朝の光を摘むごとく 大串 章 (同上)