日々 是 変化ナリ ~ DAYS OF STRUGGLE ~
このプラットフォーム上で思いついた企画を実行、仮説・検証を行う場。基本ロジック=整理・ソートすることで面白さが増大・拡大
 






2005年、保守系のBlogメディア「ドラッジ・レポート」に対抗する形で誕生し、みるみる急成長中の 米ハフィントン・ポスト。
日本語バージョンも登場、安倍首相も参加となり話題に。
そして、こうして本にもなったのでさっそく。


ざっと言うと、大きく2つ、ぐいぐいと読ませるパートがあり、かなり堪能した。

まずは、アリアナ・ハフィントン(写真)の立身出世を描く第2章。
ギリシア、アテネで生まれ育った彼女が「勉強してケンブリッジ大学に行きたい」と決断したのは高校生の時。
母のサポートでその夢を実現し、ディベート能力を鍛え評価され卒業後にBBCラジオのパネリストとして活躍。
作家デビューの後、アメリカNYに渡り、伝記の執筆を通し、NY社交界のネットワークを得る。
結婚を機に、ハフィントン名となり、夫の影響で政界進出。
2003年にはシュワルツェネッガーの対抗馬として、カリフォルニア州知事選に出馬。
選挙には失敗するが、2年後にハフィントン・ポストを設立した。
読んでいて彼女は、ニューヨーカー的な強力な資質を実現した人物のように自分には映った。
ハフィントン・ポストは、そんな彼女という強力なネットワーカーがいて初めて誕生したのだとよく理解できた次第。


次に読ませたパートは、ハフィントン・ポストが、大きく躍進した理由のパート(第3章)
ハフポストが成長した一つの理由として「SEOの王者」と呼ばれたほどのパワーがあった。
それを創り出した、コアメンバー出会いのくだり。

2003年3月(まだアリアナがカリフォルニア州知事選中の時期)
後のハフィントン・ポスト共同創業者、ケネス・レスラーが、社会学者ワッツの発表「シックスディグリー理論」に感化される。
AOLを退職し悠々自適だったレスラーは、直ちにランチミーティングを行った。
ここでワッツからジョナ・ベレッティを紹介され、この出会いを機にベレッティも共同創業者の一人となる。
ベレッティは大学院生だった2001年、ナイキと反骨心を持って闘い渡り合い、既に有名な存在だった。
彼はこの事件で、「シックスディグリー理論」を実践し、その後以下の考え方に至る。
BWN(bored at work network)、つまり仕事中に退屈してる人ネットワーク(笑)が存在する、と。  
ベレッティ曰く、このBWNはABC、NBC、CBS、CNN、FOX、BBCなどの既存ネットワークより巨大という。
ただし「弱いつながり」なので、影響力はその発信する情報内容によるのだ。
(こういう手の内容が紹介されている本はかなり読んでいるつもりだったが、ナイキ事件やBWNについて、初めて知った)

2004年(創刊の1年前)、ベレッティはレラーから連絡を受け、アリアナ・ハフィントンに会う。
そこでベレッティは感じる。彼女なら「弱いつながり」を「強いつながり」にできる、と。
意気投合し、それぞれが得意分野を担当して動き始める。
ベレッティがブログサイト運営、資金調達はレラー、そしてアリアナ・ハフィントンが著名ブロガー集め。

そして先述の彼女の強力なネットワーク力で、アーサー・シュレンジャー、デビッド・ウッド(のちにピュリッツアー賞が獲得)を抑える。
だけでなく、現米大統領のバラク・オバマ、前米国務長官であるヒラリー・クリントン、マイクロソフト会長のビル・ゲイツなどを集める。
このように話題をさらい、一気にメジャー化した。


ここでエッセンスを紹介した2、3章後の第4、5章は、レラーの講演などを引用しマスコミの未来論を。
5章最後につく見出しは「ハフポストは日本に新風吹き込めるか」
先にもふれているように、米ハフィントン・ポストの衝撃とは=強力なアリアナ・ハフィントンありきの成長とみた。
ので、さて日本ではというと...
ブロガーの懐がまだ浅い日本の状況で存在感を打ち出せるかは、なんとも未知数...


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