著者のコミーといえば、オバマ再選の際にFBI長官だったが トランプ大統領の誕生後、突然の解任。
当然、興味はそのトランプの話題に向く。
だがそんなセンセーショナルな形式を取っておらず、この件は14章のうちの最後の3章のみ。
基本は彼の生い立ち(幼少のころ、彼を正義に目覚めさせる驚きの事件が)も含めた、彼が法に捧げた40年間を総括した内容。
この内容がいちいち凄まじく、既に報道済で既視感のトランプの1件よりも、俄然面白い。
それらは例えば、
ブッシュ時代=司法長官
・マーサ・スチュワート事件
・合法とされてきた NSAの監視プログラムの合法性を問う
・CIA の尋問プログラムの合法性を問う
オバマ時代=FBI長官
・社会現象化した警官による黒人射殺問題後への地域社会と警察の乖離による問題への対応
・ヒラリーの私用メール事件(第1次)
・ヒラリーの私用メール事件(第2次=いったん終了した捜査の再開)
という具合で、コミーがアメリカの健全性に腐心した闘いが綴られていて、ページをめくるたびに、そのスリルに魅了された。
一方で、とても印象に残った文章を三つ列挙しておきたい。
自分の闘い(仕事関係ではない)、を勇気づけるものなので!
あらゆる組織、とくに上下関係を核とする組織には、反対意見が切り捨てられ、正直な意見が出にくい環境をつくりだすという危険が潜んでいる。
こうした環境は、ほどなく妄言とごまかしがはこびる文化を生み出す。
p 96
嘘つきは嘘をつくのに熟練するあまり、真実とそうでないことの区別がつかなくなってしまう。
そんな例を、私は長年にわたってたくさん目にしてきた。
嘘つきは自分の周辺を嘘つきで固めようとする。
その道徳基準に迎合するのをよしとしない人は輪の外に追いやられ、交友関係はどんどん狭まっていく。
代わりに、欺瞞に耐えることのできる者たちが権力の中心に引き寄せられていく。
特権は、嘘をいとわず欺瞞を容認できる者の手に渡る。
やがて、それはひとつの文化となり、生き方そのものになる。
p 94-5
政治も、自分にとっての都合も、友情も、私にとってはどうでもいいことです。
私に取っては、正しいことをするのがすべてなのです。
何かが根本的に間違っていると確信したなら、それに加担するようなまねはけっしてしないでしょう。
もちろん、誰しも意見の相違があるときは、政治的な判断を下して当然です。
それでも、私は正しい判断をするでしょう。
p 157 上院での指名承認公聴会での発言