ねこ庭の独り言

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鄧小平のいない中国

2015-09-30 08:11:40 | 徒然の記

  小島朋之氏著「鄧小平のいない中国」(平成7年刊 日本経済新聞社)を、読了。

 氏は、昭和18年大分県に生まれ、現在慶應大学の教授である。平泉渉氏の動画を見た時と、同じくらいの衝撃を受けた。日本の生存を脅かす大国が、隣にいるというのに、日本は、中国を知らなさすぎる。危機意識が無いと、平泉氏が鳴らした警鐘を改めて思い出した。

 毛沢東は「民族の解放」で中国のカリスマとなり、鄧小平は「経済の解放」でカリスマとなった。次にカリスマとなる者がやることは、「政治の解放」だと、小島氏が中国人の言葉を引用しているが、江沢民も胡錦濤も、そして習近平にも、とうとうそれがやれなかった。

 「政治の解放」こそが中国のアキレス腱であり、国を混乱させている根本原因だ。それはちょうど、矛盾に満ちた日本の憲法が、国内の混乱の火種となっている現状に良く似ている。

 中国では、建前としている社会主義が、日本では建前の平和憲法が、現実と乖離してしまい、どんな工夫をこらしても矛盾が生じ、互いの国民を右往左往させている。本当は、同病あい憐れむという状況にある、隣国同士なのだ。

 横暴な中国だと嫌悪したり、憎しみで反撃したりと、どうやら、もうそんなことで済まされない時が来ていると、本気で思わされる本だった。

 何十年前だったか忘れたが、鄧小平が訪日したおり、の熱狂的な歓迎ぶりと、マスコミの熱い報道を、私は昨日のことのように思い出す。そこから始まった日中の蜜月時代を、1995年に出版された氏の本から引用してみたい。

 「経済関係も順調で、今後も、対中経済協力は拡大しそうである。」「1993年以後、日本は、香港を追い抜いて、中国にとって最大の貿易相手国になっている。」「直接投資も、94年末の累積で、契約ベースでは、香港、台湾、アメリカについで第4位であるが、実施ベースでは第2位である。」

 「政府の経済協力についても、これまで三回にわたり、円借款130億ドルを、中国に供与してきた。」「内訳は第一次(1979~1983)が、3309億円。第ニ次(1984~1989)が、4700億円。第三次(1990~1995)が、8100億円である。」「さらに三次にわたる、輸銀の資源開発ローン、輸出基地開発計画などが、別途供与された。」「日本の対中政府資金供与は、いまや世界一であり、中国が得た公的な対外借款の、40%近くを占める。」

 こうした具体的な数字を、初めて知った。驚いている私に構わず、氏はさらに続ける。

 「日本はこうしたかたちで、中国の経済の発展と、開放化に大きく貢献してきた。」「日本は今後もなお、こうした役割を果たすつもりである。」「1996年から始まる、第四次円借款の供与は、その決意の表れである。」「中国側からはこの5年間に、上海・北京間の新幹線建設、上海国際空港の建設など、」「社会資本整備を中心に、1兆5000億円を、非公式に要請していたらしい。」

 中国は、こうした日本からの援助について、国民には何も知らせていない。中国の国民に報道されていれば、現在行われているような、ひどい日本批判を彼らは出来たのだろうか。

 だが、一方日本国民にも、このような事実が知らされていない。いくら戦争で荒らした国だったとはいえ、日本政府は、どうして堂々と国内外に事実を発信しなかったのか。政府には、それができない事情があったのだろうか。

 借款をめぐる交渉で、日本が問題にすべきは、借款供与と軍事力の関係であった、と氏が述べる。中国は、当時6年続きで、軍事費を増加させており、軍事力の増強を図っていた。しかるに1990年に訪中した海部首相は、「ODAの原則を理解してほしい。」と述べただけで、軍事費の抑制には言及しなかった。東南アジア諸国の懸念も踏まえ、軍拡への注意を喚起すべきだったのに、懸念を言及するに留まったらしい。

 「1994年には、日本政府の抗議にもかかわらず、中国は2度にわたって、核実験を強行した。」「ところが、第四次円借款の交渉は、第三次に比較して、年間43%の増額になった。」「こうして中国は、ついにインドネシアを抜いて、日本の最大の援助対象国になった。」「1995年1月に訪中した武村蔵相は、さらに20億ドルの、輸銀ローンの実施も約束したのである。」

 氏の説明によると、中国との蜜月関係をダメにしたのは、李登輝総統の訪日問題であったとのことだ。広島で主催されるアジア競技大会に、政府が来賓として李登輝氏を招待したことに、中国が激しい反発をした。二つの中国を認める結果になるので、江沢民が辛辣に批判した。

 「台湾の、政治的な独立は認めない。」「中国と国交のある国々が、台湾のハイレベルの指導者を受け入れることは、歓迎しない。」

 そして江沢民は、「日本はかって、中国に大きな災難をもたらした。」と述べ、日本の負い目を確認した上で、「歴史に対する反省を踏まえて、中国との友好関係を、発展させなければならない。」と結んだ。

 そういうことだったのかと、理解した。お人好しの日本の政治家たちが、「歴史認識」と言われるだけで、萎縮してしまうから、中国を慢心させたのだ。20年も前から、水戸黄門がかざす印籠のように、「歴史認識」のフレーズに震え上がっていた政治家たちだった。

 金だけむしり取られ、礼も言われず、何の友好も育てられず、政治家は、いったい何をしていたのかと、聞いてみたくなる。自民党だけでなく、細川内閣も、村山内閣も、首を揃えて、平身低頭だったのだから、今日の中国の横暴があると分かった。

 鄧小平のいなくなった中国を、何のカリスマ性もない江沢民が、果たして統治できるのかと危惧されていたが、なんと日本がバックアップしていたのだ。日本から大金を引き出す力と、日本を震え上がらせる力を国民に見せつけ、江沢民は政治的基盤を強固なものにした。

 氏の本には、具体的に書かれていないが、現在の中国と日本の状況を見ていれば、それくらいの推測は、私にもつく。

 経済発展するまでは、日本を重要視していた江沢民だが、今となっては、従属国くらいにしか見ていない。東西冷戦の時には大切にしたが、それ以後は、かって日本を統治した支配者に、本家返りしている厄介なアメリカと、どうやら似た姿をしてきた中国でないか。

 香港の中国返還に際し、江沢民の中国とバッテン総統の交渉が、どんなものであったかも、この本で初めて知った。イギリス側の主導で、交渉がされたとばかり思っていたが、事実は逆だった。イギリスの意向も提案も無視し、中国は強引に自己主張をし、自国の利益を前面に出し、何も妥協しなかった。

 かっての大英帝国ですら、鼻先であしらうように対応した中国は、こうして過去の歴史の報復と、清算をしたのだ。日本の政治家が手玉に取られても、不思議はない。


 だからここでも、私は平泉氏の言葉を、何度でも、反芻する。

 「アメリカも中国も、国益のためならなんでもやる国です。」「いい時はいいでしようが、いったん対立すると怖い国ですし、危険な国です。」「大国の意思一つで、小国がどうにでもなる。これが国際社会ですね。」

 「だからヨーロッパでも、アジアでも、大国に挟まれた小さな国は、必死なんです。」
「国の生存がかかっているという、危機意識が、戦後の日本人には、無くなってしまいましたね。」「アメリカと中国という、巨大な覇権国の間に挟まって、日本はどうすればいいのか、こんな危機意識が、政治家にも国民にも欠けています。」

 日本が、こんな状況にあるというのに、国の守りさえ考えない、お花畑の人々がいる。中国とアメリカの姿を知ろうともせず、憲法さえ守れば、外国は何もしないと、能天気な戯言を言う人間がいる。こんな人間と一緒になり、騒ぐ「腐れマスコミ」がいる。反日・売国の、野党の政治家がいる。自民党にも、獅子身中の虫がいる。

 こうした日本で、平泉氏の言葉を伝えていくには、どうすれば良いのだろう。ミミズの思案には、余ることか。

コメント (2)
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