靖国神社は、なぜ国会議員の要請を受け入れなかったのか。その理由は、小島氏が言う「靖国神社の特異性」にあると考えられます。
ただし、氏が述べるような、「忠臣・逆臣二元論」でなく、日本における特殊な位置づけにあると言う気がします。
ネットの情報で、次のような説明を見つけました。
・「靖国神社」は単立神社として、「神社本庁」との包括関係に属していない。
・これは、「靖国神社」は「日本国護持」の神社であり、いつかは国に返すべきなので、特定の宗教法人の包括下に入るべきではない』という、「靖国神社」・「神社本庁」双方の判断によるものである。
・このような経緯のため、「靖国神社」と「神社本庁」とは、包括・被包括の関係にないながらも、密接な協調関係を保っている。
いつか国に戻される時のことを考え、「靖国神社」が「神社本庁」の管轄外にあるのだとすれば、合祀の基本を変更するような大問題は、国に戻った後で検討すべきとして、即答を避けているとは考えられないでしょうか。
憲法が改正され、国を守る軍が再建されれば、昔のように陸海(空)軍が「祭神を内定」し、「内閣の助言」のもとに、「天皇が承認」されると言う手続きが戻ります。
戦前は祭祀の手続き窓口が陸・海軍でしたが、現在では、厚生労働省の社会・援護局が窓口となっています。祭祀の基本を決定するような組織でなく、次のような様々な実務の担当窓口です。
・「靖国神社」には、二種類のご祭神が祀られています。
一つは、戦争で亡くなられた方々、
もう一つは、戊辰(ぼしん)戦争以前の、維新の変革の中で犠牲になられた方々です。
・後者は数こそ少ないですが、志半ばで倒れていった同志をしのび、その志を継承して生き残った者たちが営んだ「招魂祭」に由来し、それが、「靖国神社」の原点でした。
・その「招魂祭」が、明治天皇のおぼしめしで「東京招魂社」に、やがて「靖国神社」へと発展する過程で、「伝統的な温情と和解の心」が働いたと、小堀桂一郎氏は指摘しています。
私が注目しましたのは、「伝統的な温情と和解の心」が働いたという、小堀教授の言葉でした。新田、小堀両氏とも、具体的な事実に触れていませんが、政治家の申し出を説明する時、わざわざこの言葉を使っている意味を考えさせられます。
要するに「伝統的な温情と和解の心」とは、聖徳太子以来の日本人の心である、「和をもって尊しとなす」の意味ではないのでしょうか。
「元宮」が京都から東京へ移され、「東京招魂社」から「靖国神社」へと発展する過程で、すでに二元論は解消していると、両氏が述べている気がします。明治天皇の思し召しというだけでなく、時の政府の要人も国民も、和解を納得していたのではないでしょうか。
現在の私たちの合理的思考では、曖昧でしかありませんが、こうした「玉虫色」の意見が、難題を解決するご先祖の知恵でもありました。
とは言いながら、私自身が自分の推察を全て納得しているわけではありません。新田、小堀両氏の意見を受け入れるとすれば、「靖国神社」としてやるべき行為が残っています。
長くなりますので、一旦ここで一息入れ、次回へ進みます。