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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

佐藤誠三郎氏著『笹川良一研究』- 2

2015-12-29 19:32:21 | 徒然の記

 衆議院議員だった笹川良一氏は、A級戦犯として逮捕されることを自ら望み、大阪の各地で占領軍を挑発する演説を度々行った。

 彼は、GHQ情報大尉ジェイムス・ゲインによる報告文書に、次のように記録された。

  ・笹川は、以下の理由により、逮捕されるべきである。

  ・第一には、侵略とナショナリズムの賛美、および米国への敵意を扇動する運動を率いたこと。

  ・第二には、日本での民主主義の発展を、阻害するおそれの強い組織で、今なお盛んに活動していること。

 これについて佐藤氏が、次のように解説している。

  ・笹川の常識を無視した行動に対して、無罪を見越したスタンドプレーだという批判が、後年なされている。

  ・しかし当時、A級戦犯容疑者として逮捕され、起訴されることは、死刑に処せられる可能性が高いものと理解されていた。

 緊迫した当時の状況を考えず、後になって批判する者の愚を、氏は岸信介氏の「回想録」を引用することによって語る。

  ・裁判の結果を色々と想像し、死の問題を刑として考えるとき、すでに覚悟しているとは言いながら現実問題として、又違った様相を呈せざるを得ないものがある。

  ・裁判は、先方の恣意で行われる。

  ・あくまで生き延びんとする願望は、非常な不安を齎らさざるを得ない。死の問題が、違った形で心を捉えるに至った訳である。

 児玉誉士夫氏の「回想録」でも、当時の状況の一端が示されている。

  ・最悪の場合は、極刑かあるいは無期か軽くても30年か、その見通しが、まるで立っていなかったことにもよるのだろうが・・

  ・思えば拘置所の三年間は、ひどく苦しく、そして、たいそう長いものに感じられた。しかもまた、裁判はいつ始まるのか、それさえ皆、皆目見当がついていなかったからだ。

 笹川氏は入獄する直前に、父親の墓の隣に自分の墓を作っている。生きて出所できないことを想定し、鎭江夫人と二人での写真も撮っていた。こうした事実から、売名行為とか、ドンキ・ホーテだとか、そうした後付けの批判を私は考慮しない。

 ここにみるには、笹川良一氏の覚悟だった。

 逮捕されることを願い、昭和20年の10月から11月にかけて、氏が大阪で行った演説を紹介する。

  ・日本が侵略者として決めつけられると、全国民は、不義の片棒を担がせられたことになり、祖国のために生命を捧げた勇者たちが犬死したことになる。

  ・これはなんとしても防がなくては、英霊には無論のこと、祖先や子孫に対して申し訳が立たない。

  ・しかし、続々と逮捕されていく大臣、大将は、みな立派な人たちながら裁判の経験がない。

  ・このまま打ち捨てておくと、侵略者にされてしまう。私には獄中生活 3年と、4年に4度の裁判で無罪を勝ち取った経験がある。

  ・そこで私が戦犯となって入獄し、被告の指導にあたり、意思統一をはかる必要があるのだ。

 昭和22年にGHQ情報担当部局が、氏に関し次のような記録を残している。 

  ・笹川は、日本の政治の将来にとって、潜在的に危険な存在である。

  ・彼の戦前の言動と、将来の危険性にかんがみ、G-2としては起訴することも考慮して、徹底的に調査されるべきである。

 ニューヨーク・タイムズのバートン記者は、署名入りで記事を掲載した。

  ・ダグラス・マッカーサー元帥が発表した、最新の戦犯リストに名前の載った者のうち、告発されたことを名誉と心得る者が、少なくとも一人いる。

  ・それが笹川良一である。

  ・この超国家主義者は、連合国軍により戦犯に指名されたことは、自分が戦争遂行に、全身全霊をあげて取り組んだことを最も雄弁に証明していると、言い放った。

  ・彼はまた、戦犯リストに名の載った日本人は、ことごとく、第1級の日本人であるとつけ加えている。 
 
 ここまでアメリカから目をつけられると、大抵の日本人は、氏に近づかなくなる。
GHQは日本軍を残虐な侵略者として糾弾し、軍人を公職から追放し、すべてが犯罪人であるとして報道させた。

 当時の知識層の多くは、やがて日本が共産主義の社会になると錯覚した。昨日まで皇軍の勝利を叫んでいたのに、一夜にして軍国主義の否定者となり、平和愛好の民主主義者へと変じた。

 朝日新聞を筆頭にマスコミがすべて、GHQの統制下に入り、変節した記事を恥じらいもなく全国報道した。

 笹川氏のまともな意見が「超国家主義的」となり、卑怯なマスコミは故意に無視した。理解を示したり報道したりするとGHQに睨まれるため、氏が何をしても、何を言おうと一瞥もくれず、記事にしなかった。

 保守論客と言われた学者も政治家も、占領軍の意向を斟酌した。自分の保身を優先し、笹川氏とのつながりを切り捨ててしまった。

 怖いもの無しの笹川氏は、獄中から、トルーマン大統領やマッカーサーへ、何度も手紙を出している。宛先に届いたのかどうか彼自身も知らないが、死を覚悟した人間にしかできない行為だった。

 手紙の内容の一部を、紹介する。

  ・戦争法規違反者を、厳重に処断することは、当然であります。

  ・米軍は日本軍人が捕虜の横ビンタを、一つ二つ打った軽罪の者を始め、何ら事件に関係なき者までも、多数長期にわたって、逮捕拘禁しておられますが、

  ・これに反し米軍は神社仏閣病院など、民間の無差別爆撃をなし、全国至る処にて、非戦闘員の婦女子まで銃撃、多数殺傷いたし、

  ・広島のごときは、一瞬にして死者7万8千人を出し、呉軍港を除外すれば、軍事施設少なき広島を、攻撃目標に選びたるは、まさに戦争法規違反の、最大なるものであります。

  ・然るに、その責任者の処断されたるを、今持って耳に致しません。

  ・法律の規則なるものの適用は、貧富勝敗によって、二途あってはなりません。

 戦後70年たった今でさえ、保守自民党の議員でもハッキリと米国に主張できる者はいない。敗戦直後の日本で、ここまで正論を述べた人間がいたのかと私は感激した。

 佐藤氏の賞賛文には心を動かされなかったが、参考資料として紹介された日記の断片に、武士道にも通じる日本人の心を見た。

  ・日本はソ連とは、戦争いたしておりません。従って負けてもおりません。

  ・しかるにソ連は、日ソ中立条約を蹂躙し、満州、朝鮮に兵を進め侵略略奪を思う存分敢行いたし、機械その他、膨大なる物資を搬出いたしました。

  ・この行為を是認致しますれば、極東軍事裁判は無意義であり、する必要がありません。

  ・小生、たとえ復讐心深きソ連へ連行され、この身八つ裂きに処せられますとも、最後の一人になりましても、ソ連の略奪搬出した物件はもちろん、千島、樺太の返還を、絶叫致すのであります。

 こうした『巣鴨日記』からの引用が、著書のあちこちにある。順不同だが、紹介してみたい。

  ・本間中将の裁判のごときは、米国憲法の高尚なる精神にて行われないならば、われわれの目には、正義の主張を放棄するか、或いはまた復讐心にみちた、血の粛清といった、低い水準へ堕落するに等しい。

  ・中将への死刑の判決は、明らかに後者の道を選んだものである。

  ・予はこれに、加担することはできない。沈黙の黙認を以ってさえも、なし得ない。山下大将、本間中将への処刑は、一連の法制的リンチへの道を開くものである。

 これに関する佐藤氏の説明が、情けない文章である。さんざん持ち上げた氏を、足蹴にしているのと同じだ。

  ・巣鴨プリズンからこのような手紙を出すことは、はなはだ勇気のいることであるが、それが有効であるとは考えられず、

  ・第三者的な立場からは、危険で無謀な、ドンキ・ホーテ的行為に見えたとしても当然であろう。

 残念ながら私の気持は、佐藤氏の意向とは逆になった。

 笹川氏の行為は、氏が語るような通り一遍の無謀な行為でなく、日本人としての覚悟に見えた。父親の墓の隣に自分の墓を建て、妻との最後の写真を撮った氏のことを書きながら、佐藤氏の目は何を見ていたのか疑問が湧く。

 これだけでも氏は、笹川氏の研究をする資格のない人物だ。この本の本当の価値は、著者である氏の文章をすべて削除した後の、笹川氏の『巣鴨日記』と、別保管されている手紙や書類の方にある。

 天皇陛下をお守りしたい一念で、巣鴨入りを希望し、東条首相と話をする機会を切望していた笹川氏は、願いを実現した。裁判で陳述を終えた東条首相が、笹川氏に語った最後の言葉を紹介する。

 「笹川くん、幸い陛下にご迷惑を及ぼさないで済んだ。」

 「証言台では、僕は思う存分やった。」

 「ただ遺憾なのは、歴史を遡り、歴史を掘り下げて語ることを、許されなかった一事だ。」

 「あなたが、最後まで僕を激励してくれたことが、僕にはどんなに大きな教訓となったことか。」

 「全くあなたの毅然たる態度は、敬服のほかありません。」

 だから私は笹川氏の金の出所を詮索する気が無くなり、そんなことは些事と思えてきた。笹川氏も東条氏も、今の私から見れば「立派な日本人」の一人である。

 ここで終わりたいと思ったが、万感の思いを込め、今上陛下と皇后陛下へ送る言葉を、もう一言つけ加えずにおれない。

  「このようにして命を捧げた人たちを、それでも戦犯と蔑まれますか。」

  「何のため、先人たちは生命をかけたのでしょう。国のため、愛する家族のため、そして敬愛する陛下のためでした。」

  「世界中の人間が、大切なもののために、今でも命を捧げております。」

  「陛下のおられない国では、国歌と国旗に命を捧げております。」

 紹介し切れない資料がまだあるが、そうすると、今年で終われなくなる。最初に言った通り、こんな難しい本を初めて読んだ

コメント (8)
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