小沢一郎氏著『日本改造計画』 ( 平成5年 講談社刊 ) を、読み終えた。
氏は、昭和17年岩手県に生まれ、42年に慶応大学を卒業し、昭和44年に史上最年少で衆議院議員に当選した。「日本を普通の国する。」という氏の意見に惹かされ、民主党に合流した当時の氏を応援した。一度手に取り、確かめてみたい彼の著書だったので、廃棄図書の中からこの本を探し当てた時は嬉しかった。
それなのに氏は、反日左翼系の政治家に傾く姿勢を見せ始め、次第に幻滅を覚えさせるようになった。
民主党が政権に就いた頃の氏は、総理大臣より力を持ち、百人を超す議員を連れ、中国を訪問した。陛下と習近平氏との会談をセットするため、陛下のスケジュールを変更させるという、横車も押した。
慰安婦問題で日本を貶めている韓国を訪ねて、お世辞と追従を言い、日本人には自主性がないと喋っていた。そんな氏が、どんな対米観を持っているかと著作を読むと、アメリカへの服従だった。
・日本は、国防の基本方針の第一項に、国連中心主義をうたってはいるものの、実質的には日米安保体制のもとで、独立と平和を保ってきた。
・自由、基本的人権の尊重といった価値観も、日米は共有している。
・この点から考えても国際平和維持のための貢献は、アメリカと緊密に協調して行うべきである。
・国際紛争の解決に日本が軍事的貢献をしないのは、日米安全保障条約へのただ乗りであり、許されないことだ。
氏の意見の根底には「米国との強固な協力関係の持続」という不動の考えがあり、ここからすべての主張が展開されている。氏の言う「日本を普通の国する。」という意見の中身は、どんなものなのか。
・実際には、どのようにして国際社会の正義と秩序を、維持していくのか。
・「それは世界の国々が加盟し、かつ唯一の平和機構である、国連を中心とする以外にない。
・自衛隊を国連待機軍として国連に提供し、その平和活動に参加するこは、憲法前文の理念、第九条の解釈上可能であるだけでなく、むしろそれを実践することとなる。
・戦争放棄の憲法を改正することが難しいのなら、自衛隊はそのままにし、別組織の軍隊を作れば良い。
・この活動は、第九条が禁じている国権の発動、つまり日本独自の判断にる、海外での武力行使とは、形式上も実体上も明らかに異なる。
・二つは厳格に区別して、考えなければならない。
得意そうに述べているが、別組織として作られ国連に提供される軍隊とは、いったい何であろうか。
他の国々の軍隊は役目が終わると祖国へ戻り、自国の軍に再編入されるが、日本の軍隊には戻る場所がない。国連に提供された武力行使の出来る軍隊が、先守防衛しか出来ない自衛隊と混在できる訳がない。
帰るべき祖国のない軍隊が世界の何処かにあると、氏は考えているのだろうか。指揮官や兵の士気は、どうなっていくのか。
氏は簡単に「国連に待機軍として提供する」と言っているが、私には提供された軍人が、祖国に見捨てられた棄民のように思えてくる。軍人を軽視する彼は、指揮官や兵の人格や使命感や、家族たちの悲しみや怒りにどう向き合おうとしているのか。
こんな提案で日本が普通の国になれると言う、氏の思考は正常なのか。
世界のどこにもない軍隊を作り、国連に提供する国のどこが普通なのか。異常で奇怪としか思えない意見を、氏はどうして世間に発表したのか。
中国が尖閣諸島を侵略し沖縄を侵犯したとして、果たして国連は、軍隊を派遣してくれるだろうのか。
常任理事国に中国がいることを思い浮かべるだけで、国連のあてにならないことが素人にも分かる。竹島を占拠し、対馬まで自国領と言い出している韓国にも、国連は何もしない。捏造の慰安婦問題で韓国の側に立ち、日本を糾弾したのは、国連の人権委員会だったではないか。
事務総長が韓国の潘基文 ( パン・ギムン ) 氏 となれば、日本への理解や共感などカケラも期待できない。剛腕政治家と呼ばれ、政界の実力者と持ち上げられた氏の、国連への素朴な信頼はどこから生まれているのだろう。
私もいい加減お人好しだが、国連に対する少年のような信奉ぶりは、驚きとしか言いようがない。
本が出版された事情を知らないが、世間はどんな評価をしたのだろう。私の本棚には吉田茂氏の、『日本を決定した百年』と、田中角栄氏の『日本列島改造論』がある。小沢氏の著作を読む前は、彼の著書も並べるかと思ったが、今はそんな気持が微塵もない。
毀誉褒貶のある吉田氏も田中氏も、やはりひとかどの人物であり政治家だった。著作には、それだけの重みと説得力のある言葉があった。小沢氏の著作は、本棚に並べるにはレベルが違い過ぎる。氏の常識のなさが、恥ずかしい。
一番良いのは何時ものように、「有価物回収の日」のゴミとして処分することだろう。
「小沢一郎と、山本太郎とその仲間たち」と、どこの世界にこんなふざけた名前の政党があるのだろう。共産主義革命を暴力で遂げようとしているのが、「その仲間たち」だ。過激派学生の成れの果てと、辣腕保守の成れの果てが結びつき、いったい何をしようというのか。
市場開放、規制撤廃、外国人労働者の大量受け入れなど、著作の後半には、安倍総理と似た主張が述べられている。現在の氏は、安倍総理のやることには何もかも反対しているから、支離滅裂の政治家だ。
私のブログは「みみずの戯言」だが、さすがに「小沢のたわごと」には負けてしまう。正直な気持ち、これ以上つき合っておれない。