朝日新聞が、白井聡氏の「永続敗戦論」を大きく取り上げていたので紹介する
・日本は、敗戦をなかったことにしていることが、今もなお日本の政治や、社会のありようを規定している。
この状態を、氏は「永続敗戦」という造語で表している。造語で、新進気鋭の政治学者とアピールしているらしいが、私には、竹中平蔵氏の「グローバリズム経済論」と同様、日本人の魂が抜けた理屈にしか聞こえない。
・昨今の領土問題では、わが国の主権に対する侵害という観念が、日本社会に、異常な興奮を呼び起こしています。
・中国や朝鮮に対する挑発的なポーズは、対米従属的な状態にあることによって生じている 「主権の欲求不満」状態を、埋め合わせるための代償行為です。
しかし領土問題に関する挑発は、中国と韓国の方がやり始め、日本政府は隣国を刺激しないようにと、遠慮を重ねて来たのではなかったのか。
現地の日本企業の建物を破壊し、陳列品を略奪したり、異常な興奮をしていたのは、中国人たちだった。朝日新聞に掲載される意見にふさわしく、事実が逆になり、日本が悪いと言ういつもの論調になっている。
日本人の領土問題に対する対応は、対米従属の欲求不満の代償行為だと、どこから、こんな理屈が出てくるのか不思議でならない。氏は私が聞いたことも無い大学の助教授なので、聞いたことも無い理屈を展開して恥じないのだろうか。
・戦後とは、自らを容認し支えてくれるアメリカに対しては臣従し、侵略した近隣諸国との友好関係はカネで買うことによって、平和と繁栄を、享受してきた時代です。
記事の注釈を見ると、氏は昭和52年生まれで私の息子たちより若い。意見を軽視する訳でないが、戦前と戦後を生きた両親や、同時代の大人たちを見て育った私には、戦後はそんな定義で片付けるような時間と空間ではなかった。
国民全体が汗と涙の日々を重ね、寝る時間を惜しんで働き、やっと手にした「繁栄」であり、「平和」だ。アメリカに臣従したから、自然現象みたいに繁栄したのではなく、近隣諸国に支払った賠償金は血のにじむような国民の税金だった。
両親だけでなく、当時の大人たちへの敬意と感謝があるから、聞き流せない意見になる。我慢のならない「若者の定義」と言わずにおれなくなるが、戦後の国民の頑張りを考慮せず、経済大国となった日本だけを観察すれば、氏の定義も的外れではない。
安倍首相が言っている「戦後レジームからの脱却」は、氏のいう「アメリカへの臣従」と似た意味だ。
しかし次の言葉にはブルータスお前もかと、左翼学者の軽薄な日本否定の一本調子に辟易させられる。
・A級戦犯を祭った靖国神社に参拝したり、侵略戦争の定義がどうこうと、理屈をこねたりすることによって、日本人は自らの信念を慰め、敗戦を観念的に否定してきました。
・必敗の戦争に突っ込んだことについての、戦争指導者たちの国民に対する責任は、ウヤムヤにされたままです。
・対内的な戦争責任が、あいまい化されたからこそ、対外的な処理も、おかしなことになったのです。
氏の論文はこの調子で、「拉致問題」、「長崎・広島の原爆」と延々と続く。
・日本人が英語が下手なのは、言うべき事柄がないからだ。つまり、自分の意見がないからだ。
こんなバカなことを言っている。英語の話せない私は、自分の意見がないと氏は言うのか。自分の意見があるから、こうして氏の愚論に意見を言っている。バカバカしくて読む気にもならない愚論だ。
・戦後の日本人は、ずっと被害者意識で生きて来た。加害者としての責任感を、持っていない。
朝日新聞だから氏の愚論が掲載されているとも知らず、次の言葉で締めくくっている。
・恥の中に生き続けることを、拒否すべきです。それが、自分の言葉を持つということでも、あります。
加害者としての責任を感じているから、中国と韓国に対し、無償援助やODAといった名目で多額の金額を支払っている。あるいは、尖閣、南京、靖国の問題について、中国の一方的で執拗な攻撃も甘受して来た。
韓国の慰安婦問題は、捏造の言いがかりと分かった後も政府は謝罪し、反論もしていない。日本人がずっと被害者意識だけで生きてきたと、氏はどこを見て決めつけているのだろう。
私と違い本気で日本を考えている人びとは、朝日新聞の記事などにいちいち目くじらを立てないのだろうが、私は我慢のならないものは我慢がならない。
しかし今の私には、別の思いがある。
今月一杯で、朝日新聞店との契約が終わる。この7月限りで、忌々しい反日の新聞とオサラバできる。だから、腹立たしい記念のために、朝日新聞の記事をブログに残す。
あと10日の辛抱だ。長かった、実に長かった。