『ノーカントリー』のジョエル、イーサン・コーエン監督がメガホンを取り、次々と不幸に見舞われる男の姿をシニカルに描くコメディー・ドラマ。アメリカの片田舎のユダヤ人コミュニティーを背景に、平凡な大学教授と周りの人々との間に巻き起こる不条理な小事件をつづってゆく。主演は、主に舞台で活躍し、映画では『ワールド・オブ・ライズ』などに出演しているマイケル・スタールバーグ。観る者を煙に巻くようでありながら深いストーリー展開に、引き付けられる。(yahoo.映画より)
録り貯めてある映画の消化です。2009年の映画。大阪でも単館上映でしたね。コーエン兄弟の映画は、好きなものとそうではないものと両方あって、イマイチ彼らが好きなのかどうか、自分でもわからない感じです。ただ、すんなり見れる映画ではないですよね、いつも。
さて今回は、至って真面目に生きて来た平凡な男に、次々と災難(それも大きいもの)が降りかかり、にっちもさっちも行かなくなるお話です。「なんで俺が?」と、マクレーン刑事のようにボヤくことも許されないほど、災難が降りかかります。そもそも、この男性は生真面目すぎて、「ボヤいてはいけない、みっともない」と考えてしまう、ポリティカル・コレクトが服を着て歩いているような男なのです。
それ故、社会的体裁を保つことや、不条理に対する怒りをコントロールすることでやりすごそうとするため、ますますドツボにはまってしまいます。見ているこちらが同情してしまうほどです。
がしかし、その一方で、「何をしてるんだ!」と彼に腹が立つことも事実なのです。妻から離婚を切り出されたことはよくあることとしても、再婚相手が決まっていて、その男に聖人面して抱きしめられて「大人になろう」なんて言われてなんで怒らない?とかね。
要は、真面目だけれど自分のことしか見てなかった、考えてなかった・・・これに尽きると思うんだけど(特に家庭のことについてはね)、それにしてもこれほど報われないのもあんまりなんですよね・・・。
あまりの境遇に、主人公は高位のラビに相談に行ったりもするんだけれど、結局みんな的外れで、おかしいほど役に立たなかった、というのがコーエン兄弟らしい。まぁ究極的には、自分のことは自分にしかわからないものね、万事。
私は読んだことはないけれど、このお話は「旧約聖書・ヨブ記」にそっくりなんだそうです、監督たちは「関係ない」と言ってるらしいですが。
この「ヨブ記」、”主人公のヨブはとても真面目に生きて来たのに、あるときから次々不幸に襲われ、ついにすべてを失う。が、それでもまじめであり続けたのに、やっぱりさらに災難に見舞われる”・・・そんな話なんだそうです。そしてどうしたか。さすがのヨブも「従順なだけではダメなんだ!」と意を決するが、そこに嵐が巻き起こる・・・のだそうです。
映画はここで終わってますが、「ヨブ記」はさらに続くんだそうです。嵐の中から神が現れ、人知を超越した神の力と人間の矮小さが語られるのだそうです。要するに、「どうにもならない」ということです。物事に理由を求めてはいけないのだそうです。
ネットで見つけたある感想によると、「ヨブ記」の重要なテーマは「因果応報という考え方の破壊」なんだそうです。つまり、良いことをすれば報われるとか、人はそういうことを期待しがちだが、そんなことはなく、ついていない人は行いの良しあしにかかわらずついてないし、性格が悪いのにラッキーが続く人もいる。因果応報なんて、人間の心の中の虚しい願望に過ぎない・・・そういうことなんだそうです。
まぁ、そうですよね、現実は。だからと言って、真面目に生きるのをやめても喰って行けるか、というとそれはまた別の問題でもあるわけですが。
ともかく、ラストは少し尻切れトンボのような感じでしたが、つまりはそういう映画みたいです。人生って、報われないことの方が多いって、いくらわかっていても、やっぱり後味は悪いですね・・・。
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