「フォックスキャッチャー」のスティーブ・カレルと「君の名前で僕を呼んで」のティモシー・シャラメが父子を演じ、父デビッドとドラッグ依存症だった息子ニックがそれぞれの視点から描いた2冊のノンフィクションを原作に、家族の愛と再生を描いたドラマ。監督は「オーバー・ザ・ブルースカイ」を手がけたベルギー出身のフェリックス・バン・ヒュルーニンゲン。「ムーンライト」「それでも夜は明ける」を手がけたブラッド・ピット率いるプロダクションのプランBエンターテインメントが製作。脚本に「LION ライオン 25年目のただいま」のルーク・デイビス。(映画.comより)
つらい、つらすぎる。本当につらかった。育ちもよく、優秀だった男の子が、本当に些細なことからヤクをやってしまう。みんなそうだと思うけど、最初はほんの少量から。だからみ~んな「いつでもやめれるから、大丈夫」と思っている。「僕は本気ではやらないし」と、みんな思っている。そして「その気になればいつでもやめれるから、自分はよくある奴らとは違う」と、本気で思っている。そういう考えに何の根拠もないことに気づかない。とにかく、自分は違う、大丈夫と思っている・・・。そういうことを痛いほど提示している映画です。でもたぶん、「大丈夫」と思っているうちはやめれない。で、本気で「やめなきゃ」と思う頃は、体がそれなしでは生きてゆけなくなっていて、脳からの指令は、もう意志の力で遮られるものではなくて、どんなに意思の強い人でも落ちてゆくしかないようになっている。そういうことも、少年の父親(スティーブ・カレル)を聞き手として、ドクター(ティモシー・ハットン)の口から説明されます。
映画に登場する大人たちは、みないい人ばかりです。いえ、少年の友人だって、彼女だって、悪い人なんか一人も登場しません。それでも、ダメなものはダメなのですね。同じように子供を持つ親として、情けなくて悲しくて、でももうこうなると、親が何をどんなにしてやっても、もうダメなんだと悟るしかなくて、涙が止まらなかったです。自分の息子がそうならないなんて保証がどこにあるでしょうか。明日は我が身かもしれません。そう考えると本当に恐ろしい。あらすじには「愛と再生の物語」とありますが、彼が再生できたのは万に一つの奇跡。最後の最後まで絶望に綴られた話でした。
安易には救われないお話。見るのに覚悟を必要とします。個人的には(人によるだろうけれど)、香取慎吾の「凪まち」よりずっとつらくてしんどい映画でした。体調のいいときにどうぞ。
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