かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

ABCD……H、奇妙な日本語について、「性欲の研究」

2013-08-23 00:05:27 | ことば、言語について
 いつの時代にも言われていることであるが、近年ことさら、日本語の使い方がおかしい。
 そう思っているところへ、内館牧子著、「カネを積まれても使いたくない日本語」(朝日新書)が出版されたので読んだ。この本は、看過しがたい最近の日本語の変な表現を、週刊朝日の連載中にアンケートをとってまとめたものである。
 このことについては、改めて別に書くことにしよう。

 言い回しや表現とは別に、日本人は言語を何でもすぐ短縮して、便利に使用しがちだ。僕は文法学者ではないが、日本語は、単語や文を省略・短縮したり、くっ付けたりすること阻まない、本質的に流動的で非文法的な言語なのだろうと思ってしまう。
 たとえきわめて奇妙な日本語でも、最近の若者の間で流行している言葉などといって、マスメディアもそれらを取りあげ、許容し、認知してきた歴史がある。

 では、外国語はどうかといえば、英語やフランス語はかなり文法が確立していて、主語や目的語の位置ははっきりしているし、人称によって動詞は変化する。名詞には冠詞があり、フランス語などは各名詞に性差すら存在する。だから、それをきちんと把握しているかどうかで、その言語に対する教養度がすぐにわかるというものだ。

 そのことをうまく表している文章に、最近読んだ本「旅立つ理由」(旦敬介著、岩波書店)のなかで、出くわした。
 「商店からは観光客目当ての正当的な英語が聞こえてくる。道端からは、動詞の活用形が省略されたクレオール英語が地を這うように響いてくる。」
 クレオールとは、英語やフランス語などを話す際に、意思疎通を図るために、主に商人の間や植民地などで発達した、簡略化された言語である。だから、動詞の活用も省いて使われるのが多い。
 また、同書で、アフリカを舞台にした章では、こういう文もあった。
 「空港を降り立ってタクシーの交渉をしたときから、すぐに彼女はふとした違いに気がついた。自分の話しているスワヒリ語と、白い小さな帽子をかぶった年配の運転手が話すスワヒリ語に格の違いがある気がした。相手が規則にのっとった格調高い言葉遣いなのに対して、自分は蓮っ葉なだらけた言葉を話しているように感じられて、なぜだか引け目を感じてしまったのだ。」
 言葉とは、その使い方で品性がわかるというものだ。

 *

 ここでは、日本語について書くつもりではなかった。
 「性欲の研究」(井上章一編、平凡社)という本に興味をひかれて、読もうと思ってページを開いたのだった。
 井上章一は、彼の著作、「美人論」、「愛の空間」を読んでいて、その道を調べている人として知っていたが、もともとは建築史家・意匠論の人である。本書は、井上が「関西性欲研究会」なる会に集う者を中心として、東アジアの性についての文を集めたものである。
 巻頭は、西欧の性事情に造詣が深い鹿島茂に聞くという対談形式で、トルコ風呂、いわゆるソープランドのルーツや、パリのカフェやブラッスリー(ビヤホール)の起源などが聞けて、面白い内容となっていた。
 しかし、この対談のタイトルが、「西のエッチ、東のエッチ」である。このタイトルを見て、僕は失望感を抱いた。
 この対談の中でも、井上は安易に「エッチなトルコ」「エッチなアラビア」などとエッチという単語を使っている。
 僕は、内館牧子の「カネを積まれても使いたくない日本語」で譬えれば、日本語の言い回しではないが、「エッチ」は最も使いたくない日本語の一つである。ましてや、文を専門としている人が、その意味や語源などを解説しているのなら別だが、安易に使っているのを見ると、それだけでうんざりしてしまう。
 調べてみると、この井上章一、鹿島茂の二人の対談集で、「ぼくたち、Hを勉強しています」(朝日新聞社)なるタイトルの本まである。おそらく井上章一がつけたのと思われるが、性についての研究者で碩学の二人が、なぜこんな安易なタイトルを付けたか不思議だ。

 「エッチ」は、もともとHentai(変態)の頭文字からきたと言われている。今では、「あの人エッチね」という元来の変態といった意味から、「エッチする」といった性行為の意まで、幅広く使われている。
 日本語によるセックス、性行為の用語は、隠語を含め様々な言葉で言い表されてきたが、ちゃんとした日本語を作りえることなく、現在はこの語がいつしか安易に定着したようである。
 現在のようにエッチを性、セックスまで広く使用するとなると、Sexの頭文字のS(エス)を使用した方がまだ理に適っていると思うのだが。

 そう思って、昭和53年発行の「日本風俗語辞典」(故事ことわざ研究会編、アロー出版社)を見てみると、「エス」はかつて使用されていた。戦前の女学生が使っていたもので、意味は、同性愛、特に女性を言う、とある。語源は、シスターSisterの頭文字からとってある。
 「エイチ」という項目もある。アルファベットのHで、男色の意味である。語源は、男色―鶏姦ということで、雌鶏のhenヘンの頭文字からきているというから凝っている。
 同書には同じHを区別してか、別に「エッチ」もあり、意味は、助平、変態のことで、やはり語源は変態Hentaiの頭文字とある。昭和53年当時は、まだセックス全般の意味には一般化していなかったのか、そういう記載はない。
 おそらくその後、変態の「エッチ」が、広範な性全体の意味となって流布し、男色の「エイチ」を凌駕し、消滅させたのであろう。
 アルファベットの頭文字でいえば、この辞典には「ABCDI」という項目もある。意味は、A=キス、B=ペッティング、C=性交、D=妊娠、I=中絶。語源に、これは現在の中学生の間に使われている性に関する隠語、とある。性がティーンの間まで解放されてきた時期のことだ。
 それにしても、「エッチ」は流行というには長すぎるし、学者はまして、普通の人が使うにしても、性の語源としては安っぽい。
 「官能小説用語表現辞典」(永田守弘編)を見ると、性に関しては驚くほど多様な表現があり、作家の努力と情熱が伺える。

 念のために、今映画が公開され、話題になっている妹尾河童の自伝的小説である「少年H」は、もちろんここでとりあげた意味でのHではありません。妹尾河童の元の名前「肇(はじめ)」の頭文字なのです。
 妹尾河童は舞台美術家で、彼が書いた凝った細密画入りの「河童が覗いたインド」は、僕がインドを旅した時に読んで、ためになった本である。

 *

 「性欲の研究」のなかの、中国人の学者、劉健輝との対談で、井上章一は「P屋」(ピー屋)について取りあげている。
 僕はその単語を知らなかったが、戦前、娼婦(Prostitute)を売る店、娼館の頭文字をとって言ったそうである。この英語の語源説以外に、中国語からの転訛説を井上が劉に言及している。中国語の女性の陰部を指す言葉に「ぴい」があると言う。漢字でも書かれてあるが、漢和辞典にもなく、シカバネの部首に、穴を充ててある。
 そして、その中国語説の根拠として、戦前の本である田中貢太郎著「貢太郎見聞録」なる本で、上海での娼婦のことを「カントンピー」と書いていたことをあげている。
 しかし、劉はその字を、中国語では、少なくとも北京語ではピイでなくて、ビイと濁ると主張している。

 この他に、中国における「相公」(シャオコン)の章が興味深かった。
 現在、日本では女装したタレントをテレビでは見ない日はないが、「中国の女装の美少年「相公」と近代日本」(三橋順子)では、中国の女装の美少年である「相公」(シャオコン)を写真付きで解説している。
 この「相公」(シャオコン)は、日本でいえば、江戸時代の男色を売った「陰間」(かげま)に当たるとしている。両方とも、15~18歳が命だった「盛りの花」に譬えられているのを見ると、年齢は問わない現在の日本は姥桜の文化全盛と言えるだろうか。

 さて、性に関する隠語であるが、ABCDやSやPなど、消え去っているのを見ると、H(エッチ)も、いつの日か、そういえばそんな言葉が流行ったなあという時代が来ることだろう。
 先月8月の朝日新聞特別版のアンケートによる「よみがえらせたい死語」ランキングでは、1位が「バタンキュー」で、2位が「おニュー」、4位が「はいから」だった。カップルを言う「アベック」が7位に入っていたが、すでにこれは死語なのか。となると、注意しないと、使っては恥ずかしい語なのだ。
 広く流布しても、変な日本語は、いつしか使われない死語になる、と思うのだが。

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