昭和28、29年の佐賀県の小さな炭坑町が舞台の映画「にあんちゃん」(監督:今村昌平、1959年日活)。原作は、出版当時話題となった、10歳の小学生、安本末子の日記(1958年刊)である。
映画は、海辺のボタ山を中心にした小さな炭坑町を上空から映し出す。カメラは、「スト決行中」と書いた貼り紙の下で座って、物憂げに遠くを見つめているヤマ(炭鉱)の炭鉱労働者を映す。続いて、石炭を掘るために入っていく坑口。石炭を積みだすトロッコ車。
日本の各地にあったが、今はどこにもない、消えてしまった炭鉱の町がリアルに映し出される。
スト中の労働者の顔は、これからヤマ(炭鉱)はよくはならないだろうという諦念と、それでも何とかなるさという当時の前向きの潔さもうかがわせる。
選炭したあとの不良石炭を積み上げたボタ山は、まるで近代のピラミッドのようにそびえていて、街とそこで生きる人々を見つめているようだ。
それまで日本のエネルギーを担っていた石炭産業は、エネルギー革命によって石油に代わられ、次々と閉山の波が押しよせていた。日本の経済成長の到来とは裏腹に、活気に満ちていた炭鉱の街には、急激な陰りがおおっていた。
そして、そこで生きている人たちには、人生の転換期でもあった。
「にあんちゃん」の舞台は、玄界灘に臨む佐賀県東松浦郡入野村、のち肥前町の大鶴炭鉱(杵島炭鉱大鶴鉱業所)である。現在は、唐津市に合併されていて、その地に原作者の縁の人々によって建てられた「にあんちゃんの里」という記念碑がある。
しかし、そこがかつて貧しかったとはいえ、エネルギーに満ちていた炭鉱の町であったという面影は見つけられない。どこにでもあるひっそりとした田舎の町がたたずんでいるだけである。
時代は、町を変える。
隣町の玄海町には、玄海原子力発電所がある。
*
安本家は、母もなく大黒柱だった父が死んだ後、残されたのは20歳の長兄のあんちゃん(長門裕之)と16歳の長姉(松尾嘉代)、12歳のにあんちゃん(次兄という意味、沖村武)と、10歳の末子(前田暁子)の4人である。
長兄のあんちゃんも、ここ鶴ノ鼻炭鉱(大鶴炭鉱)で働いているが、在日朝鮮人ということで臨時鉱夫としてしか雇われず、このあんちゃんの安い給料で何とか兄弟を養い、日々をしのいできた。
末子の教科書を買う金がない、それどころか、明日食べる米がない。しかし、炭鉱の長屋には、同じように貧しいのだが、手を差しのべてくれる人情があった。
しかし、ついにあんちゃんに解雇の通知がやって来た。
「とうとう、兄さんは、あしたから仕事に行かれないことになりました。首を切られたのです。会社は、りんじ(臨時)から、まっさきに首を切ったのです。
これからさき、どうして生きていくかと思うと、私は、むねが早がねをうって、どうしていいかわかりません。ごはんものどにつかえて、生きていくたのしみもありません。
だいいちばんに、ねるところがなくなります。会社の家だから、首を切られたら、出て行かなければなりません。
学校にも行けないようになるでしょう。いくら人間がおおいといっても、首を切ってしまうとは、あんまりではないでしょうか。
人間は、一どは、だれでも死にます。
私は、ためいきで、一日をおくりました。」
――安本末子「にあんちゃん」より
鶴ノ鼻炭鉱は、やがて閉山となる。長姉は唐津に奉公に、長兄のあんちゃんは仕事を探して土地を出て、小学生の兄妹2人は他所に預けられることになり、一家はバラバラになる。
預けられた先も居心地が悪くて、2人は逃げ出す。
そして、にあんちゃんは決意する。ここにいても、どうすることもできない。東京へ行く、と。たかだか小学生が、1人で東京へ行く。しかも、あてもなく、金もないのにである。
東京で、自転車屋にアルバイトで雇ってくれないかとやって来た小学生を見て、主人が警察に連絡し、にあんちゃんは保護され、戻される。
東京から鶴ノ鼻に戻ったにあんちゃんは、さらにたくましくなっていた。
先生から、東京のことを訊かれて、「ごみごみしていて人間が混んで、こっちの方がよっぽどよかですよ」と答える。
先生は笑いながら言う。
「おまえは学校の成績も一番じゃ。やるんなら、どがんこともできるけん、どがんしても飛び出したかったら、もう少し大きくなって飛び出せ。焦ることはなか」
誰もが夢を見られる時代で、誰とも夢を語られる時代だった。
そして、末子とボタ山に登りながら、にあんちゃんは強く生きることを決意する。
あのころ、夢はボタ山の向こうの空の彼方に、確かにあったのだ。
父の死のあと、弟、妹を養わなければならない実直な長兄の長門裕之、健気な長姉の松尾嘉代、正義感の強いにあんちゃんの沖村武、まだおぼつかない末子の前田暁子、これら主人公の、安本一家の誰もがいい。
明日も見えない貧乏生活だが、みんな生きる情熱がある。それは、戦後の日本の情熱だったのだろう。
炭鉱の長屋にまつわる人物には、殿村泰司、北林谷栄、小沢昭一、西村晃、芦田伸介、穂積隆信、大滝秀治などの名優が脇を固めている。
村を駆けまわる保健婦役に若き吉行和子が出ていて、あまりにも活発で元気なので、出演者の字幕を見ても本人とはわからなかった。この吉行の許婚者に、のちにアクション・スターに転身する二谷英明が出ている。
助監督に、名作「キューポラのある街」(主演:吉永小百合、1962年)を監督した浦山桐郎とあった。浦山はのちに、筑豊(福岡県)の炭鉱地帯を舞台にした「青春の門」(原作:五木寛之、主演:田中健、吉永小百合、1975年)を撮るが、この「にあんちゃん」のボタ山の風景が強く心に残っていたに違いない。
近刊「あんぽん 孫正義伝」(佐野眞一著、小学館刊)のなかで、佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落で生まれた孫正義ソフトバンク社長の幼少時の日本名が安本だとあったのを見て、すぐに「にあんちゃん」と同じだと思った。この本の題名の「あんぽん」は、安本を音読みにしたものである。
この映画撮影当時、舞台となった大鶴炭鉱は閉山になっており坑口は塞がれていたので、撮影は対岸の伊万里湾にある福島(長崎県)の鯛之鼻炭鉱で行われた。大鶴炭鉱と鯛之鼻炭鉱にかけたと思われるが、映画では鶴ノ鼻炭鉱となっている。
にあんちゃん(次兄)が東京から戻ってきて、迎えに来た先生と末子が海辺ではしゃいで、はずみで末子が海に落ちる。そこが船の発着所で、「鶴ノ鼻発着所」と書かれていた。
筑豊炭鉱での仕事や生活の様子を山本作兵衛が書き残した記録画が、ユネスコの記憶遺産に日本では初めて選ばれた。
この映画「にあんちゃん」も、当時の炭鉱の町や生活を生きいきと映し出している。映画としての価値とともに、貴重な映像による産業記憶遺産でもあると思う。
*本「にあんちゃん」に関しては、(ブログ2009年2月20日)参照。
http://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/4177db915cfcc911cdc75cf02cbca3f3
映画は、海辺のボタ山を中心にした小さな炭坑町を上空から映し出す。カメラは、「スト決行中」と書いた貼り紙の下で座って、物憂げに遠くを見つめているヤマ(炭鉱)の炭鉱労働者を映す。続いて、石炭を掘るために入っていく坑口。石炭を積みだすトロッコ車。
日本の各地にあったが、今はどこにもない、消えてしまった炭鉱の町がリアルに映し出される。
スト中の労働者の顔は、これからヤマ(炭鉱)はよくはならないだろうという諦念と、それでも何とかなるさという当時の前向きの潔さもうかがわせる。
選炭したあとの不良石炭を積み上げたボタ山は、まるで近代のピラミッドのようにそびえていて、街とそこで生きる人々を見つめているようだ。
それまで日本のエネルギーを担っていた石炭産業は、エネルギー革命によって石油に代わられ、次々と閉山の波が押しよせていた。日本の経済成長の到来とは裏腹に、活気に満ちていた炭鉱の街には、急激な陰りがおおっていた。
そして、そこで生きている人たちには、人生の転換期でもあった。
「にあんちゃん」の舞台は、玄界灘に臨む佐賀県東松浦郡入野村、のち肥前町の大鶴炭鉱(杵島炭鉱大鶴鉱業所)である。現在は、唐津市に合併されていて、その地に原作者の縁の人々によって建てられた「にあんちゃんの里」という記念碑がある。
しかし、そこがかつて貧しかったとはいえ、エネルギーに満ちていた炭鉱の町であったという面影は見つけられない。どこにでもあるひっそりとした田舎の町がたたずんでいるだけである。
時代は、町を変える。
隣町の玄海町には、玄海原子力発電所がある。
*
安本家は、母もなく大黒柱だった父が死んだ後、残されたのは20歳の長兄のあんちゃん(長門裕之)と16歳の長姉(松尾嘉代)、12歳のにあんちゃん(次兄という意味、沖村武)と、10歳の末子(前田暁子)の4人である。
長兄のあんちゃんも、ここ鶴ノ鼻炭鉱(大鶴炭鉱)で働いているが、在日朝鮮人ということで臨時鉱夫としてしか雇われず、このあんちゃんの安い給料で何とか兄弟を養い、日々をしのいできた。
末子の教科書を買う金がない、それどころか、明日食べる米がない。しかし、炭鉱の長屋には、同じように貧しいのだが、手を差しのべてくれる人情があった。
しかし、ついにあんちゃんに解雇の通知がやって来た。
「とうとう、兄さんは、あしたから仕事に行かれないことになりました。首を切られたのです。会社は、りんじ(臨時)から、まっさきに首を切ったのです。
これからさき、どうして生きていくかと思うと、私は、むねが早がねをうって、どうしていいかわかりません。ごはんものどにつかえて、生きていくたのしみもありません。
だいいちばんに、ねるところがなくなります。会社の家だから、首を切られたら、出て行かなければなりません。
学校にも行けないようになるでしょう。いくら人間がおおいといっても、首を切ってしまうとは、あんまりではないでしょうか。
人間は、一どは、だれでも死にます。
私は、ためいきで、一日をおくりました。」
――安本末子「にあんちゃん」より
鶴ノ鼻炭鉱は、やがて閉山となる。長姉は唐津に奉公に、長兄のあんちゃんは仕事を探して土地を出て、小学生の兄妹2人は他所に預けられることになり、一家はバラバラになる。
預けられた先も居心地が悪くて、2人は逃げ出す。
そして、にあんちゃんは決意する。ここにいても、どうすることもできない。東京へ行く、と。たかだか小学生が、1人で東京へ行く。しかも、あてもなく、金もないのにである。
東京で、自転車屋にアルバイトで雇ってくれないかとやって来た小学生を見て、主人が警察に連絡し、にあんちゃんは保護され、戻される。
東京から鶴ノ鼻に戻ったにあんちゃんは、さらにたくましくなっていた。
先生から、東京のことを訊かれて、「ごみごみしていて人間が混んで、こっちの方がよっぽどよかですよ」と答える。
先生は笑いながら言う。
「おまえは学校の成績も一番じゃ。やるんなら、どがんこともできるけん、どがんしても飛び出したかったら、もう少し大きくなって飛び出せ。焦ることはなか」
誰もが夢を見られる時代で、誰とも夢を語られる時代だった。
そして、末子とボタ山に登りながら、にあんちゃんは強く生きることを決意する。
あのころ、夢はボタ山の向こうの空の彼方に、確かにあったのだ。
父の死のあと、弟、妹を養わなければならない実直な長兄の長門裕之、健気な長姉の松尾嘉代、正義感の強いにあんちゃんの沖村武、まだおぼつかない末子の前田暁子、これら主人公の、安本一家の誰もがいい。
明日も見えない貧乏生活だが、みんな生きる情熱がある。それは、戦後の日本の情熱だったのだろう。
炭鉱の長屋にまつわる人物には、殿村泰司、北林谷栄、小沢昭一、西村晃、芦田伸介、穂積隆信、大滝秀治などの名優が脇を固めている。
村を駆けまわる保健婦役に若き吉行和子が出ていて、あまりにも活発で元気なので、出演者の字幕を見ても本人とはわからなかった。この吉行の許婚者に、のちにアクション・スターに転身する二谷英明が出ている。
助監督に、名作「キューポラのある街」(主演:吉永小百合、1962年)を監督した浦山桐郎とあった。浦山はのちに、筑豊(福岡県)の炭鉱地帯を舞台にした「青春の門」(原作:五木寛之、主演:田中健、吉永小百合、1975年)を撮るが、この「にあんちゃん」のボタ山の風景が強く心に残っていたに違いない。
近刊「あんぽん 孫正義伝」(佐野眞一著、小学館刊)のなかで、佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落で生まれた孫正義ソフトバンク社長の幼少時の日本名が安本だとあったのを見て、すぐに「にあんちゃん」と同じだと思った。この本の題名の「あんぽん」は、安本を音読みにしたものである。
この映画撮影当時、舞台となった大鶴炭鉱は閉山になっており坑口は塞がれていたので、撮影は対岸の伊万里湾にある福島(長崎県)の鯛之鼻炭鉱で行われた。大鶴炭鉱と鯛之鼻炭鉱にかけたと思われるが、映画では鶴ノ鼻炭鉱となっている。
にあんちゃん(次兄)が東京から戻ってきて、迎えに来た先生と末子が海辺ではしゃいで、はずみで末子が海に落ちる。そこが船の発着所で、「鶴ノ鼻発着所」と書かれていた。
筑豊炭鉱での仕事や生活の様子を山本作兵衛が書き残した記録画が、ユネスコの記憶遺産に日本では初めて選ばれた。
この映画「にあんちゃん」も、当時の炭鉱の町や生活を生きいきと映し出している。映画としての価値とともに、貴重な映像による産業記憶遺産でもあると思う。
*本「にあんちゃん」に関しては、(ブログ2009年2月20日)参照。
http://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/4177db915cfcc911cdc75cf02cbca3f3
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