かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

鹿児島への旅② 霧島神宮での婚礼

2016-03-24 01:01:58 | * 四国~九州への旅
 3月5日、この日の鹿児島・霧島の朝は晴れ渡り、緑に包まれた山あいは清々しい。
 山の中腹にある霧島神宮での甥の結婚式に出席した。
 遠くホテルの窓から見えた大鳥居を潜り抜けて参道を歩いた先の、朱色の2つ目の鳥居を抜けると鮮やかな柱や梁も朱色の本殿が現われる。(写真)
 霧島神宮は、「古事記」や「日本書紀」にも表れる、いわゆる天孫降臨の古い歴史を持つ神宮だが、もともとはいくつもの山が聳える霧島山の山岳信仰から始まったものであろう。社殿は火山の噴火でたびたび焼失し、移転して現在に至っている。先月も近くの硫黄山が噴火したばかりである。

 式は本殿の右側にある神楽殿で行われた。
 教会での結婚式に出席したことはあるが、神社、神宮での神前結婚式に出席するには初めてである。
 神職、巫女の人が手際よく進行してくれる。祝詞が詠われ、豊栄舞が行われる。太鼓の音に、奏でられるのは笙(しょう)に笛の古い雅楽か。
 三三九度の盃(杯)を交わしたあと、結婚の誓いの言葉、そして指輪の交換が行われる。
 神の前でも仏の前でも、指輪の交換は行われるものらしい。いつからこうなったのだろう。
 並んでいるこちらにも盃が回ってきて、巫女さんよりお神酒が注がれる。親族固めの盃ということである。

 式が終わって霧島神宮をあとにし、やや離れてはいるが山あいの静かなホテルで披露宴が行われた。
 冠婚葬祭の同じ「式」でも葬式と違って、結婚式は何となくほのかな雰囲気で、皆にこやかな顔だ。子どもたちの「うれしいひな祭り」や大人(母さん)たちの「四季の歌」などの合唱も楽しい。新婦方の人たちはみんな初めて見る顔なのに、前から知っていたような気分だ。
 結婚式は不思議なものである。昨日まで知らない人たちが親類となったのだ。そのための、式でお互い盃でお神酒を飲む儀式があったのだ。

 結婚式は、一度はやっておくべきだろう。最近は簡単に別れて、2度、3度やる人も多々いるが、そういう人は羨ましい限りである。
 僕にも何度かその機会があったが、なぜか実行に移されなかった。
 思うに、結婚とは勢いとタイミングである。と、僭越ながら思うのである。

 「結婚は鳥かごのようなものだ。
  外にいる鳥たちは中に入ろうとするし、
  中にいる鳥たちは出ようともがいている」(モンテーニュ)

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