いつも年末には佐賀に帰っていて、新年は実家で迎えるのが常だった。両親がなくなり家が空き家になってもその習慣は変わらなかった。
ところが、今年は帰らず東京・多摩で新しい正月を迎えている。
そのきっかけはというと、こんなところである。
僕は室内では年中素足で生活している。石田純一ではないので外へ出るときは靴下をはくが、部屋の中まで靴下をはくのは気持ちが悪いのだ。寒い冬であろうともである。
それが、2年前の冬のことだ。いつものように佐賀の田舎に帰っていたときだが、足の指が赤くなりしびれがきて、ものに当たると痛い。どうもシモヤケになったようだ。
すぐにはなかなか治らなかったので東京に戻り病院で見てもらったら、はっきりとはしないがやはりシモヤケ状態だろうとの見方で、指を冷やさない、風呂に入った時にもみほぐすくらいの処方だった。つまり、冬の寒いときは靴下をはけということのようだ。
暖かくなったら徐々に指の違和感は緩和されたが、翌年の冬の去年もその症状がでたのだった。
冬の寒さに素足が対抗できなくなったのだ。
で、なぜ年末に佐賀に帰らないと決めたのかだ。
というのも、佐賀は東京より外の気温はいくらかは高いのだが、九州といっても田舎の家は古い木造なので、家の中はひんやりと外気が入りこんでくる。冬は、それが冷たく感じるのだ。
それに比し、多摩の部屋は鉄筋コンクリートの造りのため、戸や窓を閉めきっている限り家の中はそう寒くはない。それにリビングは南向きなので陽の光が入ってくる。
つまり、家の中では佐賀の方が体感温度は低く寒いのだ。
それに田舎の町のスーパーがなくなったこともあり、冬は車がないと買い物が不便なのだ。季節のいい時は、自転車で田園を走るのは気持ちがよく、いい運動にもなるのだが、どんよりと曇った冬空の下では心も晴れないし、身も晴れない。
振り返ると、何はともあれ東京は便利だ。
僕は、何事も便利さや経済効率を最優先させる現代の社会、経済状況は好きではないが、冬の田舎生活が辛く感じ始めたのである。
要するに、年齢を感じたのである。寒さに対する対抗心(抵抗力もあるが)が衰えたのである。
人間は依存に陥りやすい動物だから、楽な方に、便利な方に流される傾向にある。いったん寒さに対して靴下をはきだしたら、寒いと感じている間ははき続けることになるだろう。
僕は何事も依存するのが嫌いだから、薬もなるだけ飲まないことにしている。何年か前に血圧が高くなり、上の数値が200を超えることもあったのでさすがに病院に行った。当然のことだろうけど医者はすぐに降圧剤の薬を出したのだった。一旦降圧剤の薬を飲み始めたら一生飲み続けることになるという話を聞いていたので、減塩とウォーキングで数値を下げ、自主的に薬はすぐにやめてしまった。
しかし、寒さに対する対抗心および抵抗力は意志力だけではいかんともしがたい気がしてきているのである。
ということで、弁解が長くなってしまったが、田舎は季節のいい時に帰ることにしようと思った次第なのだ。
*
東京の正月は、田舎と違って少し空疎感がある。
やはり、外の景観が違う。
田舎では、朝起きて部屋の窓のカーテンを開ければ、外には庭の松と金木犀が見え、生け垣の向こうに、青い空となだらかな鬼ガ鼻の山が目に入ってくる。その上に白い雲が浮かぶ。
一月一日。雲一つないような青空だ。
東京での一人の正月でも、お節らしい料理を並べよう。
大晦日の12月31日の夜、買い物に行って帰ろうとしていたら、スーパーの出口のところで花屋が声をあげていた。もう最後ですから、大安売りですと言っていたので、花を買ったら、嬉しいことに、さらに赤い実がついた千両を付けてくれた。
めったに花を飾られない手持ち無沙汰そうに置き去りにされている花瓶を取りだして、テーブルの上に花を飾った。田舎の庭にもある千両は、帰るたびに生い茂っていて手を焼いていたが、やはり正月に千両はよく似合う。
花があるだけでも、部屋の中の雰囲気が違ってくる。空疎な東京の元旦も、華やぎが漂う。
お節料理は以下の通りである。(写真)
定番である黒豆と蒲鉾。田作りは、ゴマメになる小さなカタクチイワシより少し大きいが、似たようなものだと思って日干しのイワシで代用。それに、ゆで卵。
野菜は、ホウレン草のおひたし、南瓜煮、蕪の千切り。
それに、毎日作っている肉とゴーヤの入った野菜炒め。
刺身は珍しくシマアジ。それに、鮨の握り。
刺身のシマアジは、普段食べているアジ(鯵)とは違って値段が高いと思ったら、味も違った。マグロやブリよりも美味いと感じた。
正月だけ飲む日本酒は、佐賀の酒が見当たらなかったので、ちょっと高いが越乃寒梅を。それに、屠蘇を入れて飲む。
まだ昼なので酒は1合ぐらいでやめて、初詣に行かないといけない。
東京での初詣。さて、どこへ出かけよう。
ところが、今年は帰らず東京・多摩で新しい正月を迎えている。
そのきっかけはというと、こんなところである。
僕は室内では年中素足で生活している。石田純一ではないので外へ出るときは靴下をはくが、部屋の中まで靴下をはくのは気持ちが悪いのだ。寒い冬であろうともである。
それが、2年前の冬のことだ。いつものように佐賀の田舎に帰っていたときだが、足の指が赤くなりしびれがきて、ものに当たると痛い。どうもシモヤケになったようだ。
すぐにはなかなか治らなかったので東京に戻り病院で見てもらったら、はっきりとはしないがやはりシモヤケ状態だろうとの見方で、指を冷やさない、風呂に入った時にもみほぐすくらいの処方だった。つまり、冬の寒いときは靴下をはけということのようだ。
暖かくなったら徐々に指の違和感は緩和されたが、翌年の冬の去年もその症状がでたのだった。
冬の寒さに素足が対抗できなくなったのだ。
で、なぜ年末に佐賀に帰らないと決めたのかだ。
というのも、佐賀は東京より外の気温はいくらかは高いのだが、九州といっても田舎の家は古い木造なので、家の中はひんやりと外気が入りこんでくる。冬は、それが冷たく感じるのだ。
それに比し、多摩の部屋は鉄筋コンクリートの造りのため、戸や窓を閉めきっている限り家の中はそう寒くはない。それにリビングは南向きなので陽の光が入ってくる。
つまり、家の中では佐賀の方が体感温度は低く寒いのだ。
それに田舎の町のスーパーがなくなったこともあり、冬は車がないと買い物が不便なのだ。季節のいい時は、自転車で田園を走るのは気持ちがよく、いい運動にもなるのだが、どんよりと曇った冬空の下では心も晴れないし、身も晴れない。
振り返ると、何はともあれ東京は便利だ。
僕は、何事も便利さや経済効率を最優先させる現代の社会、経済状況は好きではないが、冬の田舎生活が辛く感じ始めたのである。
要するに、年齢を感じたのである。寒さに対する対抗心(抵抗力もあるが)が衰えたのである。
人間は依存に陥りやすい動物だから、楽な方に、便利な方に流される傾向にある。いったん寒さに対して靴下をはきだしたら、寒いと感じている間ははき続けることになるだろう。
僕は何事も依存するのが嫌いだから、薬もなるだけ飲まないことにしている。何年か前に血圧が高くなり、上の数値が200を超えることもあったのでさすがに病院に行った。当然のことだろうけど医者はすぐに降圧剤の薬を出したのだった。一旦降圧剤の薬を飲み始めたら一生飲み続けることになるという話を聞いていたので、減塩とウォーキングで数値を下げ、自主的に薬はすぐにやめてしまった。
しかし、寒さに対する対抗心および抵抗力は意志力だけではいかんともしがたい気がしてきているのである。
ということで、弁解が長くなってしまったが、田舎は季節のいい時に帰ることにしようと思った次第なのだ。
*
東京の正月は、田舎と違って少し空疎感がある。
やはり、外の景観が違う。
田舎では、朝起きて部屋の窓のカーテンを開ければ、外には庭の松と金木犀が見え、生け垣の向こうに、青い空となだらかな鬼ガ鼻の山が目に入ってくる。その上に白い雲が浮かぶ。
一月一日。雲一つないような青空だ。
東京での一人の正月でも、お節らしい料理を並べよう。
大晦日の12月31日の夜、買い物に行って帰ろうとしていたら、スーパーの出口のところで花屋が声をあげていた。もう最後ですから、大安売りですと言っていたので、花を買ったら、嬉しいことに、さらに赤い実がついた千両を付けてくれた。
めったに花を飾られない手持ち無沙汰そうに置き去りにされている花瓶を取りだして、テーブルの上に花を飾った。田舎の庭にもある千両は、帰るたびに生い茂っていて手を焼いていたが、やはり正月に千両はよく似合う。
花があるだけでも、部屋の中の雰囲気が違ってくる。空疎な東京の元旦も、華やぎが漂う。
お節料理は以下の通りである。(写真)
定番である黒豆と蒲鉾。田作りは、ゴマメになる小さなカタクチイワシより少し大きいが、似たようなものだと思って日干しのイワシで代用。それに、ゆで卵。
野菜は、ホウレン草のおひたし、南瓜煮、蕪の千切り。
それに、毎日作っている肉とゴーヤの入った野菜炒め。
刺身は珍しくシマアジ。それに、鮨の握り。
刺身のシマアジは、普段食べているアジ(鯵)とは違って値段が高いと思ったら、味も違った。マグロやブリよりも美味いと感じた。
正月だけ飲む日本酒は、佐賀の酒が見当たらなかったので、ちょっと高いが越乃寒梅を。それに、屠蘇を入れて飲む。
まだ昼なので酒は1合ぐらいでやめて、初詣に行かないといけない。
東京での初詣。さて、どこへ出かけよう。
「ひびの」で久しくお見かけしなくなりましたので、
このコメントでご挨拶をさせていただきます。
東京でのお正月だったのですね。
確かにふるさとの冬は寒いですが心温まります。
今年は関東とはまったく違った濃霧の元旦でした。
田舎の冬は寒いですが、ふるさとの冬は確かに心温まります。
以前、佐賀での1日の朝、起きて窓のカーテンを開けたら粉雪が舞い、一面雪景色だったことがありました。
それを見て、寒いというより「正月だ!」と、何だか心があったかくなりました。
来年は、できればふるさとでの正月を迎えたいと思います。