かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

6. 芳醇な街、サン・テミリオン

2005-08-24 03:47:03 | * フランス、イタリアへの旅
<2001年10月3日>サン・テミリオン
 思いがけず1週間の長居となったラコステのヴェルダル家を出発する日となった。のどかなフランスの田舎での生活と温かい家庭のぬくもりで、日にちがたつのを忘れていたようだ。
 私は、旅人だ。旅をしなければいけない。
 どこへ? 南へ。南フランスを廻ってイタリアへと。
 地図を見てみた。ここより、北の方に磁器の街リモージュがあるが、南西の方にボルドーがある。やはり、ワインの街をめざそう。地図をよく見ると、ボルドーの手前にサン・テミリオンがある。次は、トーマス・クックの鉄道時刻表と首ったけだ。
 日本と同じく、田舎の駅を通る列車は数が少ない。乗換駅の比較的大きい駅のブリーブ・ラ・ガイヤルド駅を7時38分の列車に乗らないといけない。そうすると、サン・テミリオンの隣駅リボームに9時31分に着く。
 
 薄もやの中、朝6時に家を出た。ポールとジャックが車で最寄りのブレド・ノー駅まで送ってくれた。
 別れ際に、ジャックが石膏彫刻の作品であるチーズを私のバッグにしのばせた。ポールの家に着いた日の宴会のとき、私のテーブルに持ってきて、さあ食べてと言うからナイフで切ろうとしたらカチンと硬い音がして、一杯食わされたと知ったチーズだ。そして、列車に乗るとき、ポールが紙でくるんだ包み一つを渡した。
 列車の中でポールが渡した包みを開けた。チーズと野菜が挟まれたバゲット(パン)とソーセージと赤カブが挟まれたバゲッド(パン)、それにリンゴ、昨晩お別れ会のときのガトー(ケーキ)が1切れ入っていた。まるで、遠足に行く子どもを送り出した母親のような心配りだ。私は、列車の中から窓の外の景色を見ていると、子どものとき母が作ってくれたおにぎりを持って一人汽車の旅をしたときの、嬉しさと心細さが甦ってきて甘酸っぱい気持ちになった。

 サン・テミリオンは世界遺産の街である。それと同時にワインの街でもある。
 社会人になって以来ずっと酒は飲んできたが、ことさら酒が好きというわけではなかった。酒の持つ雰囲気と空間が好きで、会社と家の間にいつもネオンがあり、しばしばその時女性がいた。ずっと、ワインにも特別な意識は持っていなかった。ビールやウイスキーや紹興酒などと同列で、そこにそれがあれば飲んだという「酒」のワン・オブ・ゼムに過ぎなかった。
 その中で、私が初めて知ったワインの名がサン・テミリオンだった。私がワインのワの字も酒の味もよく知らなかったころ、フランス通の当時の恋人が頼んだのがそれだった。だから、ほかの銘柄はともかく、この名前だけは覚えていて、のちにも時折「ワインはサン・テミリオンに限る」とほざいたりした。それなのに、かなり長い間サン・テミリオンが単にワインの一銘柄だと思っていたのだから、いかにワインに無頓着で無関心だったかが知れる。

 サン・テミリオンの街は、古い教会を中心に小さくまとまった街だ。街の中央の高台には、観光インフォメーションやレストラン、ホテル、ワインショップ、お土産物屋などが肩を並べ、12世紀に建てられたという大鐘楼が、街並みを見下ろすようにそびえている。街中の狭い丸石敷きの道を歩くと、両側に重厚な石造りの家がひしめき、時折、今にも崩れ落ちそうな壁や塀に出会う。その風景は、まるで街全体が時間を置き忘れたかのようだ。土産物屋の店先でブドウの苗の鉢を売っているのも、この地ならであろう。
 中世にタイムスリップしたような街並みから道路1本出ると、もうブドウ畑があたり一面広がる。古い中世の街並みとブドウ畑が溶け合った美しい景観は、まさに世界遺産の街でもある。
 
 朝からの小雨がやんだブドウ畑を歩いた。ここは、ボルドー地区の中でも小さなシャトーがいくつもあるのが特徴だ。
 可愛いアーチの飾り門を持ったシャトーの中に入っていくと、黒い子犬が吠えたてた。口笛を吹くとすぐに鳴き声をやめて、尻尾を振りながらついてきた。番犬にもなりはしない。ブドウ畑の中の畦道をクロと一緒に歩いた。誰かと散歩をしたかったのだ。あるいは、飼い主に袖にされたのか。そのシャトーの畑を越えて、違うブドウ畑まで行けどもついてくる。どこまでもついてくるので、逆にうまく帰れるかこちらが心配になった。1時間ぐらい歩いて大きな車道を渡ったところで、犬は残念そうな顔をして諦めた。
 ブドウ畑は、どこも丈は短く整えてあり、ブドウの粒はどれも小さいが黒くころころとしていた。契って口に入れてみると、渋い汁が口に広がった。私は、果実は酸味のある味が好きなのだ。
 遠く、まさしく城のようなシャトーの彼方に、赤く絵の具で染めたような夕焼けが空を染めた。そして、長く布のような雲が流れた。
 
 夜、大鐘楼から見下ろした広場の前にある小さなレストラン「Bouchon」で食べた夕食の定食は絶品だった。私が今まで食べた貧しい食の履歴の中では最高級と思われ、思わずメニューを書き写した。
 若いウサギの肉に野菜添え、鶏肉とリンゴの軽い油揚げ、フレッシュチーズあるいは赤い実の入ったクリーム(選択)。これで、95フランである。これに、もちろん当地のワインを飲んだ。シャトー・ラ・クロア・モントララル、シャトー・ケロー・ラ・マルタン。ワインは両方ともどの程度のものか知らないが、そんなことはどうでもよかった。

  空に真赤な雲の色
  玻璃に真赤な酒の色
  なんでこの身が悲しかろ
  空に真赤な雲の色   
           (北原白秋)
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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2005-08-25 17:39:18
こんにちは。

突然ですが、この人って有名ですよね?!

http://love-tear.cx/

最近自分もお世話になってるんです♪

かなりの実力者ですよ!!
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