かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

多久の水琴窟

2007-01-19 15:52:58 | 気まぐれな日々
 多久市は佐賀のちょうど中ほどに位置する小さな市である。地味な佐賀県の中でも、多久市は控えめな街である。
 ここは昭和中頃まで炭鉱町として栄えた街(市)であるが、今は他の街と同じく特性を持てないで、じっと耐えているように思える。しかし、もっと注目されていい街である。
 
 その多久市にぶらりと行った。
 この街で真っ先に聞く名前が「聖廟」である。つまり、ここに孔子を祀った廟があるのである。
 徳川の政権が落ち着きを見せた元禄の頃、江戸幕府は儒学を重んじるために、元禄3年(1690)に、湯島に聖堂を建てた。以来、各地の藩校がこれを習った。
 佐賀の多久に、元禄12年(1699)学問所が設けられ、すぐの宝永5年(1708)には、聖廟が創建された。
 しかし、鍋島の藩主の下の佐賀(市)の藩校ではなく、当時は名もない村の多久に建てられたことが注目に値する。
 
 聖堂の大元(本拠地)といえば、孔子の生誕の地である中国山東省曲阜に、明の時代の1500年に建てられた大成殿といわれている。その大成殿も湯島の聖堂と同じく、火災・戦火で焼失し再建されたものだ。
 多久の聖廟は、創建当時の姿を保っている意味でも、世界的に稀有な建物とされている。聖廟の建設には佐賀の儒学者が、孔子像の鋳造には京都の儒学者が中心となった。朱塗りの中国風の建築は、静かな木々に囲まれて、堂々と言うより飄々と佇んでいる。

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 この聖廟の近くにある、西渓公園に囲まれた、多久市の郷土および歴史資料館がある。この公園は、多久出身の高取伊好のゆかりの地である。
 高取伊好とは、石炭産業開発の先駆者で、佐賀の石炭王である。
 明治初期、東京で鉱業を学んだ高取は、唐津で石炭採掘を起こす。その後、多久で炭鉱を起こした後、北方で石炭採掘を始め、杵島鉱業所を起こす。のちに、北方、大町、江北町にまたがる、県下最大となる杵島炭鉱である(杵島炭鉱は、昭和30年代に住友に移行)。
 
 ちなみに、日本最大の炭鉱地帯である福岡筑豊の炭鉱・御三家といえば、旧庄屋出身の「麻生」氏、旧黒田藩士「安川・松本」グループ(明治鉱業)、炭鉱夫から一代で財をなした「貝島」氏である。
 その後、石炭王として全国に有名になったのは、華族で歌人である絶世の美女「柳原白蓮」と結婚(彼は再婚である)した「伊藤伝衛門」を挙げなければならない。白蓮が他の男の元へ逃げてさらに世間を賑わすことになるのだが、この物語はのちに原節子主演で映画『麗人』として封切られた。

 明治以降、石炭が国の富国強兵のもと、エネルギー産業の核を担うと、炭鉱で一山あてようと数多くの山師たちが、全国に出没するのであるが、当時の北九州の炭鉱王たちの財は、想像を超えるものであった。
 
 佐賀の炭鉱王、高取伊好の足跡も、県内にいくつも見出すことができる。つまり、彼は県内各地の小学校をはじめ、莫大な寄付、贈与をしていることが資料に記載されている。
 大町町駅前の福母八幡神社に続く道に立つ石造大鳥居にも、高取の名が刻まれている。
 高取家の別邸が、現在、唐津に残っている。能舞台があるモダンな建築様式は、藤森東大教授などの建築史家によって注目されていて、現在唐津市によって昨年(2006年)より一般公開されるようになった。

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 多久の西渓公園は高取家にゆかりの地で、高取伊好の像がある。公園の隅に、別邸であろうか、お茶や食事を楽しんだと思える質素ともいえる家がある。公園が庭のように設えてある。その庭先に手水鉢があった。
 足を止めると、竹先から水が流れていて、下の石を敷いた蹲(つくばい)に穴があって水か滴り落ちていた。
 そのとき、キンという音がした。鐘の音とも鈴の音とも言えない音だった。とても耳に心地よく響いた。その音は、リズミカルに、断続的に続いた。
 それが何の音か最初は分からず辺りを見回したが、水琴窟の音だと知ったのは、その横に表示板が掲げてあったからである。

 水琴窟とは、蹲の下(地底)に穴を彫り、底に穴をあけた瓶を逆さに埋めて、その穴に落ちた水が地に落ちた時に、音が瓶に反響するように造った仕掛けである。瓶の大きさや構造により微妙に違った音がする。日本の庭師の芸術的遊び心である。
 あまりにも、音が鮮明だったので、しばらく聴きほれていた。
 そして、以前水琴窟の音を聴いたのは、どこでだったか思い出そうとしたが、思い出せない。水琴窟は江戸時代中ごろ造られ始めたが、長い間造るのが途絶えていた。しかし、一時期、研究再造された時期があった。

 しばらく聴いていたが、以前聴いた水琴靴の音よりあまりにもきれいで大きな音だったので、疑問がわいてきた。
 公園の係員の人にそのことを訊ねると、よく分かりましたね。実際は聴こえるか聴こえないかの大きさなので、音を大きくするマイクを仕掛けてあるということだった。
 こういう素朴な田舎街でも、人工的効果が加味されているのかと少しがっかりした。
 しかし、はっきりと水琴窟の音を聴いたのは、どこでだろう。思い出せないので、喉に魚の刺がひっかかったような気分だ。
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