監督:アンドリュー・バーグマン 出演:ニコラス・ケイジ ブリジット・フォンダ ロージー・ペレズ 1994年米
僕はギャンブルはやってきたけど(今はやらないが)、宝くじは買わない。
競馬や競輪の馬券や車券を買うのは、単なる番号を買うのではなく、少しは推理が入り込む。いや、推理する楽しみがある。
カジノ(カシノ)だって、推理に加えてディーラーとの対決がある。単純なルーレットであれ、そう思える。それにまず、ギャンブル(賭け)をやるには、自らの足で、そこ(カジノ場)へ行かなければならない。映画を観に、あるいは音楽を聴きに会場に行くように。入場券を払って、だ。
ましてや、麻雀に到っては、3人を相手に頭をフル回転させ、目まぐるしく変わる状況を見ながら、ときには心理作戦をちらつかせながら、勝負を競わなければならない。ギャンブルといえども、囲碁や将棋の闘い(戦局)に近い。
しかし、宝くじはそうではない。番号が印刷された紙切れを買ったら、あとは結果を待つだけである。その数字が当たるか当たらないかに、自分の推理や意志や、ましてや努力が働く余地はない。
そこには、スリルもない。つまり、僕は何の面白みも魅力も感じないのである。
それに、宝くじの還元率、払い戻し率の悪さである。
ギャンブル(賭け)やクジは、胴元が必ず儲けを出すために、還元率は1(100パーセント)以下である。そうしないと、胴元(例えばカジノ)はつぶれることになる。
単純なルーレットの場合でも、ラスベカスルーレット(「0」「00」がある)の場合は約95パーセントで、ルーレットモンテカルロ(「0」がある)に到っては約97パーセントである。ヒフティ・ヒフティに近い。
わが国の公営競馬の場合は、還元率75パーセント(近年、単勝・複勝は80パーセントに)である。
しかし、宝くじはそうではない。朝日新聞の記事「今さら聞けない+宝くじの買い方」によると、国内の公営クジの還元率はすべて45パーセント近辺とある。これは、当選金付証票法で5割を超えてはいけないと決まっているからだそうである。
つまりわが国の宝くじは、半分以上は胴元に、つまり国に税金として持っていかれているのである。税金を積極的に納めるのは悪いことではないので、それはそれでいいのだが。
*
映画「あなたに降る夢」(It could happen to you) は、宝くじに当たった男の物語である。
ニューヨークの人のいい警察官(ニコラス・ケイジ)が、レストランで食事の支払いをしようとすると、ウエイトレス(ブリジット・フォンダ)に払うチップ代が足りない。男は、チップ代の代わりに、買った宝くじが当たったら半分やるので、それで許してくれ、と言って店を出る。ウエイトレスもあてにしていなくて、それでいいわと言って手を振る。
ところが、その宝くじが当たり、400万ドルが入ることになる。
1990年代前半は、1ドル120~150円ぐらいで、日本円に換算すると約5~6億円ということになる。
真面目な警官は、妻(ロージー・ペレズ)の反対を押し切って、正直にウエイトレスの彼女に半分を渡すことにする。最初は冗談と思っていたウエイトレスは、それが本当だと分かって戸惑ってしまう。彼女はその申し出を最初は断わるが、正直な警官は約束だと言って、払う。
このことを、マスコミは美談として持ち上げる。
ここから、本当の物語は始まる。
急に持ちなれないものを持つと、人生がおかしくなると言うではないか。
しかも、舞台はアメリカ・ニューヨークで、ラブ・コメディである。山あり谷ありでハッピーエンドで終わる。
これが、実際にあった話をもとにした物語だというのが面白い。
こういう物語があるから、宝くじを買う人が絶えないのかなあと思ったりもする。
さて、ここで問題なのは、警官の立場になったときに、自分だったらどうするだろうか、である。正直に、200万ドルをウエイトレスに渡すだろうか?
美人だったら渡すのだろうか? 相手が嫌みな女性だったらどうするだろうか?
こんなことで悩むのは、取り越し苦労ではあるが。
僕はギャンブルはやってきたけど(今はやらないが)、宝くじは買わない。
競馬や競輪の馬券や車券を買うのは、単なる番号を買うのではなく、少しは推理が入り込む。いや、推理する楽しみがある。
カジノ(カシノ)だって、推理に加えてディーラーとの対決がある。単純なルーレットであれ、そう思える。それにまず、ギャンブル(賭け)をやるには、自らの足で、そこ(カジノ場)へ行かなければならない。映画を観に、あるいは音楽を聴きに会場に行くように。入場券を払って、だ。
ましてや、麻雀に到っては、3人を相手に頭をフル回転させ、目まぐるしく変わる状況を見ながら、ときには心理作戦をちらつかせながら、勝負を競わなければならない。ギャンブルといえども、囲碁や将棋の闘い(戦局)に近い。
しかし、宝くじはそうではない。番号が印刷された紙切れを買ったら、あとは結果を待つだけである。その数字が当たるか当たらないかに、自分の推理や意志や、ましてや努力が働く余地はない。
そこには、スリルもない。つまり、僕は何の面白みも魅力も感じないのである。
それに、宝くじの還元率、払い戻し率の悪さである。
ギャンブル(賭け)やクジは、胴元が必ず儲けを出すために、還元率は1(100パーセント)以下である。そうしないと、胴元(例えばカジノ)はつぶれることになる。
単純なルーレットの場合でも、ラスベカスルーレット(「0」「00」がある)の場合は約95パーセントで、ルーレットモンテカルロ(「0」がある)に到っては約97パーセントである。ヒフティ・ヒフティに近い。
わが国の公営競馬の場合は、還元率75パーセント(近年、単勝・複勝は80パーセントに)である。
しかし、宝くじはそうではない。朝日新聞の記事「今さら聞けない+宝くじの買い方」によると、国内の公営クジの還元率はすべて45パーセント近辺とある。これは、当選金付証票法で5割を超えてはいけないと決まっているからだそうである。
つまりわが国の宝くじは、半分以上は胴元に、つまり国に税金として持っていかれているのである。税金を積極的に納めるのは悪いことではないので、それはそれでいいのだが。
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映画「あなたに降る夢」(It could happen to you) は、宝くじに当たった男の物語である。
ニューヨークの人のいい警察官(ニコラス・ケイジ)が、レストランで食事の支払いをしようとすると、ウエイトレス(ブリジット・フォンダ)に払うチップ代が足りない。男は、チップ代の代わりに、買った宝くじが当たったら半分やるので、それで許してくれ、と言って店を出る。ウエイトレスもあてにしていなくて、それでいいわと言って手を振る。
ところが、その宝くじが当たり、400万ドルが入ることになる。
1990年代前半は、1ドル120~150円ぐらいで、日本円に換算すると約5~6億円ということになる。
真面目な警官は、妻(ロージー・ペレズ)の反対を押し切って、正直にウエイトレスの彼女に半分を渡すことにする。最初は冗談と思っていたウエイトレスは、それが本当だと分かって戸惑ってしまう。彼女はその申し出を最初は断わるが、正直な警官は約束だと言って、払う。
このことを、マスコミは美談として持ち上げる。
ここから、本当の物語は始まる。
急に持ちなれないものを持つと、人生がおかしくなると言うではないか。
しかも、舞台はアメリカ・ニューヨークで、ラブ・コメディである。山あり谷ありでハッピーエンドで終わる。
これが、実際にあった話をもとにした物語だというのが面白い。
こういう物語があるから、宝くじを買う人が絶えないのかなあと思ったりもする。
さて、ここで問題なのは、警官の立場になったときに、自分だったらどうするだろうか、である。正直に、200万ドルをウエイトレスに渡すだろうか?
美人だったら渡すのだろうか? 相手が嫌みな女性だったらどうするだろうか?
こんなことで悩むのは、取り越し苦労ではあるが。
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