写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

差別発言

2021年02月11日 | 生活・ニュース

 「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと、時代錯誤の女性蔑視発言をしたあげく、居直り謝罪の醜態にもかかわらず、東京オリ・パラ大会組織委員会会長の座にとどまっている森喜朗元首相に対する風当たりは、日を増すごとに強くなっている。

 この発言がテレビで流されたとき、世間が猛烈なバッシングをするのを見て、あの程度の発言で辞任を迫るなんて少し大げさ過ぎないかと一時は感じていた。しかし、ここぞとばかりに、我も我もと森会長たたきはエスカレートしてゆき、今や、女性蔑視の権化にまでされつつある。

 最近はとみに「差別」に厳しくなってきている。行動のみならず言葉でも差別用語は禁じられている。子供の頃は、日常会話で使っていた単語も、今は禁句となっているものは結構ある。

 森会長が発した言葉の中では、単語としての禁句はないが、語られている内容が「性差別による女性蔑視」となっている。改めて「蔑視」とはなにか。「相手をあなどって見くだすこと。ばかにすること」とある。

 オリンピック憲章には「人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的ルーツ、財産、出自やその他の身分など『あらゆる形態の差別』を容認しない」と書いてある。

 日常の会話の中ではよく「今頃の若者は○○だね」とか「血液型のA型の人は○○な人が多いよね」などと、性差ではないにしても、特定な人をつかまえて悪気はなく差別する言葉を発することはよくある。

 厳密にいえばこんな会話も「差別的蔑視」には違いない。特に公人が、特定な多数の人に対しての「差別的な発言」は、今の時代決して許されるものではない。

 飲み会などの席で、複数いる女性の中の1人に対して「おきれいですねえ」という発言も、おきれいでない方に対しての差別発言として、やんややんやと責め立てられかねない。そこの殿方、特に女性を前にしたときは、お互いくれぐれも気をつけましょう。軽い冗談で言ったつもりの言葉が、炎上することになりかねない今日、春隣りとは言いながらも「物言えば唇寒し秋の風」ではある。

 

 

 

 


五橋を渡る

2021年02月08日 | 季節・自然・植物

 2月に入って第1日曜日の7日、日中は16度という3月上旬の陽気に誘われて、久しぶりに錦帯橋へ出かけた。吉香公園の中をゆっくりと車に乗って回ってみるが、どの駐車場も満車状態で止めるところはない。

 錦帯橋の上河原にある広い駐車場もほぼ満車の有り様。少し待って、やっと空いた所に止めることが出来た。下河原の駐車場を見ると、乗用車は日ごろになく多いが、観光バスは1台も止まっていない。コロナ下で不要不急の外出がはばかれ、不本意にも巣ごもり状態を強いられている人が、家族単位で観光に来ているだけであろう。団体客は全くいないようである。

 久しぶりに錦帯橋を渡ってみる。岩国市に住む高齢者に配られている敬老優待券を示せば無料で渡ることが出来る。欄干が思いの外、痛みが進んでいることに気がついた。思えば「平成の架け替え」があったのが、2001年(平成13年)~2004年(平成16年)である。あれからもう16年、過ぎ行く時の速さに少し驚く。

 第2、3、4橋に敷設されている段差の低い階段を1段ずつゆっくりと上り下る。初めて段数を数えてみた。上りと下りで62段、3橋で合計186段ある。5橋の長さは橋面に沿って210mあるので往復して420m。  

 高校時代の3年間、毎日この橋を渡って通学した。特に雪が降って橋の上に積もった日の思い出は強烈である。誰もが一度は滑って転げて笑われたが、笑った者もそのうち転げる。そんなことを思い出して一人密かに笑む。

 車に戻ったときには、陽気のせいもあってか体がポカポカする。今日は夕方の散歩はお休みとしよう。困ったときの錦帯橋。先の見えない長い巣ごもりで鬱積していたものが大分晴れたような気がした。


ああ、ややこしや

2021年02月05日 | 生活・ニュース

 先日、「任期満了に伴う西之表(にしのおもて)市長選挙は、開票の結果、現職が2期目の当選を果たしました」というテレビのニュースを見ていた奥さんが、「『にしのおもて』じゃあなくて、『いりおもて』でしょう。アナウンサーは間違って読んでいるんじゃあないの」という。

 この市長選は、同市の無人島・馬毛島で、国が計画する米空母艦載機の陸上離着陸訓練の移転と自衛隊基地整備が大きな争点となっていた。基地整備に反対していた無所属現職が自民推薦候補を抑えて当選したことが、全国ニュースとなって流されていた。

 「西之表」という文字を見て私も「いりおもて」と読みそうになったが、そう読むには「之」という字が余分である。果たして、アナウンサーの読み違いかどうか、ネットで調べてみた。

 西之表市とは、鹿児島の南西、僅か30㎞のところにある鹿児島県の種子島にある市で「にしのおもてし」と読む。一方「西表島」は「いりおもてじま」と読む。沖縄県の竹富町に属する八重山列島の島の一つ・石垣島の西、20㎞のところにある島の名前である。

 では「西之表」と「西表」、おなじ「西」という字を片方だけは「いり」と読む。その理由は何なのか。沖縄では、東西南北は、東が「あがり」、西が「いり」、南が「はい」、北が「にし」という。従って西表を「いりおもて」と読む。由来は、東と西は太陽が上がって入るところからきているからである。

 「いりおもて」の由来は、昔八重山の中心地であった石垣島や竹富島から見て西にあるからだという。何れにしても、日本の西の海上に「西之表」と「西表」という見た目は似ているが、読み方の違う地名があるということが分かった。ああ、ややこしや、ややこしやである。ここは正確に読んでいたアナウンサーにかんぱ~い。


辛いを幸いに

2021年02月04日 | 生活・ニュース

 今朝(4日)、東レの渥美由喜氏が書いた新聞のコラムで、いいことを学んだ。自殺大国と言われて久しいに日本は、危機感を持って対策を講じ、2019年の自殺者数は、1978年以降、最低水準まで下がった。しかしながら、コロナ禍で11年ぶりに増勢に転じ、6年前の水準に戻る勢いだという。

 対策の一つは、自らが多面性を持つこと。辛い時には家族の声援や、家庭人やボランティアなどの地域人としての側面に支えられる。もう一つの対策は、辛い人には横から手を伸ばしてあげる。「辛い」という字は、横に一本線を引くと「幸い」という字に代わる。

 つまり、横から差し伸べられる手があれば、幸いな日に変わるという。こうして人の心を照らした輝きは、明るいところでは分からない。薄暗い中で周りの人を照らす人が、輝いている人である。先の見えないコロナ禍であるからこそ、横に手を差し伸べることを大切にしたい、と書いている。

 私も以前から「辛い」という字は、一番上に横に1本線を引くだけで「幸い」という字に変わるということは認識していた。しかし、このコラムにあるように、「横1本の線」を「辛い時に横に伸ばす手」だというように解釈するには至っていなかった。

 菅総理が自らの政策理念として掲げている「自助・共助・公助」という言葉があるが「互助」という言葉が欠落していないか。社会人として生きていく上で、まずは「自助」。それが困難になったときには子供や地域の人やボランティアによる「互助」や、メリットを享受する人たちが互いにその費用を負担し合う保険や年金などによる「共助」。どうにもならなくなった時には生活保護など税金による「公助」である。

 この観点からいえば、「横1本の線」とはまさに「互助」ということになるが、地域人と言えども、お互いの絆が細っている今、「互助」を過度に期待できない。「互助」は、法を整備すれば機能するわけではなく、他人のことを自分のこととして思いやる心の持ち方であろう。

 自分のことで精いっぱいの私でも、せめて車を運転するときくらいは、「お互いさま」「お先にどうぞ」の「互助」の精神で、歩行者と他の車に優しくしたいと思っている。


縁の下の力持ち

2021年02月02日 | 車・ペット

 お昼を済ませた後、奥さんがスーパーに買い物に出かけてくると言って、出窓の下にあるガレージに出た。しばらくすると、出窓のガラスを叩いて私を呼ぶ。窓を開けると「エンジンがかからないのよ」と訴えるではないか。

 そう言われれば、心当たりは無きにしもあらずであった。昨年の9月、車検を受けた時、バッテリーの交換を勧められていたが、まだ特に不都合を感じるようなことはなかったので、「またの機会にします」と断っていた。

 年が明けると毎日寒い日が続いていた。そんな日々、車で出かけようとしてエンジンのスイッチを押す。いつもなら直ぐにブルブルと快音を残してエンジンがかかるのに、10日くらい前からエンジンの始動が、ブルブルブル~と少し時間がかかるようになっていた。

 思えば7年も前に買ったバッテリーである。そろそろ寿命が近づいたのかなとは思っていたが、エンジンはかかるので乗っていた。ところが冷たい冬の雨がそぼ降る日、このありさまである。即座にバッテリー切れだと判断した。

 広島にあるディーラーに電話すると、車を持っていけば交換してくれるが、値段を聞くと6、7万円するという。近くにあるイエローハットに電話してみると適応する在庫があり、値段は3.7万円とずいぶん安い。イエローハットに持っていくことにした後、保険会社に電話すると、30分後には強力なバッテリーをもったサービスカーが来てくれ、エンジンを動くようにしてくれた。

 苦しい時の神ならぬ保険頼みである。エンジンのかかった車を運転しイエローハットに一目散。予定外の出費とはなったが「バッテリーの寿命は3~4年です。7年ももてば御の字です」と言われ、頭を深く下げて帰ってきた。

 バッテリーなどは、日ごろ目にすることはない縁の下の力持ちの存在である。一旦ストをすると手の打ちようはない。そういう意味では、うちの奥さんも同じ存在。日ごろから顔を見たりして、もう少し大事にしなければと思うことしきりであった。