写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

辛いを幸いに

2021年02月04日 | 生活・ニュース

 今朝(4日)、東レの渥美由喜氏が書いた新聞のコラムで、いいことを学んだ。自殺大国と言われて久しいに日本は、危機感を持って対策を講じ、2019年の自殺者数は、1978年以降、最低水準まで下がった。しかしながら、コロナ禍で11年ぶりに増勢に転じ、6年前の水準に戻る勢いだという。

 対策の一つは、自らが多面性を持つこと。辛い時には家族の声援や、家庭人やボランティアなどの地域人としての側面に支えられる。もう一つの対策は、辛い人には横から手を伸ばしてあげる。「辛い」という字は、横に一本線を引くと「幸い」という字に代わる。

 つまり、横から差し伸べられる手があれば、幸いな日に変わるという。こうして人の心を照らした輝きは、明るいところでは分からない。薄暗い中で周りの人を照らす人が、輝いている人である。先の見えないコロナ禍であるからこそ、横に手を差し伸べることを大切にしたい、と書いている。

 私も以前から「辛い」という字は、一番上に横に1本線を引くだけで「幸い」という字に変わるということは認識していた。しかし、このコラムにあるように、「横1本の線」を「辛い時に横に伸ばす手」だというように解釈するには至っていなかった。

 菅総理が自らの政策理念として掲げている「自助・共助・公助」という言葉があるが「互助」という言葉が欠落していないか。社会人として生きていく上で、まずは「自助」。それが困難になったときには子供や地域の人やボランティアによる「互助」や、メリットを享受する人たちが互いにその費用を負担し合う保険や年金などによる「共助」。どうにもならなくなった時には生活保護など税金による「公助」である。

 この観点からいえば、「横1本の線」とはまさに「互助」ということになるが、地域人と言えども、お互いの絆が細っている今、「互助」を過度に期待できない。「互助」は、法を整備すれば機能するわけではなく、他人のことを自分のこととして思いやる心の持ち方であろう。

 自分のことで精いっぱいの私でも、せめて車を運転するときくらいは、「お互いさま」「お先にどうぞ」の「互助」の精神で、歩行者と他の車に優しくしたいと思っている。