写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

城の崎にて

2020年10月29日 | 生活・ニュース

 志賀直哉は、「城の崎にて」という5千字程度のごく短編の小説を30歳の時に書いている。1913年、東京に滞在していた直哉は「出来事」という小説を書き上げた晩に、里見弴と一緒に素人相撲を見に行くが、その帰り道に、山手線の電車にはねられ重傷を負い入院する。その養生のために城崎温泉に3週間滞在した。その時、蜂・鼠・イモリという3つの小動物の死を目撃する。

 事故に際した自らの体験から、徹底した観察力で生と死の意味を考えて書いたものが「城の崎にて」で結実する。簡素で無駄のない文体と適切な描写で無類の名文とされている。

 城崎温泉といえば、平安時代以前から知られる温泉で、7つある外湯めぐりを主とした温泉である。筆頭とされる「一の湯」は、江戸時代中期の漢方医が泉質を絶賛し、「日本一」の意味を込めて後に「一の湯」と命名したものだという。

 そんな城崎温泉には、結婚したばかりの40年も前に、1度車で出かけたことがある。このたびGoToトラベルを使って、車で再び出かけてみた。宿は温泉街から少し離れたところしか取れなかったが、念願の外湯「一の湯」には行ってみた。

 しっとりとして、肌に優しいお湯であった。旅から帰った翌日、書棚に「城崎にて」の文庫本があることを思い出して再読してみた。小説の中ほどに「ある午前、日本海の見える東山公園へ行くつもりで宿を出た。『一の湯』の前から小川は往来の真ん中をゆるやかに流れ、円山川へ入る」と温泉街の風景を描写している。

 結局この短編小説の中で、直哉が事故後もこうして元気に歩いていることに対して感謝しなければ済まないと書き、結論付けていることといえば「生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした」と書いている。
 

 蜂・鼠・イモリの死を目撃することにより、生と死は、何でもないほんの些細な出来事で決まるものだという人生観に至ったということだろうか。そうであればとっくの昔に私はそういう心境に至っているが、直哉と私の差はそんなものではない筈である。