写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

風立ちぬ

2016年08月29日 | 季節・自然・植物

 昨夜(28日)は、東日本に上陸しそうな台風10号の影響を受けて、夜遅くから久しぶりの大雨に見舞われた。激しい雨音で寝つかれないくらいであったが、今朝、いつもよりは早く目が覚めたときには明るい陽が差し込んでいた。7時を過ぎたころ、新聞を取りに外に出た。あれだけ降ったにもかかわらず、アスファルトの道路も駐車場も、ところどころに小さな水たまりはあるものの、もう乾いている。

 東の空に向かって大きく背伸びをした時、谷間から涼しく柔らかな風がそよと吹きぬけて行った。「あっ、秋風だ」と思った。ことのほか暑かったこの夏。日中は一歩も外に出ることなく家の中で過ごしていたので、日々の外気の変化に疎くなっていたが、風の涼しさは感じることが出来た。

 それもそうだろう。今はもう8月の終わり。8月7日には立秋を23日には処暑を迎え、暑さが和らぐ頃となっているので、朝夕、涼しい風が吹き始めるのも納得がいった。しかし、いつものことであるが、立春や立秋などの24節気を迎えるたびに、季節の実感と大きなずれがあることに疑問を感じていた。

 立秋を迎えれば、そのころから涼しくなってくるのだと勝手に思っていた。ところがそうではないことを初めて知った。暑さが頂点に達し、一年のうちで一番暑い時期だからこそ立秋という名前がつけられている。立秋という言葉は「秋気立つ」から来ていて、この時期から秋の気配が少しずつ現れ始めるという意味である。

 それまでは暑さが日に日に増していたが、立秋の時点から少しずつ秋の気が入り始め、これ以上は暑さが増さないということで、まだ暑い日はしばらく続くという日が立秋という日である。同じように立春は、冬たけなわの頃、立夏は春たけなわの頃を言う。間違っても「立秋なのにちっとも涼しくないな」などといわないようにしないといけないことを知った。

 こんなことを書きながら、秋の気配を感じる頃になると「秋立ちぬ」という言葉を思い出す。堀辰夫の小説のタイトルではなく、松田聖子の歌の方である。
 ♪ 風立ちぬ 今は秋 帰りたい帰れない あなたの胸に 
   風立ちぬ 今は秋 今日から私は 心の旅人 ♪

 切ない夏の短い恋の思い出を胸に、秋に向かって新しい心の旅に出かける乙女心を、泣きだしそうな顔で詠った名曲である。こんな恋とは無縁なこの歳になっても、「秋立ちぬ」という言葉は、あの暑い夏がやっと終わったことを思わせる反面、なぜか少しばかり懐古的な気持ちにさせる不思議な言葉である。