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写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

コイの結末

2018年10月24日 | 車・ペット

 今年の4月、長男一家が広島から東京に引っ越しをする際、孫息子が飼っていた1匹の黄金のコイを我が家に置いて行った。体調が15cmくらいの痩せてひ弱そうなコイであった。

 その辺の小川にでも捨てようかと思ったが、孫が可愛がっていたものを、おいそれと捨てる訳にはいかない。仕方なく水槽を屋外に置いて飼い続けることにした。毎朝夕、粒状の餌を一つまみ水槽に撒いてやる。警戒心が強く底の方に沈んだままで、エサを食べに水面に上がってくるようなことはなかった。

 1か月も過ぎたころから、エサを撒くのを待っているかのように、私が近付くと水中を嬉しそうに泳ぎ回るようになった。体調も20cmを超え、胴回りもふっくらと大きくなり、黄金色は輝くばかりで、持ち込まれてきた頃とは雲泥の色形になっていた。

 ところが一つ問題がある。水槽の大きさがコイにとっては小さくなり、元気に泳ぎ回ることが難しくなってきている。何とかしてやらなければいけないと考えていた。

 ところがつい先日のことである。いつものように朝、エサをやりに出た。元気に大きな口をパクパクさせてエサを食べた。数時間後、庭に出てコイを観察しようと思って水槽を覗いてみるが姿が見えない。水草を手で除けてみるが、どこにもいない。

 奥さんに伝えると「最近猫が庭に出入りしていたから、取られたのでは」という。それにしても水槽の水深は30cmもある。猫が手を入れて取るだろうか。それとも、イタチか鳥が取ったのかも。水槽の周りには水が大量にはこぼれていない。何者がどんなにして持って行ったのか。

 半年間の付き合いで、やっと気心が通じ始めていた矢先の出来事である。ここ数日はコイを失い、まさに失恋したような淋しい日々を送っている。コイよ、帰ってコ~イ。


頭でっかち

2018年06月05日 | 車・ペット

 毎年のことながら夏が近づいてくると、涼し気に泳ぐ鑑賞魚を飼ってみたくなり、ホームセンターでメダカを20匹ばかり買って楽しんでいた。ところが、水槽の手入れはきちんとやっている積りであるが、水を取り替えた後、毎回数匹ずつ死んでいき最後には「そして誰もいなくなった」状態になってしまう。

 「もう今年は飼うのは止めよう」と思っていた時、一家そろって東京に引越しをしていった長男が、黄金色をした1匹の痩せた鯉が入った大きな水槽を置いていった。川に捨てる訳にもいかず、毎日せっせとエサやりに励んでいること1か月、太ってきて少し懐くようになってきた。

 これに気分を良くして、私好みの観賞魚を飼ってみたくなり、2種類の小ぶりな金魚を2匹ずつ買って帰った。ひとつはオランダシシガシラというもので、頭部に肉瘤が発達した琉金の突然変異個体である。

 もうひとつは丹頂というもので、鶴の丹頂から名前がきているように、頭部が赤く、胴体はすべて真っ白な二色のコントラストが美しい品種である。特徴はなんと言ってもオランダシシガシラと同様、頭部にある赤い肉瘤である。

 いずれの体型も丸みを帯びており、泳ぎ方は身体全体をくねくねして泳ぐが、どう見ても泳ぎは得意げには見えない。それはそうだろう。いずれも頭の上に体に似合わないほどの大きな肉瘤を乗せているのだから。

 体の大きさに比べて、頭が大きいことを「頭でっかち」と表現するが、外見からの体つきをいうだけでなく、 知識や理論が先走って行動が伴わないことをいうことが多い。この点は、まるで私の分身のような金魚と言えそうで、愛着も一入で肉瘤が大きくなるのを楽しみにしている。

  

 


置き土産

2018年05月06日 | 車・ペット

 東京で単身赴任をしている長男は、広島で過ごしていた留守家族を、息子の高校進学を機に引きまとめて、8年ぶりに東京で家族3人で一緒に住むことにした。この大型連休を使って引っ越し作業を終え、荷物を出した日の夜遅く、3人が車で我が家にやってきた。

 調布市の静かな雰囲気の3階建てのマンションを借り、それぞれ通勤や通学に1時間10分程度かかるという。そんな話を聞きながら、30年前、私がやはり長男と同じ年頃の時に、東京に転勤した時のことを思い出してみた。

 80歳を前にし、少し体の具合が悪い両親を姉に頼んで、一家そろって横浜のマンションに引っ越しをした。出発の時、両親に挨拶に行くと、母は泣きながら見送ってくれた。まだまだ東京が、行くにしても帰って来るにしても遠い場所のころの話である。

 それに比べると、息子家族の旅立ちは明るい。翌日の朝9時、出て行く車に向かって「ゆっくり気を付けて行けよ」と言うと「うん。じゃあ元気でね」と言い、3人がそれぞれ窓から手を振りながら東京に向かって出発をしていった。

 岩国錦帯橋空港から飛べば、1時間半もあれば東京に行くことができる。昔と違って時間距離は格段に縮まったせいだろうか、滅多に会えないというような悲壮感は双方ともにない。明るい別れであった。

 見送る車が角を曲がって見えなくなり、家に入ると玄関の廊下に置いてある水槽の中で「ざぶざぶざぶ」と水が流れ落ちる音がする。孫が7年間飼っていたという鯉が1匹、やせた体で泳いでいる。最近忙しくて餌をやっていないから痩せたようだが、息子家族の唯一の置き土産。この鯉を孫だと思ってかわいがってやることにしたが、口がついているものは面倒だが仕方ない。「こどもの日」に、孫の代わりに鯉が1匹やってきた。

 

 


ローデシアン・リッジバック犬

2017年11月05日 | 車・ペット
 夕方5時半、陽も落ちたころ散歩から家の前まで帰ってきた。その時、前方からシェパードくらいある大きな濃い茶色の犬を引いて外国人の男がやってきた。5mくらいまで近づいた時、突然犬が私に向かって吠え始めた。

 怖くなって傍の駐車場の中に駆け込み、メッシュフェンスを介してこの犬と対峙した。「ダイジョウブデス、カミツイタリシマセン」と言いながら、外国人は犬を抱きしめてにこやかな顔をしている。

 この男、そこそこ日本語が話せる。近くにある瀟洒な日本家屋を、外国人が数年前に買って住んでいることは知っていたが、この男であることを知った。奥さんは日本人、男の子がいるという。日本語交じりと英語交じりの会話が始まった。

 「この犬の種類は何ですか?」「
ローデシアン・リッジバックといい、南アフリカ原産です。ライオン狩りに使われる犬で、背中の毛が直線状に頭の方に向かって生え、リッジ(隆起線)があるのが特徴だ」といいながら、背中の毛を逆なでして見せた。

 それで分かった。体躯は大きく目も精悍で、体つきは好戦的に見える。こんな犬をペットとして買うのは難しそうだが、見かけよりは優しい犬のようである。「ワタシノナマエハ レング です。L・e・n・gト カキマス。アナタノナマエハ ナンデスカ」といわれて、すぐ目の前にある我が家を指さしながら、きちんと答えておいた。

 米軍基地で英語の先生をしていると自己紹介をした。「こんどゆっくり、コーヒーでも飲みながらお話しましょう」と言っておいたが、果たしてLengさん、ほんとに来てくれるかどうか。やってきたら、片言の英語と日本語と両手を使ったジェスチャーで、日米交流が果たせるか。

 時遊塾の定款に、「英会話」「国際交流」という項を追加する日は近いようである。「犬も歩けば
棒に当たる」ではなく、「私が歩けば 犬に当たる」。

マツダ・コスモ

2017年02月19日 | 車・ペット

 春一番が吹いた翌日の日曜日、久しぶりに錦町までドライブに出かけた。奥さんのたっての要望で、広瀬という小さな盆地にある堀江酒場に向かった。江戸中期、長州毛利氏の藩政時、この地でその家臣であった堀江太朗兵衛が宝暦から明和にかけ造り酒屋を興したのが始まりだという。

 現在は12代目が酒造業を受け継いでいる。銘柄は「金雀」といい、最近評判となっている酒を買いに訪ねて行ったが、日曜日とあって開いている店は1軒もない。町を挙げて全休であった。人影もない。猫が1匹道路を横断していくのを見ただけの静かな町であった。

 広瀬の街でUターンして、少し錦川をさかのぼったところにある「ピュアライン錦」という道の駅に行ってみた。多くの客が来ているのだろう、駐車場はほぼ満車に近い。その中に本当に懐かしい車を見つけた。個性的な独特の形をしたマツダ・コスモである。

 この車は、1967年(昭和42年)クーペモデルとして発売された世界初の量産ロータリーエンジンを搭載した車である。1972年には後期型が発表され、合計して約1500台が販売された。110馬力、全高は1165mmと低く、まさに未来的なイメージを彷彿とさせる外観に、就職して間もない若い男にとっては憧れの車であった。

 価格は148万円で、当時のダットサン・フェアレディの88万円、日産プリンス・スカイライン2000GT-Bの94万円と比べるとはるかに高価であり、月給が5、6万円であったことを考えると、まさに手の届かない高根の花であった。

 半世紀近くも経っているだろうに錆びたところは全くなく、手入れの行き届いた管理をしている。あいにく持ち主と出会えなかったが、エンジンの音を聞いてみたいと思いながらその場を離れた。古いものを大事にしている。半世紀ぶりに学生時代の旧友に出会えたような温かい気持ちになった。