
顔の皺が目立つ年老いた男が濃いアイラインをひき、真っ赤な口紅を塗るといった意表を突くシーンから始まるというこの映画、そんな中年のロックスターである主人公に扮するショーン・ペンの相変わらずの役者ぶりを楽しむと同時に示唆に富んだ台詞がちょいちょい顔を出してくれた分、良く言えば一篇の詩のようなロードムービーだったのでありました。

かつて内向的な楽曲により一世を風靡したものの、ある事件を契機に引退したロック界の元スーパースターである主人公シャイアン。
今は相変わらずのコスチュームとメイクでダブリンのショッピングモールへショッピングカートを引きずりながら出かける以外は、株の取引をするくらいで、ボランティアで消防士をやっている妻(フランシス・マクドーマンド)と静かに暮らしている。
そんな淡々とした穏やかな日常生活を描くにしても、例えば一緒にお茶する女の子に U2 のボノの娘(イヴ・ヒューソン)を起用したのはご愛敬として、どこかホンワカしながらも、それでいてどこか常にヒリヒリさせらるトーンが持続され、それが未だ煙草すら吸えない大人になりきれないシャイアンのアンバランスに繋がっていてなかなか秀逸な演出ぶり。

そして物語はそこから父親の死を契機に、アメリカ大陸を転々とし、父親が果たせなかったことを引き継ぎ、その過程で様々な人との出会いによって自己と対峙し、結果自分探しの旅となると言ってしまうとありきたりな映画となってしまうのだけど、所々に語られる意味深長な言葉の数々、あるいは浮遊感とでも言えば良いのか、その独特なオフビート感ある演出は、時にリアルに時にコミカルに心に響き、その絵画的とでも言いたくなる映像の美しさと相まって、独特の魅力を放っていたのだ。
それにしても元ロックスターの自分探しの旅の本来の目的がナチスの残党SSを追い求めるというストーリーの発想そのものが相当に可笑しいはずだ。

ただ、終盤そうした旅を終えたシャイアンが第2の故郷となったアイルランドのダブリンに戻った時の姿は、正直言って思わずあっけにとられてしまったけれど、帰るべき場所を見つけた意思表示として姿を体現したのかなぁ?

ともあれ、誰にでもオススメする作品ではありませんが、エコー・アンド・ザ・バニーメンやザ・キュアーあたりが好きな人にはアイロニカルな意味で結構楽しめるだろうし、そういった音楽に興味にない人でも前髪をフッと吹き上げる仕草も印象的なショーン・ペンの見事な演技に引き込まれる可能性は大いにあると思うので、機会があれば…!
今日の1曲 “ This Must Be The Place ” : David Byrne
タイトルはご存知トーキング・ヘッズの名曲からとっているし、劇中デヴィッド・バーン自信本人役で登場しライブシーンまで挿入されているけど、楽曲の良さはさておき、敢えて必要なシーンではなかったような気がする。
と言いつつその時の映像をば・・・
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