普段は日曜日に映画館に足を運ぶことはあまりないのだけど、今日はたまたま用事ができたこともあってついでに駅前のファッションビルの最上階にあるシネコンへ行ったところちょっとびっくり。
日曜日なんだから当然のことなのかもしれないけれど、チケット売り場にはなんとなんと長蛇の列が。
とにかく平日の変な時間帯に映画を観ることが多いものにとって、映画館にこうした賑わった雰囲気があるというのは、たとえシネコンとは言え、やはり嬉しいものであったのだけど、それよりも何よりももっと嬉しかったのは多分ほとんど人がいないじゃないのではと失礼ながら勝手に危惧していた藤沢周平原作のこの映画にも年配の人を中心に多くの人たちが詰め掛けてくれていたことだった。
思えば足の便の良い繁華街から映画館がどんどんなくなり、車でしか行くことのできない郊外型のシネコンが中心となった今、車を持たない人に対して随分不便というか、失礼な時代になったなあと思っていたので、こうしたターミナル型のシネコンというのは大いに存在価値があるなと改めて認識。
ちなみにヨーロッパに住む友人に言わせると、日本では皆無であろう例え人口が10万人とか20万人といった小都市であっても繁華街には今でも何館かの映画館が存在する都市は多く、そういった文化の違いを強く指摘されたものだったけれど、確かに街中に映画館があればもっともっといろんな意味で楽しいはずだ。
ということで、すっかり前置きが長くなったけれど、肝心の映画のほうは例えばちゃんとした時代考証に基づいているであろう小道具の数々から着物の柄にいたるまでディテールのこだわり、東北の豊かな自然の四季の移り変わりの丁寧な描き方、主演の二人の思っていた以上の好演ぶり、そしてそんな二人をサポートするベテラン俳優の存在感ある演技といったものには大いに感心させられた。
ただ、惜しむらくは30ページ程度というきわめて短い原作を膨らませた脚本がいささか散漫というか中途半端になってしまい、感心こそすれ感動にはいたらなかったのだ。
特に東山紀之扮する弥一郎が農民の窮状(その描き方もまたあまりにウエルメイド過ぎた)を察して、村井国男扮する私服を肥やし続ける諏訪に刃を振るう過程を含めた心情がが何とも見えにくいため、結果としてのカタルシスのないこと。う~ん、でありました。
加えて、曲そのものには罪はないのだけど、ラスト突如流れ出す一青窈の歌
~ 君の耳には 僕の耳には 思い当たる言葉ひらく ♪
曲調もさることながら藤沢文学とは対極の「きみ」とか「ぼく」といった言葉が明瞭に流れ出てくると、せっかくそれまで築き上げていた世界が一気に台無しとなったのは紛れもない事実だし、年配の方々の失笑を誘ったこんなセンスのないタイアップに対して製作者の見識は多いに問われるべきだと思う。
ともあれ、藤沢作品の持つ、美しい風景描写と心情、そして独特の間をうまく描いていた部分も多いにあり、撮りようによってもっともっと心伝わる作品になっただろうと思うとつくづく残念な作品でありました。
日曜日なんだから当然のことなのかもしれないけれど、チケット売り場にはなんとなんと長蛇の列が。
とにかく平日の変な時間帯に映画を観ることが多いものにとって、映画館にこうした賑わった雰囲気があるというのは、たとえシネコンとは言え、やはり嬉しいものであったのだけど、それよりも何よりももっと嬉しかったのは多分ほとんど人がいないじゃないのではと失礼ながら勝手に危惧していた藤沢周平原作のこの映画にも年配の人を中心に多くの人たちが詰め掛けてくれていたことだった。
思えば足の便の良い繁華街から映画館がどんどんなくなり、車でしか行くことのできない郊外型のシネコンが中心となった今、車を持たない人に対して随分不便というか、失礼な時代になったなあと思っていたので、こうしたターミナル型のシネコンというのは大いに存在価値があるなと改めて認識。
ちなみにヨーロッパに住む友人に言わせると、日本では皆無であろう例え人口が10万人とか20万人といった小都市であっても繁華街には今でも何館かの映画館が存在する都市は多く、そういった文化の違いを強く指摘されたものだったけれど、確かに街中に映画館があればもっともっといろんな意味で楽しいはずだ。
ということで、すっかり前置きが長くなったけれど、肝心の映画のほうは例えばちゃんとした時代考証に基づいているであろう小道具の数々から着物の柄にいたるまでディテールのこだわり、東北の豊かな自然の四季の移り変わりの丁寧な描き方、主演の二人の思っていた以上の好演ぶり、そしてそんな二人をサポートするベテラン俳優の存在感ある演技といったものには大いに感心させられた。
ただ、惜しむらくは30ページ程度というきわめて短い原作を膨らませた脚本がいささか散漫というか中途半端になってしまい、感心こそすれ感動にはいたらなかったのだ。
特に東山紀之扮する弥一郎が農民の窮状(その描き方もまたあまりにウエルメイド過ぎた)を察して、村井国男扮する私服を肥やし続ける諏訪に刃を振るう過程を含めた心情がが何とも見えにくいため、結果としてのカタルシスのないこと。う~ん、でありました。
加えて、曲そのものには罪はないのだけど、ラスト突如流れ出す一青窈の歌
~ 君の耳には 僕の耳には 思い当たる言葉ひらく ♪
曲調もさることながら藤沢文学とは対極の「きみ」とか「ぼく」といった言葉が明瞭に流れ出てくると、せっかくそれまで築き上げていた世界が一気に台無しとなったのは紛れもない事実だし、年配の方々の失笑を誘ったこんなセンスのないタイアップに対して製作者の見識は多いに問われるべきだと思う。
ともあれ、藤沢作品の持つ、美しい風景描写と心情、そして独特の間をうまく描いていた部分も多いにあり、撮りようによってもっともっと心伝わる作品になっただろうと思うとつくづく残念な作品でありました。
我々夫婦は上へ向かう途中、nikidasuさんは恐らく映画を観終わって、下へ行かれる途中だったようで、お声をかける時間がありませんでした。
「山桜」を観られたんですね。
人の多さと、あまりピンと来る映画がなかったということで、私は映画を断念してしまいました(涙)。
何となく照れ臭いですわ。
基本的に人の多いところは苦手なんですが、コンサートとか
映画館だと気にならなかったりします。
ご夫婦でデザート美味しそうでしたね。