スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス?
大学を優秀な成績で卒業し、リクルートスーツに身を包み母親の期待に沿うべくゴールドマン・サックスの面談に臨むものの、面接官の「自分とはどんな人間か?」という質問に対して全く答えられず、自分の行くべき道を失う主人公アニー(スカーレット・ヨハンソン)。
そして途方に暮れていたところにアニーならぬナニー(子守り)に間違えられ、成り行きでアッパーウエストのセレブの住込みベビーシッター兼家政婦へと進むアニーの姿を描くといったベストセラー小説の映画化作品。
ニューヨークが舞台で、しかもスカーレット・ヨハンソンとあのアリシア・キーズの二枚看板でと(本当はちょっと違うけど)勝手に思い込んでしまい、実は密かに期待感を募らせていた本作。
冒頭の都会に住むさまざまな人間をジオラマ的に紹介していくオープニングこそ、ちょいと才気を感じるものの、「メリー・ポピンズ」でもなく「プラダを着た悪魔」でもないのはさておくとしても、全体的に脚本の詰めが甘くあらゆる面で中途半端さを感じ、「アメリカン・スプレンダー」以来の監督とのコンビだったご贔屓ジアマッティも見せ場がなく、決して退屈はしないながらも可もなく不可もない出来で、少々がっかり。
原作者の実体験に基づくという子供を一切顧みず自己投資に勤しむニューヨークのセレブ母親の実態にしても今さら感が強いし、子供との触れ合いにしても、付け足し的に出てくるイケメン坊ちゃんとの恋愛にしても、その描き方はあまりに新味がなさ過ぎだし、等身大的演技(なのか?)として評判の良いスカ嬢にしてもオーラがない分、個人的には魅力を感じず困ってしまったのでありました。むむむむ。
今日の1曲 “ Supercalifragilisticexpialidocious ”
ニューヨーク自然史博物館の前での「一番長い単語は?」というシーンの中で出てくるのが、映画「メリー・ポピンズ」で有名なこの言葉。
メリー・ポピンズが競馬で勝利した後にレポーター達の取材攻勢を受ける場面で、気持ちをうまく説明できないときに歌われているこの曲を。
大学を優秀な成績で卒業し、リクルートスーツに身を包み母親の期待に沿うべくゴールドマン・サックスの面談に臨むものの、面接官の「自分とはどんな人間か?」という質問に対して全く答えられず、自分の行くべき道を失う主人公アニー(スカーレット・ヨハンソン)。
そして途方に暮れていたところにアニーならぬナニー(子守り)に間違えられ、成り行きでアッパーウエストのセレブの住込みベビーシッター兼家政婦へと進むアニーの姿を描くといったベストセラー小説の映画化作品。
ニューヨークが舞台で、しかもスカーレット・ヨハンソンとあのアリシア・キーズの二枚看板でと(本当はちょっと違うけど)勝手に思い込んでしまい、実は密かに期待感を募らせていた本作。
冒頭の都会に住むさまざまな人間をジオラマ的に紹介していくオープニングこそ、ちょいと才気を感じるものの、「メリー・ポピンズ」でもなく「プラダを着た悪魔」でもないのはさておくとしても、全体的に脚本の詰めが甘くあらゆる面で中途半端さを感じ、「アメリカン・スプレンダー」以来の監督とのコンビだったご贔屓ジアマッティも見せ場がなく、決して退屈はしないながらも可もなく不可もない出来で、少々がっかり。
原作者の実体験に基づくという子供を一切顧みず自己投資に勤しむニューヨークのセレブ母親の実態にしても今さら感が強いし、子供との触れ合いにしても、付け足し的に出てくるイケメン坊ちゃんとの恋愛にしても、その描き方はあまりに新味がなさ過ぎだし、等身大的演技(なのか?)として評判の良いスカ嬢にしてもオーラがない分、個人的には魅力を感じず困ってしまったのでありました。むむむむ。
今日の1曲 “ Supercalifragilisticexpialidocious ”
ニューヨーク自然史博物館の前での「一番長い単語は?」というシーンの中で出てくるのが、映画「メリー・ポピンズ」で有名なこの言葉。
メリー・ポピンズが競馬で勝利した後にレポーター達の取材攻勢を受ける場面で、気持ちをうまく説明できないときに歌われているこの曲を。
私は最近はわりと「アタリ」の映画が多いです。
スカちゃん、色っぽいのかイモっぽいのか良くわかんない女優さんですよね(暴言かしら?)
普通の洋服を着ていると本当に普通に見えてしまうので、今月末の『ブーリン家の姉妹』みたいなコスプレ物のほうが似合うのかも?
決して悪くはないのですが、どこか物足りなさを感じてしまう
感性欠如にしてそのくせ欲張りな私です(苦笑)
ただ「落語娘」は良かったですよ~。
機会があれば是非是非。
ちなみに『ブーリン家の姉妹』はナタりー・ポートマンを含めて
大いに期待しています。