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今や山本晋也カントクより名前と顔が一致する映画監督となってしまった井筒和幸の「ガキ帝国」「岸和田少年愚連隊」に続く関西を舞台とした青春群像劇であるこの「パッチギ!」は、いろんな意味で味わい深い作品だ。
まずもって、当時社会現象化したオックスの失神コンサートに始まり、毛沢東、フリーセックス、ボーリング、レオポン、キング牧師、全共闘(京大西部講堂まで!)などなど、1968年という時代設定をなんだかんだ言いながらも頑張って再現していて、かつテイスト的にはまるで鈴木則文、野田幸男、内藤誠らが撮っていた東映のB級青春アクション映画を彷彿させるところが楽しい。
ストーリーそのものは1968年の京都を舞台に日本人の高校生と朝鮮人学校の女の子が恋をするが、そこには「ロミオとジュリエット」的要素に加え「ウエストサイドストーリー」よろしく対立するグループ抗争があってと、ある意味まるで絵に描いたような展開ではあるのだけど、その安直とさえ言いかねないわかりやすさが有効に機能している。
いささかステレオタイプと言わざるを得ないけれど、確かにそういった認識はあったであろう当時の「在日」の人たちの持っていた想い=重い言葉によって、今の韓流ブームに沸く時代に対して「パッチギ」してやろうという監督の「志」は思惑とおり伝わったとも思う。
それにしても「ルビコン川」ではないけれど、主人公が鴨川(賀茂川?)を渡るシーンでは、『川つながり』で、最近見た「モーターサイクル・ダイアリーズ」でエルネスト・ゲバラが同じく対岸を目指していたシーンをちょっとだけ思い出してしまった。
この世の中、渡ろうにも渡れない川もあるということか。
とにかく、映画の最後、不慮の死を遂げた朝鮮人学校の生徒の葬式で朝鮮人たちからはじき出された主人公が、一度はギターを川に投げ捨てながら気を取り直して「イムジン河」をラジオの番組で歌うシーンと対立する日本人と朝鮮人学校生たちによるケンカシーンが重なり、加えてそれぞれの国の二人によって出来た子供が出産を迎えるという、歌とドラマが重なり合うラストシーンへもって行く演出はお見事。
多少ハラハラするところはあるにせよ、エンターテイメントとして見ても充分楽しい快作だ。
まずもって、当時社会現象化したオックスの失神コンサートに始まり、毛沢東、フリーセックス、ボーリング、レオポン、キング牧師、全共闘(京大西部講堂まで!)などなど、1968年という時代設定をなんだかんだ言いながらも頑張って再現していて、かつテイスト的にはまるで鈴木則文、野田幸男、内藤誠らが撮っていた東映のB級青春アクション映画を彷彿させるところが楽しい。
ストーリーそのものは1968年の京都を舞台に日本人の高校生と朝鮮人学校の女の子が恋をするが、そこには「ロミオとジュリエット」的要素に加え「ウエストサイドストーリー」よろしく対立するグループ抗争があってと、ある意味まるで絵に描いたような展開ではあるのだけど、その安直とさえ言いかねないわかりやすさが有効に機能している。
いささかステレオタイプと言わざるを得ないけれど、確かにそういった認識はあったであろう当時の「在日」の人たちの持っていた想い=重い言葉によって、今の韓流ブームに沸く時代に対して「パッチギ」してやろうという監督の「志」は思惑とおり伝わったとも思う。
それにしても「ルビコン川」ではないけれど、主人公が鴨川(賀茂川?)を渡るシーンでは、『川つながり』で、最近見た「モーターサイクル・ダイアリーズ」でエルネスト・ゲバラが同じく対岸を目指していたシーンをちょっとだけ思い出してしまった。
この世の中、渡ろうにも渡れない川もあるということか。
とにかく、映画の最後、不慮の死を遂げた朝鮮人学校の生徒の葬式で朝鮮人たちからはじき出された主人公が、一度はギターを川に投げ捨てながら気を取り直して「イムジン河」をラジオの番組で歌うシーンと対立する日本人と朝鮮人学校生たちによるケンカシーンが重なり、加えてそれぞれの国の二人によって出来た子供が出産を迎えるという、歌とドラマが重なり合うラストシーンへもって行く演出はお見事。
多少ハラハラするところはあるにせよ、エンターテイメントとして見ても充分楽しい快作だ。
こちらからもTBさせていただきます。
「井筒監督、よくやりました!」って
花○をあげたい気持ちです!!