多分中学生の頃だったと思うけれど、「さらばモスクワ愚連隊」、「蒼ざめた馬を見よ」、「海を見ていたジョニー」、「青年は荒野をめざす」 といった五木作品に憧憬に近いものを感じて、よく読んでいたものだった。
あれから幾星霜(←こればっか:苦笑)、長年の友達である主計町の芸妓(匿名希望?)から「私がモデルになって五木先生が書いてくれた小説が載っとるげぇ」と手渡されたのが、「オール讀賣」の4月号。
実はかの五木先生、小説を書くのはずいぶん久しぶりらしく、“ 待望の新作小説 ”だという今回の作品、あえて感想はさておいてしまうけれど(汗)、
『女は最後にどの坂を上るのか。泉鏡花の世界を憧れる作家が、若き芸妓の心情を描く!』というコピーはいささか走りすぎているのではないかと…。
それにしても「一葉」の女将さんが監修したという金沢弁の言葉使いもさることながら、文章のあちこちに登場してくる実在の人物や店舗から風物にいたるまで、さまざまなヒト・モノ・コトに対して地元であるがゆえにどこかこそばゆいものを感じてしまい、作品云々と語る前に何となく落ち着かなかったのだ。
そういった意味では、金沢のことを全く知らない人が読むと、いったいどう感じるのか大いに興味を惹くところだ。
椅子の完備された最近の本屋さんなら「あらよっ」というくらいで読めてしまうので、機会があればご一読を。そして感想を是非ともお聞きしたいところであります。
ちなみに挿絵に使われている後姿。わかる人はわかるというくらい見紛うことなきそっくりぶりで、これには妙に感動してしまったのだよー。
今日の1曲 “ 青年は荒野をめざす ” : フォーククルセイダーズ
そしてその五木先生が歌詞を書いた略称フォークルの代表曲がこの歌。
67年にメジャーデビューしたあと、たった1年だけであっさり解散したフォークル。
その1年というのは個人的には深夜放送を一番聴いていた時期とも重なっていたのだけれど、シベリア鉄道を経由してヨーロッパへ行くためにナホトカへ向かう客船に乗り込む直前の北山修(「パッチギ!」でのオダギリジョーですな)の出発前の声を聴いて、地方に住む中学生はめちゃ憧れたものでした。
そんな思い出の曲の試聴はこちらから
あれから幾星霜(←こればっか:苦笑)、長年の友達である主計町の芸妓(匿名希望?)から「私がモデルになって五木先生が書いてくれた小説が載っとるげぇ」と手渡されたのが、「オール讀賣」の4月号。
実はかの五木先生、小説を書くのはずいぶん久しぶりらしく、“ 待望の新作小説 ”だという今回の作品、あえて感想はさておいてしまうけれど(汗)、
『女は最後にどの坂を上るのか。泉鏡花の世界を憧れる作家が、若き芸妓の心情を描く!』というコピーはいささか走りすぎているのではないかと…。
それにしても「一葉」の女将さんが監修したという金沢弁の言葉使いもさることながら、文章のあちこちに登場してくる実在の人物や店舗から風物にいたるまで、さまざまなヒト・モノ・コトに対して地元であるがゆえにどこかこそばゆいものを感じてしまい、作品云々と語る前に何となく落ち着かなかったのだ。
そういった意味では、金沢のことを全く知らない人が読むと、いったいどう感じるのか大いに興味を惹くところだ。
椅子の完備された最近の本屋さんなら「あらよっ」というくらいで読めてしまうので、機会があればご一読を。そして感想を是非ともお聞きしたいところであります。
ちなみに挿絵に使われている後姿。わかる人はわかるというくらい見紛うことなきそっくりぶりで、これには妙に感動してしまったのだよー。
今日の1曲 “ 青年は荒野をめざす ” : フォーククルセイダーズ
そしてその五木先生が歌詞を書いた略称フォークルの代表曲がこの歌。
67年にメジャーデビューしたあと、たった1年だけであっさり解散したフォークル。
その1年というのは個人的には深夜放送を一番聴いていた時期とも重なっていたのだけれど、シベリア鉄道を経由してヨーロッパへ行くためにナホトカへ向かう客船に乗り込む直前の北山修(「パッチギ!」でのオダギリジョーですな)の出発前の声を聴いて、地方に住む中学生はめちゃ憧れたものでした。
そんな思い出の曲の試聴はこちらから
駄作でしたね。
初めに設定ありきで小説のための小説に成り下がってしまっている。
かつてのストーリーの名手もこんな仕事に手を染めるようになったらもう終わり。
湧き上がり、迸る熱情で書き上げた過去の名作の片鱗も窺えない駄作。
残念の一言。
仮に匿名で書かれていたら、決して商業誌に掲載されることは
ないでしょうね。
本当に切なくなってしまいました。