14日に降った雪はようやく融けましたが、まだまだ寒い日が続くようですね。
寒さが厳しければ厳しいほど、”春”の訪れの嬉しさが感じられることでしょう・・・
1月13日「箱根で新年会」
例年、息子一家とお嫁ちゃんのご両親と皆で集っている箱根での新年会
今年は母のこともあり、一旦は中止としましたが、
通夜・告別式が一段落した12月下旬に、息子が会社の健康保険組合に確かめたら、
新年三連休の保養所の空部屋がまだあったとの事で、急遽行くことにしました。
1月13日、箱根乙女峠から望んだ富士山です。
翌日の14日は東京横浜の予報が「雨又は雪」だったので、
箱根は絶対に雪と確信し、私はダウンのロングコートを着ていきましたが、
前日はコートが邪魔なくらいの暖かさでした。
息子一家の希望で、最初に向かったのは仙石原の「ラリック美術館」です。
私たち夫婦は3年前の夏に、ここのレストランで食事をしていましたこちらです。
今、改めてあの時の記事を読み、感慨無量の思いです。
やはり息子一家とお嫁ちゃんの両親との旅行で出かけたものの、
母の容態が悪くなり、私だけが舞い戻った時のことが書かれています。
読み手の皆様をへきへきとさせたほど、当時の様子を長々と書きとめていました。
私は母の最後の2年間は必要だったのか?と、未だに迷う日々ですが・・・
しょっ中私たちを慌てさせ、何度も死の淵から蘇った母は、
とにかく「生きたかったのだ」と思うことに致しました。
今回ここを訪ねた目的は、美術館でもレストランでもなく、入り口すぐのショップでした。
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オレンジ色のキャンドルは兄にぃ、ハート型は菜々ちゃんの作品です。
じぃじぃが「好きなもの買ってやるぞ~」と言うと、
孫娘はすぐにヒヨコのぬいぐるみを選びましたが
ハー君は迷って迷って「僕欲しいのないから、今はいらない」と・・・
サッカーを始めて、最近は特に少年らしく頼もしくなってきた兄にぃ
ここで売られているメルヘンチックな品物は似合いませんものね。
朝が早かったので、早めの昼食を箱根町の「芦ノ湖畔」のレストランでとりました
窓から遊覧船が良く見えています。
「車で来るとなかなか船には乗れないだろう」
「車はじぃじぃが運転して、向こう側の桃源台で待っててやるから、船に乗ってくれば」と
息子一家に勧めました
息子一家の4人が「ヴィクトリア号」に乗ることになり
およそ30分後、桃源台で孫たちは「楽しかった~」と船から下りてきました。
それから富士山の眺めが良い「長尾峠」に向かいました。
御殿場の街の向こうにそびえる間近な「富士山」
午後1時半、ちょっと水蒸気が上がってもやってきましたね。
富士山をバックに集合写真を撮りました。
今回はお嫁ちゃんのお父様が都合が悪くて不参加
7人なので、息子の車一台でチェーンを積んで来ました。
そして早めに、宮城野温泉の保養所に向かいました
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そして温泉&食事のあとは、オトウタンとじぃじぃがハー君の卓球の特訓です。
メキメキうまくなり、ばぁばはもう歯が立ちません
特に私は骨折の後遺症で、ラケットを振る力も弱くなりました
こうして「箱根の夜」を楽しく過ごしましたが・・・
翌日は雪ではなく大雨で、そのうちミゾレに変わりましたが、
ナント、横浜が大雪で母の四十九日が延期となった次第です。
和尚様の都合がついた5日後の19日に、
ごく内輪で母の四十九日を無事に終えました。
アルジェリアで起きた人質襲撃事件では、10人もの日本人が犠牲となりました
理不尽なテロには憤りを感じますね。
プラント建設大手の「日揮」という会社は、今ではMM21地区の高層ビルに本社がありますが
20年くらい前までは私が住んでいる区に本社があり、区民にとってはお馴染みの会社でした。
同窓生の何人かはあの会社の社員だったはず・・・
現役で、今でも海外を飛び回っている高校時代の同窓生もいます。
彼らともども、二度とこのような悲惨な襲撃事件が起こらないことを願っています。