花と緑を追いかけて

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映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

鎌倉散策「鎌倉宮」&「鶴岡八幡宮」

2006年01月19日 | 鎌倉散策
静かな静かな「瑞泉寺」を後にして、バス停のある「鎌倉宮」まで戻りました。
900メートル---今年初めてやったアクアエクササイズの後遺症で、足のふくらはぎが筋肉痛です.
運動不足を痛感しました

後醍醐天皇の皇子”大塔宮、護良親王”を祭った「鎌倉宮」は人も少なくて、落ち着いた佇まいでした。

建武の中興に尽くしたものの若くして命を奪われた親王の意志を後世に伝えることを望んだ明治天皇が明治時代に創設。
神殿の背後には、親王が足利直義に幽閉された土牢があります。
ところで「建武の中興」って
私大学受験は日本史を選択したんですがね。
詳しい意味を忘れています




小腹がすいてきたので、境内のお休みところで稲庭うどんを食べました。
いかにもお上品な鎌倉風、結構美味しくて、3時のおやつとしては満足でした
この境内では毎年10月に薪能が行われます。
私も昔観に来た覚えがありますが、幽玄な世界に感激しました。
機会があったら是非又観たいな~~




道路の渋滞でバスは時間通りには動いていません。
運動にもなるし、歩いて帰ることにしました。
「覚園寺」「荏柄天神」「白旗神社」と見所はいろいろありますが、時間も遅くなったので「鶴岡八幡宮」経由で戻ります。

15分で八幡様の境内に到着
源頼朝が創設した有名な鶴岡八幡宮は、多くの初詣客であふれていました。
八幡様前の道路も車で大渋滞
一月いっぱいの休日は、マイカーでの乗り入れはやめた方が懸命です。







着物姿の女性の姿もあって、まだまだお正月の華やかさが残っていました。
仁王門の奥には、静御前の悲しい逸話で有名な舞殿があります。
吉野山で捕らえられた静は舞を命ぜられ「吉野山、みねのしら雪踏み分けて、いりにし人のあとぞ悲しき」と、義経を慕う歌を詠み舞いました。
これに怒った頼朝により、義経との子と自らの命を失う悲劇となったのです



階段の上が本殿です
階段途中の左側にあるのが、有名な樹齢1000年の大銀杏です。
建保7年(1219年)三代将軍実朝はここで、頼家の子公暁に父の仇として殺害されたのです。
こうして見ると、名所旧跡って、悲惨な歴史の中にあるのですね
それとは反対に、お参りに来る人々はファミリーか、幸せそうな若い二人ずれが圧倒的です。
成田山とは平均年齢が違って見えましたゎ。

そういえば我が家も若い頃はもっぱらこの神社でした。
「強い男にな~れ」と、息子のお宮参りも七五三もここでしたね

一時間以上かけて駅まで戻りました。お陰で、体が軽くなりました。
この1月はたくさんの神仏にお祈りをしたので、ご加護もいっぱいあるでしょう。
さぁ~帰ったら、日本史のお勉強をしなくては-----

*「建武の中興」
 武家中心の社会を古代の律令国家に戻し、天皇中心の社会へ復帰させる事が目的の思想


コメント (5)
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