波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

『死を思う』人に誠実に向き合う人たち

2022年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム


中学生の「死を思う」新聞投書(2/7朝日新聞)を読みこのブログ(2.11『死を思う の返信』)にも書いた。投書の反響が大きかったのだろう、一昨日の投書欄で「私は『死』をこう思っている」の特集を組んでいた。要旨しか載せられないがこんな感じだ。

 

●あなた自身の「納得解」を見つけて。父を亡くし絶望したが、キラキラした中学生が救ってくれた。人は意識せずとも誰かの希望になるかもしれない(27歳女 中学教員)
●怖がらずに今をありのままに、あるがままに歩き続けることが大切。「死んだらどうなるのだろう」と自問して四国遍路を10年間で3度、のべ150日歩いた。死ぬことも生きることも区別無く繋がっていると感じた(69歳男 薬剤師)
●身構える必要はない。23歳の時に登山で滑落した時の死の恐怖は今も身体に刻まれている。今なぜ生かされているのかを見つめ、自分の役割を全うしたい。死の先にはわからない、無かも知れないが、ふっと消えるのもありかなと思い始めている。(60歳男 高校教員)
●2年半前に逝った夫に会えると思っているから死は恐くない。生前に「良い老後が送れるよう見守っているよ、安心して生きよや」という言葉をもらい不安無く独り暮らししている。最後には大好きなあの人に会えるのだから老後これ以上の幸せは無い。(主婦女 80歳)
●大切な人たち3人を同じ年に失い動揺した。人との出会いはまさに「一期一会」で奇跡。死後の世界は信じていないので、今この世界で繋がったかたとのご縁をないがしろにしてはならないと思った(30歳男 デザイナー)
●死を考えることはどう生きるかの原点。心のもやもやを字にすることをすすめたい。自分は書くことで進むべき方向が見えてきたと思う。生まれてきたことに意味があり、人生を理解するには生き尽くす必要がある。(76歳男 無職)


6人の言葉、どれもそうだなあと思い、どれも少し違うなあと思う。共通するのは、真面目に人生を考え、中学生にもわかるように言葉を選んでいること。こういう対話はありそうで無い、要旨をまとめながら強く思った。
波風氏は思う。生まれてから死ぬまでの人生、どう過ごしたいのかは、それぞれの人の価値観そのもの。死後の考え方も随分違う。生きる方向が定まっていても思い通りにならないのが人生。つくづく何があるかわからないのを実感中。願うのは、末期に「まあまあの人生、面白かったな」と眼を閉じられること。
死のことは若い時から時々考えてきたが、この頃になって生と死のセットで考えるようになった。昔も今も、深刻ではなく元気の湧く亡くなり方だ。やり残し・悔いが残るのはまっぴらだ。これ、老後の価値観を磨く大事なことで、誰もが実行しているはず。だが、ここら辺の話が出来る人は限られ年々範囲は狭まっていくような気がする。


「ふるさとは遠くにありて思うもの」という言葉、昔お世話になった方と疎遠になってしまったなあ、自分が訪ねていかなければならないのに・・・・と思った時に浮かんだ。元の室生犀星の詩と違う考え方だが、今の思いを文字で整理しておこう  ブログに書くことが途切れないこの11年間。ずうっと読んでくれている人が途切れないことも驚く。こういう関係(これを「交友関係」という)があるのは幸せなことで、読者の方々にいつも感謝しています。 

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