波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

危うさの時に

2024年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

に何も入っていなかったからもう一度確かめてくれないかと言われた。札と硬貨を数えて入れて渡したのをありありと覚えていたから相手側の間違いでは無いかと思ったが、お金のことだからザワザワする感情を抑えて「わかりました」と電話を切った。不思議なことがあるものだ、いや、老いのせいで自分の気づかない間違いかもしれないと思った。理屈抜きに、絶対に相手を悪く思わず自分が悪いと決めた。何度確かめても「何も入っていない」理由は見つけられなかったが。

い頃に出来たピアノが老いてから出来なくなったことを、周りの人たちの助けで授かったことを返すときが来たのだ、という話を知った。お金の話の次の日に。生きる術を身につけられた感謝と、それを手放すときがきたことを率直に認める潔さを感じた。「返す」相手は自分より若い人だと思った。電話が来て、自分の勘違いだったと謝罪があった。一晩、俺も年貢の納め時かなとウンザリしていたが息を吹き返した気分になった。あらためて、渡すときにお金を見せて確かめなかった自分が悪いと思った。同時に、これから1つずつ出来なくなるのは、1つづつ返すことという言葉を反芻した。


画像は庄野潤三著『プールサイド小景』(新潮文庫)、いつか読もうと思っていた小説家。平凡で穏やかな日常に隠れている危うさを描く洗練された小説。戦後すぐの作品が今も読み継がれているのがわかるな。畑仕事のない雨の日に読む 記事中のピアノの話は、美智子上皇が残されたもの。

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