波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

人間の格付け(中)

2015年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム

【前回の〈上〉から続く】少し前の道新コラムで、「よじょう」を図書館から借りて読む。武蔵に父親を切り捨てられた主人公が、世間のニーズで健気に仇討ちする孝行息子にまつり上げられる。そんな気なんか全然無いその男が「あの見栄っ張りのじじいめ、死ぬまで見栄を張りやがった、死ぬまで」と武蔵を笑う場面が小説の山だ。立男は、死ぬまで世間体を気にする武蔵像というより、世間のニーズに応え続ける生活者、演技者の武蔵として読んだ。かくあるべしの武蔵を求める世間、それに応える努力で評価される武蔵、主人公もそうした武蔵を相手に演技し成功者に。めでたし、めでたしなのだ。読んでないから偉そうに言えないが、吉川英治流の武蔵像とまるで違うのは見当がつく。

 俗人とは笑われる、軽蔑の対象なのだろうか。『ぞくじん【俗人】〔高遠な理想を実現させるためには全てを犠牲にしても惜しくは無いなどと言った考えを持たず〕世間的な立身出世に憧れたり、自分の家族の幸福を願ったりして生きる、ごくありふれた常識感覚を身につけている人。』(新明解国語辞典)と辞書に。いいじゃないか、俗人(笑)。世間とは俗世界そのものなんだから。だが立男はここでハタと思い出すことがあった。 【次回の〈下〉に続く】


  本ブログの座付きコラムニスト『一寸凡師』さんと『腹ペコ』さんの正体は、「波風立男」同様に明かされていない。だが読み続けていると、家族構成、趣味、ものごとの考え方などがわかってくる。お2人の新鮮な感覚、しみじみとして幸せ、ちゃんとした考えに刺激を受けられるのは幸せなことだこのブログも来月で6年目に入る。当初目標は『清々しい自己満足』だった。2人から「書き続ける」姿勢と同時に、「自己満足」の清々しさ度合いを自己点検させてもらえることに感謝したい。 

コメント    この記事についてブログを書く
« イラスト(身辺の絵柄3) | トップ | 第82号/「安心」をつくる »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事