波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

恋と愛

2023年11月17日 | 日記・エッセイ・コラム

願いと祈りのことを考えていて、恋と愛も同じようで違う、似ている関係だなあと思った。願いが自分から相手に対する心とすれば恋に、祈りは相手のことを思う気持ちだとすると愛に似ている。始まりが願いでそれが深化して祈りになるように、愛のきっかけというか始まりは恋ではないのかなあ。願いは祈りの一部分、恋は愛のきっかけと考えらるのじゃないかなあ。

は心が中心にあり、恋には下心があると何かで読んだ。字形からの笑い話だが、うまいこと言うものだ。だが真実をかすっている気もする、恋は自己中心的で、愛は自己犠牲的な感じがするからだ。そして、恋は恋愛に通じ愛は博愛にも広がるから、恋はとても個人的、愛は親子や家族や友人にも広がる社会的な心だ。

恋心は随分前から発動しなくなり、愛としか言えないような感情をだんだん意識するようになってきた。それは、「懐かしさ」と言い替えられるようなもので静かで落ち着いていて心が温かくなるような出会い。たまにしか会わなくても、いつか会えるかもしれないと思うだけでも良かったなあと震える魂のこと。ちょっと待て、待てよ、恋の心は今だってずうっと残っているというか時々はっと意識するような気もするなあ。今度会う時はどんな感じの表情や声かなあ、なんて思う人が今でもいるからなあ。特定の愛は連続する恋心で、愛と恋は同居できる、なんちゃって。


画像は茨木のり子詩『汲む ーY・Yに-』の前半部分。大人になるを「老人になる」に読み替えて納得する波風氏。この詩の続きは今日の公式裏ブログ『汲む の後半』に掲載似ているけれど同じではない言葉を考えるのは、ゲームを少しづつ攻略するのに近い。言語は言葉の形で言葉は物ごとの意味、なんていう一節目にして「話し言葉も書き言葉も、知りたい・伝えたいことを完全には実現できない」なんて思い一呼吸する 。

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