ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(125)

2010-01-09 19:19:10 | Weblog



1月9日

 ワタシは、どうも最近、すっかり、寝ぐせがついてしまっていたようだ。もちろん、それは、一日中、雪が降ったりやんだりの天気が続いて、余り外に出られなかったこともあるのだが。
 昨日から、ようやく風も弱くなり、今は穏やかに晴れている。飼い主は、家の中や外で、何かゴトゴトと物音をさせた後、洗濯ものを干しにベランダに出たようだ。そして、ワタシが寝ている部屋に戻って来て、言った。
 「ミャオ、いつまで寝ているんだ。」 と座布団ごとワタシの体を、ベランダに運び出した。
 冗談じゃないよ。まだ外は寒いというのに。ちなみに、一昨日は、風が強く、一日中マイナスの気温の真冬日だったし、昨日今日と、朝はー5度まで下がっているのだ。
 そんな寒さなのに、外に出す気か。ワタシが、いくらヤマネコと同族とはいえ(前回参照)、すっかり、ストーヴの暖かさに慣れた体では、それは無理というもの。お試しかっ!と文句を言いたいところだが、いざ日の光に包まれてみると、寒いけれども以外に暖かいのだ、これが。

 そこでしばらく横になって温まった後、ニャーと鳴いて、飼い主の顔を見上げて、散歩に行こうと呼びかける。すると飼い主は、オーヨシヨシといって、やりかけていた仕事をやめて、ストーヴの火を消したりして、支度をした後、ワタシと一緒に玄関から外に出る。
 毎日、天気が悪くて、外にも出られず、寝ているか、面白くもない飼い主の顔を見るしかなかったワタシにとっては、こうやって外に出られるのは、何よりも嬉しいことだ。
 辺りの臭いに鼻を向け、次に目を凝らしては、何か動くものはないかとじっと見る。そして、先に行く、飼い主の後を追う。
 20分ほど歩いた後で、陽だまりの所で座り込むと、飼い主は先に帰ってしまう。昔なら、そこで、他のネコや鳥などを待ち構えて、半日過ごしたりもしていたが、今は、もう年だから、そんな冒険心も、好奇心も薄れてしまった。すぐに、家に帰ることにしている。
 毎日、同じ鬼瓦顔ばかり見ていて退屈だとはいっても、何より、安全で、暖かく、エサがある飼い主のもとが一番なのだ。年寄りネコになれば、そうして、毎日、何も変りなく、穏やかに時が流れていけば、それで良いのだから。


 「今日は久しぶりに、終日快晴の天気で、遠くの白く雪に被われた山々も、良く見えていた。そんな日に家にいると、どうにも落ち着かない気持ちになる。
 山に行けば良かったのにと、少し残念に思うからだ。しかし、山に行くべきだったのは、むしろ昨日の方だった。
 それまでは、風雪の日が続いていて、昨日はようやくそれが収まり、朝の雲がとれて、午前中には見事な青空が広がり、雪の山々が良く見えたからだ。九州で雪山を楽しむためには、雪の降った次の日の朝早く行かなければならない。
 しかしその日の予報は、曇りだったし、晴れてから出かけることになれば、夕方の景色を取りたいし、そうするとサカナの時間を待っているミャオが気になる。さらに今日は土曜日で人が多いだろうから、行けないし、というわけで、この二日間は、少しつらい思いをした。
 その他にも、この数日は、いろいろと、家の内外で動き回る仕事があって忙しかったからだ。というのは、ついにこちらでも、年末年始のバーゲンで地デジ液晶TVを買い、その設置で、ひとりてんてこ舞いの忙しさだったからだ。
 まずは、20数年前の古いアンテナを取り換える。屋根の上に上がると、雪は溶けていたものの寒いし、前のアンテナが錆びついていて、支柱もポールもなかなか外せないし、そこからのケーブルを取り込み、家の中での引き込み、さらにブラウン管TVとの配置換えで、大きな家具を動かさなければならないし、それを一人でやるのだから大変だ。
 さらに、ここは山の中で映りにくい所だから、アンテナ・ブースターを取りつけて、ようやく、地デジ(全部で5局だが)が見られるようになった。

 しかし、苦労の甲斐あって、大型画面で見る(前のブラウン管は’93年製造の21型TVだった)、画面の迫力、鮮やかさ、まして見たい番組の多いBSの素晴らしさ。ああ、生きていて良かった。
 これで、このテレビと、ミャオがいて、山に登れれば、これから先も、こんな山の中でも、なんとか生きていけると思った。

 とは言ってみたものの、時は流れ、世の中も移り変わり、何事も変わらぬものはないのだ。ミャオが次第に年寄りになってきているように、私もやがては、年老いてしまうだろう、テレビに山に、と喜んでいたのは、ついこの前のことなのにと・・・。

 『ゆく河の流れjは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。』とひとしきり世の中のことを嘆いた後、最後に・・・。
 『ただかたわらに舌根をやといて、不請、阿弥陀仏(あみだぶつ)、両三遍申して止みぬ。』、つまり、後は御仏(みほとけ)の心に任せて、南無阿弥陀仏と三回唱えるしかないのだろう。(以上『方丈記』より)

 ただ、何も考えないわけにはいかない、しかし考えすぎるのも良くない。つまり、ひとしきり考えた後は、ただ、時の流れに身を任せて・・・無心になって、神の御前にあるごとく・・・。

 数日前の日のこと。その日は、前の寒波と今の寒波の間の日で、前の日には、南風が吹き込んで、気温が10度までも上がっていた。それでも朝は、冷え込んでいて、-3度くらいだったのだが。
 午前中、私はミャオと一緒に、いつもの散歩に出かけた。そしてゆるやかな坂道にさしかかった時、道の左手の日陰になった荒れ地の所に、まるで蛍光色のように色鮮やかな、黄色い紙きれが落ちているのを見た。
 風に飛ばされてきたのだろうと、近づいてみると、何とそれは一匹の蝶だった。
 それは、珍しくもない、キチョウだった(写真)。モンシロチョウやモンキチョウとともに、春から秋にかけて、ごく普通に見られる蝶である。
 しかし、今は厳冬の1月だ。どうしてこんなところにやって来たのだろう。近づいて良く見ると、霜柱の土の上で、横になってもう死んでしまっているようだった。
 かわいそうにと思って、指先で羽根をつまんだところ、何と前足が少し動いていた。生きているのだ。もっとも、私の手を離れて、飛び立つほどの元気はなかった。
 そこで、日の当たる枯れ草の上へと、移してやった。しかし、そのキチョウは、横になったまま少し動いた後、また動かなくなった。
 私は、ミャオといつもの所まで行って、そこで座り込んだミャオを残して、再びあの蝶のいる所まで戻ってきた。蝶は、そのまま、そこで横になっていた。私には、それ以上のことは何もできなかった。

 そして、次の日、同じ道をたどってミャオと散歩に行った。しかし、もうそこに、あのキチョウの姿はなかった。
 元気にどこかに飛んで行ったのか、それとも、鳥や獣たちに食べられてしまったのか。分からない。

 半年ほど前、北海道の家の林の中で、ひとり鳴いていたエゾハルゼミのことを思い出した(去年の5月24日、6月3日)。
 そこに、何かのつながりがあるという訳ではない。ただ、季節外れの、一匹だけのエゾハルゼミと、一匹だけのキチョウのことを思ったのだ。」

 『てふてふが一匹韃靼(だったん)海峡を渡って行った』(安西冬衛)