ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(126)

2010-01-14 19:07:27 | Weblog



1月14日

 昨日は、一日中、雪が降り続き、強い風の音が聞こえていた。今日は、いくらか天気も回復して、時折日も差しているが、まだ外は寒く、さらに一面に雪が積もっている。トイレに出る以外は、家の中にいるしかない。
 それまでは、雪が降っても、すぐに日が差してきて雪は溶けてしまい、その晴れ間に、飼い主と一緒に、散歩に出かけられたのに。そして、その時の写真を見てもらえれば分かるように、寒がりのワタシだけれども、今日のような一面の雪ではないから、ちゃんと歩いて行けたのだ。

 もっとも、良く見れば、ワタシの足先が、ちゃんと雪の溶けている草の所にあるのが分かるだろう。ワタシの足先の肉球からも、雪の冷たさが伝わってくるから、できれば雪はよけて歩きたいのだ。
 ワタシたち動物は、人間と違って、自分の手先、足先のそれぞれの位置感覚と、しっかりしたバランス感覚を持っているから、いちいち自分の足先を見なくても、それぞれの四つの足先の位置が分かるのだ。
 それだから、自分の足幅くらいしかない所でも、最初、先の方をじっと見ただけで、後は難なく通り抜けられるのだ。

 人間たちは、例えば長く伸ばした平均台の上を、踏み外すことなく歩いて行けるだろうか。おそらく、そんなことができるのは、訓練された体操競技の選手たちだけだろう。
 つまりそれは、その昔、人間たちもまた当然ながら、動物の一種類としての機能を持っていたはずなのだが、それらの運動能力や感覚を、他の目的のためにあえて退化させてきたからなのだ。
 二足歩行の後、自らたどるべき進化の方向を定めた人間たちは、長い時間をかけて、自分の身体能力や機能を退化させ、ただ思考する力だけを発展させようとしていったのだ。
 ということは、進化の過程の中でとらえれば、人類は、やがて二つの種類へと枝分かれして行くのかもしれない。一つは、文明の利器に頼って自らは余り動こうともしない、頭脳だけが恐ろしく発達して、それを支える余りにもぜい弱な体を持つ種族と、運動機能だけを特化して、強固な体を持つようになった種族とに。もっともそれまで、人間が生き延びるかどうかは分からないが。

 ともかく、いろいろと勝手に妄想してみると面白い。飼い主は、どちらのタイプになるのだろうか。例えば、気持ちよく寝ているワタシに、握りっ屁(へ)をかましたり、くだらないお笑い番組を見てはゲラゲラ笑ったりしている姿を見れば、とても頭がいいとは思えないし、かといって、ガンガン動き回るスポーツマン・タイプでもないし、最近、背中を丸めて歩く姿なんざあ、全くただの屁こきじいさんだ。
 ああ、くだらない。余計なこと考えるよりは、今、気持ち良くストーヴの前で寝て、サカナの夢でも見た方がましというものだ。


 「昨日は一日中、荒れた風雪の天気で、気温は、朝のー6度からー2度までしか上がらずに、真冬日になり、今日はさらに冷え込んで、-8度。家の窓ガラスも内側から凍りついていた。雪はやんで、青空も出てきたが、まだ風も強く、今日もマイナスのままの真冬日だ。
 雪の山に登りに行きたいのだが、またこのまま曇って、明日も曇り空とのことだ。晴れるのは、土日になってからで、そして暖かくなるとの予報だ。そうすれば、雪も溶けてしまうだろう。十分な時間があっても、なかなか思いどおりには行かないものだ。

 ということで、どこにも出かけずに、ずっとミャオと家にいたのだが、退屈することはなかった。一つには、大きな液晶テレビの画面で、NHK・BSの様々な番組を録画で見たりして、楽しめたからだ。

 まずは、山関係のものからだ。1月11日から三日間、アルプス・トレッキング案内の、オーストリア編、スイス編、イタリア編が続けて放送された。もう何回も再放送されているものだが、やはりこの鮮やかな大画面で見るアルプスの光景は素晴らしい。若い時に訪れた、アルプスの山々を、なんとかもう一度、目の前で見たいものだ。
 そして、この春から放送される予定の、世界の高峰に登る『グレート・サミッツ』。その予告総集編が、1月10日に放送された。私にとっては、こうした世界の山々に登ることなどもうできないだろうが、それでも、他の山好きな人と同じように、画面で見て楽しむこともできるのだ。
 さらに、もう一つの登山番組、こちらの方が本来の意味での登山なのだろうが、極限を登るクライマー達の記録映像である。1月14日、『白夜の大岩壁に挑む』。
 あの有名なクライマー山野井夫妻と木本氏の三人が、グリーンランドにある大岩壁に挑む姿を、見事に緊迫感あふれる映像としてとらえている。これも何度目かの再放送であるが、やはり見ていると、いつしか引きずり込まれてしまう。
 もう一本は、1月4日放送の、『7(セブン)・サミット』。人生の目的をを見つけられずにいた若者が、山に登ることに目覚めて、世界の大陸の最高峰に登っていく記録であり、撮影者のいない単独行での、自らの姿を映し続けた映像は、臨場感にあふれている。
 実は、この映像の幾つかは、彼の出身地である北海道の民放で、すでに去年に放送されていて、その時、北海道にいた私は見ていたのだが、やはり何度見ても、彼の熱い思いが伝わってくる。

 次に、アート関係では、4時間にわたる番組で、まだ全部は見ていないのだが、1月3日の『夢の美術館 魅惑の国スペイン』が素晴らしかった。ある有名俳優の紹介者などは、余分だったのだが、それでも、ベラスケスやゴヤ、エル・グレコ、ピカソなどの絵画と、彫刻、建築の数々が、次々に大画面に繰り広げられる。
 建築といえば、これも再放送だが、1月6日の『夢の美術館 世界の名建築100選』。しかし、これは余りにも総花的で、一つ一つの紹介の時間が短すぎて、落ち着いて楽しむことはできなかった。

 そして、オペラでは、前に書いた『ばらの騎士』(1月3日の項)の他に、1か月前に、フンパーディンク(1854~1921)の『ヘンゼルとグレーテル』、数日前にヤナーチェク(1854~1928)の『利口な女狐の物語』が放映されていた。どちらもメルヘン的な舞台劇であるが、その昔レコードで聴いたことがあり、久しぶりの懐かしい思いがした。
 オーケストラ・コンサートについては、前に書いたとおりである(1月3日の項)。

 映画については、残念ながら、余り見たいと思うものがなかった。ただ一つ、昨日、あのフレッド・ジンネマンの名作『わが命つきるとも』(1966年)が番組表に乗っていて、これも何度目かの放映であるが、ともかく録画しておくことにした。

 ともかく、今まで、21型のブラウン管テレビで見ていたものが、大型液晶画面に代わると、何もかもが新鮮で、画面の隅々まで興味深く見ることができる。
 ただでさえ、出不精(でぶしょう)、(デブ症ではない、念のため)、の私が、このテレビのおかげで、ますます映画館に行かなくなり、コンサート会場にも足を運ばなくなってしまうだろう。

 『朝は四本脚で、昼間は二本脚になり、夜には三本脚になるものは何か』、というスフインクスの問いかけには、三本脚が増えた今では、当のオイディプスならずとも、誰でも簡単に答えられるだろう。
 ただ、私は、いつかその三本脚になったとしても、自分の家にいて、その日が来るまで、自分の好きなものに思いをはせながら、しぶとく生き続けたいと思っている。ミャオが、神の御心のままに、そうであるように・・・。」


 


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