ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(124)

2010-01-03 21:33:29 | Weblog



1月3日

 ワタシはネコである。子供の時には、まだ名前がなかった。そのころは、他のネコ仲間と集団で暮らしていたのだが、その時の飼い主であったおばさんが、ある日突然、すべてのネコたちを前に解散を宣言してしまった。
 そこでワタシは、今の飼い主の家に拾われて、名前をつけられて、ミャオと呼ばれるようになった。その辺りの詳しい事情は、飼い主がこのブログを書き始めた、二年前の冒頭の記事にあるとおりだ(’07.12.28~’08.1.9)。
 もっとも、それらのことは、ワタシにいわせれば、裁判記事でよく書かれているように、おおむね供述書通りであることは認めるが、多少は違っているところもある。しかし、何も細かいことを、今さらとやかく言うつもりはない。今を、まあ過不足なく生きていられるのだから、それで十分である。

 さて、今年は、人間世界で言う十二支の一つ、寅年になるそうだ。ワタシの指は肉球で、折り曲げられずに、十以上の数は数えにくいのだが、確かもう15歳にはなるはずだ。
 外見は、元気に見えても、日常の動作一つ一つに、寄る年波を感じてしまう。ダーっと走って行って、樹に駆け登ることとか、目の前の段差をジャンプするとかができなくなってしまった。
 飼い主が言うには、それは食っちゃ寝を繰り返して、すっかりメタボ体質になった、ワタシが悪いというのだが、その前に、飼い主も自分の姿を鏡に映して見てほしい。

 「おのれの、みにくい太ったイノシシのような体を、鏡で見ていると、いつの間にかあぶら汗がタラーリ、タラーリと流れ落ちてくる。その汗を集めて、三日三晩、大釜で煮詰めて、出来上がったのが、この鬼瓦(おにがわら)印の、メタボ油。
 これを塗れば、たちどころに、アホになり、ぐうたらになり、あーヨイヨイになる。さあ、さあ買った買った。」
 アホくさ。そんなもん誰が買うか。自分で塗って、もだえていれば。

 それはともかく、寅年の今年は、同じネコ科の動物である、ワタシたちの年でもあるのだ。聞くところによれば、ネコ科といっても、いろんな種類があるそうだ。
 まずネコ科は、大きくネコ亜科とヒョウ亜科に分かれ、トラやライオン、ジャガー、ヒョウなどは、そのヒョウ亜科の中のヒョウ属になっていて、一方のワタシたちイエネコは、ヤマネコとともに、ネコ亜科の中のネコ属として分けられているのだそうである。
 または、単純に、体の大きさで、大きなネコ科のものと、小さなネコ科のものに分ける場合もあって、だから人間たちが時々、トラになるとか、ネコになるとか言うんだろうか。
  
 さて昨日、今日と青空も広がり、幾らか暖かくなってきた。飼い主と一緒に、いつもの散歩にでも行こう。


 「大みそかは風雪混じりの一日で、元日には5cmほどの雪が積もっていた。昨日の朝はー7度まで下がったが、その後南風が吹きつけて、一気に気温が10度近くまで上がり、夜には、雨も降って、雪はすっかり溶けてしまった。
 ここは、九州の中では寒い、山の中である。とはいっても、こうして簡単に雪は溶ける。やはりあの北海道とは、えらい違いだ。

 その北海道の十勝地方では、友人からの話によれば、12月中には、-25度までも下がったし、雪はもう70cmも積もっているとのことだ。元日にも、雪がほとんどない年もあるというのに。確か、今年の予報は、平年並みもしくは暖冬になるだろうとのことだったが。

 こういうことがあるから、地球温暖化の緊迫感が薄らいでしまうのだろう。あの、世界中が集まってのCOP15会議(正確に書くと、国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議という長い言葉になる)で、話がまとまるわけはないのだ。
 とはいっても、一年ごとの誤差内に収まる小さな変動はともかく、50年、100年、あるいはそれ以上の長いスパンでみれば、地球温暖化が進行し、地球環境が悪化しているのは目に見えているし、誰しも、幾らかは肌身に感じているのではないだろうか。
 もっとも、他方では、少数派ながら、地球温暖化などは確実なデータもないウソの話だ、と断言する人々もいるのだ。

 いずれは、こうしたもろもろの諸問題も、前回に書いたように、すべて、時が解決してくれるのだろうが、問題はその結果を知るのは、私たちのずっと後の世代だということだ。
 そのことを意識するべきか、せざるべきか。それが人間の一生であれば、途中で、自ら気づくことにもなるのだが。

 人は、いつも時の流れの中にいる、自分を意識する。特に、自分の容姿や力が衰えてくる、中年期から老年期を迎えては。
 そこで、思うのだ、もう自分は若くはないと。そこに、落日の悲哀を見るのか、それとも穏やかな夕映えの光を見るのか。

 元帥(侯爵)夫人マリ・テレーズは、人生の落日の始まりの悲哀を知りつつ、これからはこの夕映えの光の中で生きていこうと思うのだ。リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)のオペラ、『ばらの騎士』は、この元帥夫人を中心にして、好色オヤジの男爵と若い二人などの思いを交えて、18世紀ウィーンの、やがて落日に向かう最後の夕映えの中の、貴族社会の情景が描かれている。
 物語は、容姿の衰えが気がかりになってきた美貌の元帥夫人が、その若い恋人であるオクタヴィアンが、彼にふさわしい若い娘に恋をしたのを知ると、自分はあきらめて身を引く、というものだが、それを単純な、金持ち夫人と若いツバメの不倫ドラマに終わらせないのが、さすがに名手リヒャルト・シュトラウスの、見事なオペラ作曲技術であり、さらに幾つもの名作オペラの数々をともに送り出してきた、ホフマンスタールの台本の力でもある。

 この『ばらの騎士』は、NHK・hi で、年末に三日間続けて放送された『夢の音楽堂・小澤征爾が誘うオペラの世界』の中の、最後の一つである。
 指揮は、あのカルロス・クライバー(1930~2004)で、それも1994年の、ウィーン国立歌劇場での公演録画なのだ。元帥夫人にフェリシティ・ロット、オクタヴィアンにアンネ・ゾフィー・フォン・オッター、さらにゾフィーにバーバラ・ボニー、オックス男爵にはまり役のクルト・モルと出演者に不足はなく、私は、録画しておいたもの(約3時間20分)を、ゆっくりと2回に分けて見て楽しんだ。
 クライバーの『ばらの騎士』は、1976年のバイエルン放送管弦楽団のものが最高だとされているが、私は、この映像でも分かるように、ウィーンの聴衆たちに愛されたクライバーが、楽しげにタクトを振っていた今回の『ばらの騎士』を、多少の不満はあるにせよ、満足して見ることができた。(ちなみに、この半年後に、同じクライバーによるあの有名な東京公演が行われている。)

 ところで、この『ばらの騎士』には、名演奏と呼ばれるものが少なくない。古くは、カルロスの父、エーリッヒ・クライバーとウィーン(’54)、カラヤンとフィルハーモニア(’56)、カラヤンとウィーン(’84)、そしてこのクライバーによるものなどが有名である。
 私が、これまで、この『ばらの騎士』を全曲通して聴いたのは、カラヤンの56年盤、あのシュヴァルツコップが見事な元帥夫人を演じたものだけだった。しかし、今年、NHK・BSでカラヤンの名演奏DVD(もとはLD)シリーズが放映されて、その中に、1960年のザルツブルグ音楽祭での、カラヤン、ウィーン・フィルにシュヴァルツコップの組み合わせによる『ばらの騎士』があった。画像が少し古いのはともかくとして、このオペラの素晴らしさを再認識したばかりだった。
 さらに続けて、今回、あのカルロス・クライバーが指揮する姿を見ることができたのは、嬉しかった。しかし、クライバーについては、前にも書いたけれど(9月5日の項)、もっともっと彼の演奏が聴きたかったのにと思うと、つらい気持ちにもなる。。

 この年末から年初めにかけて、去年ほどには見るべき番組はなかったが、それでも、このクライバーのオペラと、ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートは良かった。コンサート・ホールの聴衆たち、指揮者、オーケストラ楽団員たち、皆が一緒になって作りだした、実に見事なウィンナー・ワルツのひと時だった。
 そして、あの85歳にもなる、ジョルジュ・プレートルの元気な姿には、驚かされてしまった。手すりもない指揮台の上で、それも暗譜(あんぷ)で軽やかにタクトを振っていた。同じ老齢のころの、ベームやカラヤンの、舞台姿を思い浮かべてしまうのだ。

 他には、昨日のNHKの『雅の世界、百人一首』を、期待して見たのに、6人の俳優たちが読み上げる歌の数々、その表現力に何たる差があることか。途中でもう、続けて見る気力がなくなったほどだ。
 そしてもう一つ、今日のNHK・hi の『万葉への招待』は、去年の再放送だが、半分ほどしか見ていなかったので、その残りの部分を見たのだが、おなじみになった檀ふみの歌詠(よ)みに、いつもながら心安らぐ思いだった。
 さらに、現在録画中のNHK・hi の『夢の美術館・スペイン』。後でゆっくり見ては、若き日に旅して回ったスペインの思い出に浸るとしよう。

 生きていて、良いこともつらいことも、色々とあるけれど。好きなことがあること、それに出会えること、その傍にいられること。ミャオ、オマエも、私の大好きなものの一つなのだからね。」


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