ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(127)

2010-01-18 10:06:24 | Weblog



1月18日

 晴れた日が続いている。朝夕は、相変わらず冷え込んで寒いけれど、昨日は朝から一日中、陽が降り注いでいて、ワタシは午前中に、飼い主からベランダに出されて、そのまま、そこで寝ていた。
 久しぶりのことだ。確かに、ストーヴの傍は、暖かさが一定していて、居心地が良いけれど、やはり戸外の方がいい。空気はまだピリッと寒いところもあるけれど、何といってもこの体全体を包んでくれる、日差しの暖かさには格別のものがある。

 昼過ぎ、ベランダの洗濯物を裏返しに来た飼い主に、ミャーオと鳴いて、あごで外の方を指す。すると飼い主は、「へい、へい。分かりました。」とえらく低姿勢で答える。前の日のことがあったからだろう。
 ワタシが玄関の方へ向かうと、飼い主は、すぐにドアを開けてくれて、ふたりで外に散歩に出る。まだあちこちに雪が残っているが、道の所はほとんど溶けている。

 飼い主の歩きに合わせて、ワタシもこころもち、馬のなみ足の速さで、ついて行く。ふたりして、将来、介護施設の世話にならないように、日頃から運動していることが大切なのだ。
 いつものコースを回って歩いてきたが、途中で、他のノラネコたちの、マーキングの臭いが気になって、その辺りを行ったり来たりしていると、飼い主は待ちくたびれて先に帰ってしまった。
 まあいい。今日は天気も良いし、何よりこの暖かさだ。しばらく、他のネコたちの動静を探ったりして、外の雰囲気を十分楽しんでから帰るとしよう。

 夕方前、ワタシの体内時計で計って、ちょうどサカナの時間になるころに、家に戻ってきた。飼い主は、「オーヨシヨシ」と言って体をなでてくれ、すぐにサカナを出してくれた。
 ワタシは、飼い主が何か言っているのに、返事するかのように声を上げながら、サカナにむしゃぶりついた。そうなのだ、一昨日は、全くどうなる事かと心配して、気が気ではなかったからだ。

 一昨日、ワタシは、陽が落ちて、すっかり夜の闇と寒さが忍び寄る中、ただひとり、ベランダに座って、飼い主の帰りを待っていたのだ。もしかして、もうワタシは放り出されて、飼い主はまた、北海道へ行ってしまったのではないのかと。


 「朝はまだ、-7度、-5度などと冷え込んでいるけれど、日中は気温が10度近くまで上がって、もう冬が終わったかのような感じで、遠くに見える山の雪も、大分溶けてしまった。
 こうした青空が、三日も続けば、本州や、北海道の山なら、全く冬山での縦走日和になる(もっとも暖かくなると、雪崩が怖いが)。しかし、ここ九州では、雪の日のすぐ後に山に行かないと、雪は溶けてしまうのだ。
 一昨日は、朝から曇っていた。天気予報は、午後から晴れるということだった。しかし、なるべく早く出ないと、そのぶん、山にいる時間が短くなってしまう。じりじりした気持ちで、空模様を気にしていた。
 そこで、ネットのライブ・カメラで見てみると、何と九重の山の上には、少し雲がかかっているだけだ。急いで支度して、ストーヴを消し、けげんそうに見るミャオを外に出して、家を出た。

 圧雪アイスバーンの道を通って、登山口の牧ノ戸峠(1330m)に着いたのは、10時前で、さすがに遅すぎた。駐車場は、もう満杯の状態で、それでも何とか手前の空き地にクルマ停めることができた。
 土曜日だから、高速料金は安くなるし、皆がやって来て、山が混むのは分かっていたから、できることなら避けたかったのだが。この前の週もそうだったし、雪が降った後、土曜日になって晴れてくるのだ。
 明日から、晴れの日が続いて、雪はすぐに溶けてしまうだろう。行くなら、今日しかなかった。

 登山口から登りだすと、遊歩道は霧氷の木々のトンネルになっている。背景の青空がきれいだ。展望台の所で、三俣山(1745m)が見えてくる。霧氷のミヤマキリシマツツジを前景に、何度見ても素晴らしい眺めだ。
 後は、沓掛山(くつかけやま、1503m)からの縦走路をたどる。登山者はもう戻ってくる人たちもいるが、思ったほどには多くはなかった。雪は、しまっていて歩きやすく、何より、左右に続く霧氷が、青空の下に鮮やかだ。

 扇ヶ鼻(1698m)分岐を過ぎて、久住山(1787m)へのメインの縦走路と分かれて、左に急な尾根道を登る。平日だと、足跡もない雪の上を行くのだが、さすがに休日だ。幾つかの足跡が、道になって、トレースされている。
 一面の雪の上を行く楽しみはなくなるが、ルートを探さなくていいし、頭上の枝から落ちてくる雪がないのが助かる。そして、星生山(ほっしょうざん、1762m)頂上付近まで上がってくると、吹きさらしの尾根に、エビのしっぽや、シュカブラ、氷紋などの、雪と氷が作る造型が素晴らしい(写真、後ろは久住山)。

 毎年、同じ場所で同じ形になるとは限らない。それだから毎年、登っては、その氷雪紋様を見たくなるのだ。
 九重山は、火山群の集まりだから、標高の割には、森林限界が低く、裸地や、吹きさらしの尾根になり、氷雪の造型が見られるのだ。それは、雪が降り続き北西の風が吹き荒れた後、九重の山々のすべての頂上付近で、どこでも見ることができる。
 この、プチ冬山の楽しみのために、私は、雪と寒さを狙って、山に登るのだ。ただだ望むらくは、山中に泊って、この光輝く氷雪の姿を、朝夕に見てみたいのだが、家にいるミャオのためにそれができない。

 星生山から、星生崎へと縦走し、そして天狗ヶ城(1780m)に登り、眼下に完全凍結した御池を見ながら、最高峰の中岳(1791m)には登らずに、下をぐるりと一周して、星生崎下に戻り、西千里浜の縦走路をたどり、沓掛山に着く。
 そこで、30分ほど待って、夕日に映える、三俣山、星生山、扇ヶ鼻等の姿を眺めた後、急いで、牧ノ戸峠の駐車場に戻った。もう、6時に近かった。
 すでに、-5度まで冷え込んでいて、帰りの下りの雪道を心配したが、ありがたいことに雪はほとんど溶けていた。それでも、ライトをつけての冬道は、気が抜けない。

  ようやく、家に着く。暗闇の中、ミャオが、鳴きながら近づいてくる。悪かった。今まで、こんなに遅くなったことはなかったし、何より寒くて、心細かったろうと、本当に申し訳ない気がした。すぐに、サカナを出してやる。
 それを食べた後、ミャオは何事もなかったかのように、ストーヴの前でいつものように寝ていた。
 美しい雪山の姿を眺めて、無事に家に帰りつくことができたし、ミャオも、ちゃんと待ってくれたのだ。簡単な夕食を終えて、熱い風呂に入ると、7時間歩き回った疲れも、心地よいけだるさに変わり、ああ、良い一日だったと思う。

 そして、昨日今日と、さらに快晴の空が広がる。遠くに見える九重の山々の雪も大分溶けてしまった。北海道、東北、北陸と、大雪に見舞われて困っている所もあるというのに、次に、雪が降って山に行けるのは、いつになるのだろうと、心ひそかに思ってしまう。
 雪だけではない、雨が降って困る人も、雨を待ち望んでいる人もいるし、風が吹く吹かないだけで、影響を受ける人もいる。

  ただ、私は、雪をつけた山の姿を見たいだけなのだが・・・。「願わくば、雪の上にて、冬死なむ、その望月の、如月(きさらぎ、二月)のころ』・・・とまでは思わないが、ちなみに私が生まれたのは、冬の季節である。」