ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(106)

2009-06-17 18:39:50 | Weblog



6月17日

 晴れた日が続いている。繰り返し言うけれど、ここ九州では、一週間前の梅雨入り宣言の時に、一日雨が降っただけで、後は毎日、晴れの天気だ。恐らく、気象庁は、後になって、西日本の梅雨入りを訂正するに違いない。

 この天気はひとえに、ネコであるワタシが、せっかく九州に戻ってきた飼い主のためにと、同じヒゲのある仲間の、八大竜王(はちだいりゅうおう、雨乞いの神様)に、なるべく雨降りをお控え下さいと、お願いしたからなのだ。それまで、飼い主がいた北海道では今、気温15度位の、5月並みの寒い日が続いているというのに。
 飼い主は、それを知ってか知らずか、この8日ほどの間に、何と、三度も山登りに行ってきたのだ。午後になって帰ってきては、例の日焼けした赤鼻の顔で、迎えに出たワタシを、満面の笑みで、オーヨシヨシと言いながらなでまわすのだ。
 
 今日も朝から、快晴の空が広がっている。気温は朝、13度位でひんやりしているが、日中は26度位まで上がる。しかし、空気が乾いていて、日陰にいれば涼しい。
 朝のうちに、飼い主と散歩に出るのだが、舗装道路はもうすっかり熱くなっていて、ワタシは、木陰で立ち止まり、休んでしまう。それで、飼い主はしびれを切らして、先に帰ってしまうのだが、まあワタシとしては、しばらく自然の中に囲まれて過ごし、午後になって家に帰れば良いのだから。
 ワタシたちネコにとっても、晴れた日のほうが良い。家の中から外に出て、風通しの良い日陰で、うつらうつらと寝ながら、時折、鳥や虫たちの物音に耳をすませる。

 「こんなに晴れた日が続くなら、あの九重山は、坊ガツルにテントを張って、二三日を過ごし、あちこちの山々に登って、盛りのミヤマキリシマの花々を、楽しむことができたのにとも思うが、ミャオが家で待っているから、そういうわけにもいかない。
 それでも、一昨日も、この一週間余りで、三度目になる九重に行ってきた。それは、前回、時間がなくて行けなかった、その先にある山々の花を見たかったからである。

 九重の山々の、ミヤマキリシマの主な群生地は、大体、知っているつもりだから、そこが、今年のような当たり年の時に、どうなのか、見ておきたいからである。とはいっても、わずか三日くらいでは、すべてのミヤマキリシマ群落を見ることはできない。
 特に他の山々から見ても、赤く染まっていた三俣山(1745m)と、去年登ったった立中山(1468m)に行くことができなかったのは、心残りではある。


 6時半、牧ノ戸峠にクルマを停めて、二日前と同じ道を、心もち急ぎ足で歩いて行く、一番目の目的の山、久住山(1787m)の登りにかかるころは、もう先に誰もいなくなった。
 快晴の空が広がっていて、人影もないし、久住山の山腹は赤く染まっているし、言うことはなかった。頂上で雲海の上の、祖母・傾や阿蘇山の写真を撮って、一休みした後、尾根を東に向かう。
 その久住の東の肩の南面、やはりここも、初めて見るほどにびっしりと花が咲いている。残念なことには、もうその南面からガス(霧)が吹きあがってきていた。
 次の稲星山(1774m)から白口岳(1730m)辺りまでは、なんとか、雲の間に間に日も差していて、稲星の山頂付近の群落(写真)や、白口の頂上東斜面は期待通りの素晴らしさだった。
 その上、人に会ったのは、三人だけだった。道端のコケモモやマイヅルソウ、イワカガミの花を見ながら、白口岳に登り、その西端の岩棚の上で、正面に中岳(1791m)を見て、静かなひと時を過ごした。ウグイスとホトトギスの声が聞こえている。雲が空の大部分を覆っていたが、風も弱く、周りの山々も見えていた。
 次の中岳への登りでは、所々で群生しているミヤマキリシマが、その山腹を点々と彩(いろど)り、見事だったが、惜しむらくは、日がかげっていなければと思う。
 さらに天狗ヶ城(1760m)に登る。眼下に御池を望む南面と、頂上から続く北西面は、いつも通り以上の花の数だが、何といっても、日が差していないのが、残念だった。
 こんな曇り空で、これ以上、他の山に登っても仕方がない。縦走路をたどり、足早に、牧ノ戸峠に戻った。わずか6時間半ほどの山歩きだった。花は、明らかに盛りを過ぎていたが、それでも、まだ今が盛りの所もあって、十分に楽しむことができた。

 多くの小さな山々からなる九重山は、それほど標高が高くないのに、火山の山容が形づくる、高山性の雰囲気が素晴らしく、アプローチが簡単で、初夏のこのミヤマキリシマのころや、秋の紅葉の時期、そして冬の雪が降った後、などはもちろんのこと、いつ行っても、それなりの山歩きが楽しめるのだ。
 山に登った回数など数えてはいないが、この九重山群と北アルプス、そして北海道の大雪山と日高山脈が、私の最も多く登った山々である。このうち、どの一つの山群が欠けても、私の登山人生は成り立たなかったに違いない。
 しかし、日本一の山でもある富士山には、私はまだ登っていない。その昔、夜行寝台列車の車窓から、快晴の冬の朝、優雅な裾野を引いて聳(そび)え立つ富士山の姿を、初めて見た。
 田子の浦の海岸から、掛け値なしの3776mの標高で、せり上がる山・・・それは、私にとって、初めて見上げる高さだった。
 その後、長く住むことになった東京から、そして周りの山々から、私は、どれほど多く、この山を眺め続けたことだろう。だけれども、いつも畏敬(いけい)の念を持って見ていたその山に、あえて登りたいとは思わなかった。
 しかし、最近になって、その富士山に、もう登りに行っても良いのかもしれない、と思うようになってきた。それは、私の行く手に、何かが見えるようになってきたからだ・・・。


 『願わくば、人のいない春行かむ、冬の名残(なごり)の雪のあるころ』、と思ってはいるのだが・・・。」