ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(104)

2009-06-10 17:45:28 | Weblog

 

 6月10日

 昨日、梅雨入りしたとのことだが、今日は、昨夜からの雨が降り続いている。気温も16度までしか上がらず、梅雨寒むの気配。ワタシは、外にも出られず、殆ど一日を寝て過ごす。
 
 飼い主が戻ってきて、5日ほどになるが、そのうち2日間は、ワタシを家に置いたまま、どこかに出かけて、夕方になると、帰ってはきたのだが、それまでは、もう飼い主は、また北海道に行ったのではないのかと、やきもきして待っていた。
 夕方、クルマの音がして、飼い主が帰ってくると、ワタシはニャーニャー鳴いて、飼い主の車の傍に走り寄る。飼い主は、ワタシを「オーヨシヨシ」と、ムツゴローさん可愛がりをして、その後すぐに、夕食の二匹のアジコをくれる。
 今までの心配と空腹は、そのサカナを食べているときに、もうすっかり忘れてしまう。後は、飼い主の布団の、足元の所で、丸くなって寝るだけだ。
 終わり良ければ、すべて良しということだ。


 「北海道ではないから、さすがにストーヴをつけるほどではないが、それにしても、この温度では、靴下をはいて、長袖シャツを着込まないと、寒いほどだ。


 昨日は、一日、遠く離れた町まで行って、いろいろと仕事を済ませてきた。その前の日は、つまり梅雨入り直前の日だったのだが、九重の山に、ミヤマキリシマの花を見に行ってきた。
 いつも行っているのだが、毎年、微妙に、咲く時期も場所も違っている。去年、余り花をつけていなかった一帯が、今年は見事に花をつけている、ということなどよくあることだ。

 今回は、男池(おいけ)登山口からのコースにした。6時半、駐車場には、もう30台ほどのクルマが停まっている。しかし、九重山の山開きの日でもあった、昨日の日曜日には、おそらく、道のそばにも、長い駐車の列が続いていたことだろう。
 この男池からの登山道は、何といっても、新緑の、うっそうと茂る樹々の下を通って、歩いて行く道が素晴らしい。所々に、大きなブナの樹がそびえ立ち、見上げる青空から、枝葉を通して日が零(こぼ)れ落ちている。ミソサザイやオオルリの声が、鳴き渡り、初夏の山を感じさせる。
 中高年のグループを幾つも抜いて、大戸越えの鞍部に着く。見晴らしが一気に開けて、今年の花はどうだろうかと、見上げる。
 いつものように、平治岳(ひじだけ、1642m)の頂上部が薄赤紫色に染まっている。良かった。ただし、この辺りでは、もう花の盛りは過ぎようとしていて、色あせ、枯れたものもある。
 頂上へと、人々の姿が点々と続いている。九重の山々が、もっとも華やかに色どられるこの季節、ましてこの晴れの天気の日に、登山者たちで混雑するのは、当然のことなのだが。
 静かな山行を求めれば、一面の花というわけにはいかなくなるが、それなりに幾つかのコースはある(去年の6月11日、14日の項)。しかし、梅雨にかかるこの時期、わずかな晴れ間は、貴重である。どうしても、とりあえずはと、ベストの花の場所へと、足が向いてしまう。
 そうなのだ、九重では、この平治岳こそが、一番のミヤマキリシマ群生地であり、さらに南に連なる北大船(きただいせん、1706m)、大船山(だいせんざん、1787m)へと続く辺りや、そして牧ノ戸峠や赤川登山口からの扇ヶ鼻(1698m)周辺の群落も素晴らしい。

 ともかく、人々の後に連なり、急な道をたどって平治岳南峰に着く。なんといっても、ここから本峰(北峰)にかけての光景は何度見ても素晴らしい(写真)。さらに、鞍部の細い藪の道を通って、本峰に着く。そこからの西斜面は、まさに花に囲まれた大庭園である。
 眺めを満喫した後、再び大戸越えに戻り、今度は北大船を目指して登り返す。途中、楽しみにしていたオオヤマレンゲの花は、まだ開いてはjなかった。
 山腹の急な登りが終わると、ミヤマキリシマの続く段原火口の尾根に上がり、行く手には大船山の山頂部が見えている。こちらの花も、少し盛りを過ぎようとしていたが、十分にきれいだった。
 人々でにぎわう鞍部から、米窪火口の方へと向かい、そこでようやく一人きりになれた。しかしもう、大船山の上には雲が広がっている。
 その先で、黒岳へと向かう道と分かれて、ひどい藪道をたどって、大戸越えに戻る。途中、嬉しかったのは、小さなクサボケの赤い花を数輪、見かけたことだ。
 
 今回の、往復7時間余りの山歩きでは、静かな山を楽しむことはできなかったが、今年もまた、青空の下で、満開のミヤマキリシマの花々を見ることができて、それだけで、もう十分だといえるだろう。
 しかし、季節がめぐり来るように、毎年、繰り返し続けることと、新しき、未知なる所へと、足を踏み出すこと、年齢を重ねても、そのふたつのことを、心しておかなければと思う。
 通いなれた道と、知らない道、どちらを選ぶのか・・・それは、私の心の有り様を映(うつ)しだす、鏡なのかもしれない。」


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