10月24日
拝啓 ミャオ様
朝の気温は、3度だったが、終日快晴の天気で、風もなく、日中14度という気温以上に、暖かい一日だった。日高山脈には、少し雲もかかり、大気がゆるんで、霞んで見えていた。
昨日、街に出かけて、コインランドリーで洗濯してきたものを、日向に干す。昼過ぎになって、それを、取り込むときには、暖かいお日様の匂いがする。小さな幸せだ。
家の回りの、林の木々の紅葉は、もう盛りを過ぎようとしている。全体的に見れば、夏の天候不順の影響からか、去年ほどの鮮やかさはなかったのだが、なぜか唯一、林のはずれの所に一本立っている、ヤマモミジだけは、そこにだけ別物があるように、鮮やかな色だった(写真)。
山の上の紅葉も、年ごとに違うけれども、日によって、場所によって、木々によって、微妙に異なるし、今年の紅葉は、と聞かれて、返答に困る時もある。いつもの無難な答えは、「まあまあです。」ということなのだろうが、人それぞれの印象は、ことほどさようにままならぬものだ。
一昨日の夜、いつもは10時頃には寝てしまうのだが、たまたま本を読んでいて11時近くになってしまった。そこで、そういえば、オリオン座流星群が見えるとか、テレビニュースでいっていたのを思い出し、外に出てみることにした。
もう一桁の気温になっていて、スキー用の上下服を着て外に出た。真っ暗闇で、遠くの家の明かりと、遠くの道を走るクルマのライトが見えるだけだった。
目をならすために、ハンドライトを消して、歩き出した。目がなれてくると、星明りだけでも歩いていける。隣の牧草地の広がりの上、東の空に、一際大きく、左に傾いて、オリオン座が見えていた。
なんという、雄大な、星空だろう。オリオン座の上には、おうし座があり、プレアデス星団(すばる)の星の集まりが見える。天頂にかけて、ぎょしゃ座のカペラやペルセウス座の星が明るい。そして、カシオペア座があり、西の方に流れる天の川の中には、ハクチョウ座の姿も見える。
自分の手元を照らすだけの、灯りしかなかった時代、長い夜の間、人々は、夜空を眺めては、星々に憧れ、月の光を讃えていたのだ。今の時代、夜もなお満ち溢れた光の中、作り上げられたおぞましき昼の時間を、むさぼり楽しむ人々、そんな我々の時代からは、もう遠く隔たった昔のこと。そして、そこに生きていた人々が残した、歌や詩、散文の数々の中から、一つの歌を、思い出してみよう。
天(あめ)の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕(こ)ぎ隠る見ゆ
(柿本朝臣人麻呂、『万葉集』1068、角川文庫『万葉集』上巻より)
この歌は、『万葉集』の巻第七の冒頭に載せられた名歌であり、先日、NHKのBSや教育TVの「日めくり万葉集」でも、放送されていて、嬉しく思った。新月の頃の夜空の情景を、見事に歌い上げたこの一首に、古(いにしえ)の人々の思いが今も伝わってくる。
生きることとは、こうした場面に出会うことだよと・・・。
私は、これから、北アルプスの山々に登るべく、ひとり旅立つ。限りある日々の中で、自分だけの情景に出会うために。それは、また天気しだいの、危険と隣り合わせの山旅でもあるのだが。
ミャオ、分かってくれるね、私がどうしてもやらなければならないこと。それはたとえていえば、オマエが、私が帰ってきてからもらう、あの生ザカナみたいなものなのだ。
母が元気だった頃、時間前から、ニャオニャオ鳴いてせがんでいたミャオに、少し文句を言いながら魚をやっていたが、その時に、夢中で声をあげながら食べているオマエを見て、母がいつも言っていた。
「全く、オマエにとっての、たった一つの生きがいなんだから。」
考えてみれば、私の山登りも、オマエのサカナとたいした変わりはないのかもしれない。
林の中の紅葉は盛りを過ぎ、もうその周りのカラマツの黄葉が始まっている。時折、風が吹くと、サラサラとカラマツの葉が落ちてくる。
林の向こうに、日が沈んでいく。いつしか、寒さが、忍び寄る。雪に被われた山々のことを思う・・・。
飼い主より 敬具