ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(81)

2009-10-02 17:29:35 | Weblog
 

10月2日
 拝啓 ミャオ様

 一昨日、昨日と、快晴の日が続いた。家からも、日高山脈全山の姿が見えて、絶好の山登り日和だった。しかし、結果的には、午後になると、山側に雲が広がり、雲ひとつない終日快晴の天気、とはいかなかったのだが。
 それでも、前日の天気予報で、北海道中がお天気マーク一色になっていれば、どうしても山に行きたくなる。あの大雪山の山の上の紅葉は、もうとっくに終わり(9月20日、22日の項)、今では、紅葉前線は北海道の山々の、1000m以下のあたりにまで、降りてきているだろう。

 そこで久しぶりに、日高山脈の山に登ることにした。前回の、あの残雪のカムイ岳・1780m峰(5月17,19,21日の項)に行って以来だから、今年は、まだ三度目にしかならない。
 しばらく前までは、一年の登山のうちの、半分以上は、日高の山だったのに、近年、自らの気力、体力の衰えを自覚するようになってから、少し足が遠のきがちになっている。目の前に見える山々なのに。
 それは、もう日高のめぼしい山々を登りつくしたから、などという不遜(ふそん)な思いからではない。山や自然は、いかに繰り返し登ろうが、幾たび分け入って行こうが、決してすべてを知り尽くしたことにはならないからだ。
 われわれがたどる道筋に、どれほど様々なコースがあるにせよ、所詮(しょせん)は、ただの線の連なりに過ぎない。広大な面積の山や自然からいえば、例えば草原があって、その中の草の何本かをた見た位にしかならないということだ。
 まして、四季折々に、さらに日ごとに姿を変える山や自然については、完全に知り尽くすことなど不可能なことだ。それは、私が日高の山では、一番よく登っている十勝幌尻岳(とかちぽろしりだけ、1846m)についてもいえることだ。真冬を除く季節に、四つのルートから、恐らく十数回は登っている山なのだが、この山のすべてを知っているなどとはいえない。ただ数多く登っているだけのことなのだ。
 この十勝幌尻岳について、もし人から尋ねられれば、私は、「天気の良い日に行けば、素晴らしい展望の山です」とだけしか答えられない。他の細かいことは、あくまでもその時々の個人的な経験に過ぎず、このブログに山のことを書く時のように、私の、その日時での、単なる記録にしか過ぎないからだ。


 今回、登ることにしたオムシャヌプリ(1379m)は、ルートを変えて、今までに三回登っている。前回は、4年前のまだ雪深い4月に、南西尾根をたどって、頂上を往復した。
 しっかりした固雪になる前の雪だから、足を取られながら登り、さらに下りでは、行きには見なかった、冬眠明けらしい真新しいクマの足跡に、身がすくむ思いがしたものだった。それでも、頂上にたどり着き、そこから眺めた、青空の下の、雪に被われた山々の姿は素晴らしかった。
 オムシャヌプリという名前は、北海道の殆どの山の名前がそうであるように、アイヌの言葉からきている。ただし、北海道の山の多くは、初めから、山の名前として、アイヌの人たちによって名づけられていた訳ではない。後に入ってきた和人(わじん)たちが、それまでに、アイヌの人たちが、必要上つけていた川や、沢の名前からとって、その源流にある山の名前として名づけたものである。
 アイヌの人たちが、直接に山の名前としてつけたものは、彼らの狩や収穫などの、日々の暮らしや旅行のために、目立つ道しるべ(ランドマーク)になったものだけである。
 確かに、それらのすべてが、立派な山ばかりであり、そして美しい響きの名前を持っている。ポロシリ(大きな山)、カムイヌプリ(神様、あるいはクマのいる山)、ピリカヌプリ(美しい山)等である。
 そんな数少ない、アイヌの人たちによって名前をつけられた、山の一つが、このオムシャヌプリなのだ。意味は、双子(ふたご)の山ということだが、殆ど同じ高さの東峰(1363m)と、西峰(1379m)が競い並んでいて、その理由が分かる。
 しかし、この山については、事実はそう簡単ではない。日高南部のこの辺りには、同じような高さの、同じようなピラミダルな形をした山が、幾つも並んでいるからだ。すぐ北にある野塚岳(1353m)も、殆ど同じ形の東西峰に分かれている。
 さらに、南側に続く、南日高の名山、十勝岳(大雪山から続く十勝岳連峰の盟主、十勝岳とは別の日高山脈の山、1457m)と楽古岳(1472m)の二つの山も、かつては、いわゆる双子山と呼ばれていたという。

 ちなみに、双耳峰(そうじほう)として、有名なのは、信越の雨飾山(あまかざりやま)や北アルプスの鹿島槍ヶ岳(かしまやりがたけ)、それに九州の由布岳(ゆふだけ)などであるが、いずれも名山と呼ばれるのにふさわしい、個性的な山だ。


 ところで、このオムシャヌプリには、登山道はない。つまり、冬から春にかけての雪がある時期の縦走や、下から尾根に取り付いて登るか、あるいは、春から秋にかけて、沢登りで行くかしかない。
 沢登りのコースは、四つほどある。十勝側、広尾の野塚川をさかのぼり、左股から東峰に上がるものと、その右股からその東西峰のコル、オムシャ平に達するもの。日高側からは、国道の天馬街道(てんまかいどう)は野塚トンネル手前の、湧き水公園の所から、ニオベツ川の右股、上二股(かみふたまた)の沢(十勝岳へのルートでもある)へと分かれるすぐ上の所から入って、北東へと向かう沢をつめていくもの、そして上二股の沢の林道跡をしばらくたどって、左に涸れ沢をつめてコルに上がるものである。
 一番楽なのは、最後の涸れ沢のコースである。水の少ない時で、最初の本流の、三度ほどの渡渉をうまくしのげれば、登山靴でも登れるだろう。つまり沢登りと言っても、ごく初心者的な沢である。
 
 今回は、無理をしないように、その一番楽なコースをとることにした。とは言っても、恐らく誰もいないだろう沢に一人で行って、怪我をしたりして歩けなくなったら、もうその時点で遭難ということになりかねない。つまり、ケイタイなど持って行っても、見通しのきく山頂以外は圏外だし、次の登山者が登ってくるかどうかも分からない山なのだ。
 しかし心配すればキリがない。今まで、ずっとそんな山にばかり、ひとりで登ってきたのだから、いまさら急に怖気(おじけ)づくことでもない。この沢は、二度通っているし、天気の良い日に、無理をしないでゆっくりと登れば、ひとりでも危険なことはないはずだ。

 
 さて少しゆっくりめに家を出て、天馬街道を走り、湧き水公園の傍にクルマを停めて、午前7時に出発する。流れを渡り、上二股の沢の林道跡をたどって行く。この紅葉が始まったばかりの、ヤマブドウやコクワの実る川沿いの林は、ヒグマのエサ場にもなるだろう。特に、霧のかかる朝早くや、夕方などは気をつけたいところだ。
 ましてひとりだからと、鈴をつけて歩いて行く。去年、あの剣山でヒグマと出会った時のことは(11月14日の項)、今でも頭から離れることはなく、それまでの、私の山慣れした態度への大きな反省点ともなったのだ。北海道の山では、ヒグマに気をつけることだ、当然のことながら。

 さて、林道跡が終わり、本流をさらに渡り返して(写真は、その分岐付近の本流の流れ)、そこから左に分かれる涸れ沢に入る。もう少し先まで行って、林の中をたどる踏み跡もあるのだが、確かに岩だらけの、涸れた沢をたどるのは面白くはない。
 しかしやがて、伏流の部分は終わり、再び水の流れる音がして、沢らしくなってくる。岩をたどっても行けるのだが、むしろ流れる水に足をつけて歩いた方が、気持ちが良い。しばらく登った所で、一休みする。標高は、まだ700m余りの所だ。
 この沢のV字に切り取られた景色の向こうに、まばらに紅葉した十勝岳の西尾根が続いている。あの長い尾根を、雪の時期に歩いたことを思い出した。今、その上には青空が広がっている。そしてただ、沢水の流れる音だけが聞こえていた。(次回へと続く・・・。)
 
 ミャオ、オマエの毎日も、私以上に、冒険だろうとは思うけれど、しっかりがんばっておくれ。

                         飼い主より 敬具