ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(84)

2009-10-11 16:46:48 | Weblog



10月11日
 拝啓 ミャオ様

 昨日の朝、台風の後の青空が広がり、新雪に被われた日高山脈の山々の姿が見えた(写真、左から、ヤオロマップ岳、コイカクシュサツナイ岳、1826m峰、カムイエクウチカウシ山、1903m峰)。気温2度、初霜がおり、日高山脈の初冠雪の日でもあった。いずれも平年よりは、遅い。
 大雪山の初冠雪が、すでに1ヶ月も前であったことを思うと、今年の日高山脈の雪は、いつになるのだろうかと思っていた所、一気に、標高1000m付近にまで雪が積もったのだ。
 台風が外れて、たいした風も吹かなくて良かったのだが、その台風が南側にそれたために、南からの生暖かい風ではなく、北からの冷たい風が流れ込み、高い山では雪になったのだろう。
 北海道内の国道の高い峠でも、雪になり、十勝から大雪山へと抜ける三国峠(1140m)では、14cmもの積雪があり、除雪車も出たとのことだ。

 こんな時こそ、山に行きたかった。しかし、天気予報では午後は良くなかったし、その上に油断していて、クルマのタイヤは夏タイヤのままだった。(私は、その日のうちに、街に出かけて行って、スタッドレスの冬タイヤにかえてもらったのだが、あくまでも峠越えをする人たちだけで、一般的に皆が冬タイヤに交換するのは、平地に初雪が降る11月頃のことだ。)
 
 さらに、その日は、これも平年よりはずっと遅く、この秋の、我が家での薪(まき)ストーヴの火入れ、初日の日でもあった。それまでは、少しガマンして、部屋の電気コタツを、朝夕ほんの少しの時間だけつけていただけだったが、さすがに、居間の気温が15度を下回ると、薪ストーヴの出番になる。
 薪に火をつけて、しばらくすると、今までの冷たい部屋の空気が変わってくる。鋳物(いもの)製ストーヴの暖かさが、ゆっくりと、吹き抜けになっている居間の空間、全体を暖めてくれる。この薪(まき)ストーヴがある限り、ここで生きていくことはできるし、冬の季節も、また楽しいものになるのだ。

 そのためには、必要な煙突掃除を、今年は暖かい秋だったので、すっかり忘れていて、掃除したのは、つい三日前のことだった。居間の吹き抜けの壁面に沿って、4mほどの長さで立ち上がらせている煙突を取り外して、掃除するのは一苦労だ。ハシゴをかけて登るので危険だし、どうしても取り外す時に、ススなどがこぼれ落ちてしまう。
 
 そして、その外した煙突は、外で掃除することになるのだが、何しろ、前回書いたように、燃やす薪がストーヴには良くないとされる、針葉樹のカラマツだから、面倒なことになる。
 カラマツは、マツヤニ成分を多量に含み、燃やすとススが出て、さらにタールも出てくる。このタールが、冷やされて、煙突内部にこびりつくことになる。まるで黒曜石(こくようせき)のような固いタールで、その厚さは、2cmほどにもなるくらいだから、これをはがすのは大変だ。びっしりと薄くこびりついたものは、取れないから、そのままにしておくしかない。冬にもここにいる時は、真冬の間に、もう一、二度は掃除しなければならない。

 そんな手間をかけないようにするのは、実は、そう難しいことではない。つまり、薪を広葉樹のものに換え、さらに煙突も、断熱材入りの二重になったものに換えるか、あるいは、掃除のしやすい、そしてサンタクロースの出入りがしやすい、しっかりとしたレンガ造りの煙突にすれば良いだけのことだ。
 もちろんいずれにしても、結構なお金がかかる。つまり、この薪ストーヴと煙突は、いかにも小汚いこの丸太小屋と、そこに住むオヤジ、不肖(ふしょう)、私、鬼瓦熊三(おにがわらくまぞう)にとっては、まあ、分相応に似つかわしいものだと言えるのだが・・・。

 考えてみれば、林の中での伐採(ばっさい)作業からはじまって、運搬、切断、薪割り、煙突掃除と、猫の手も借りたいくらいなのに、ミャオが手伝ってくれるはずもなく(北海道につれてきたところで)、このまま、ひとり年老いて、じいさんになり、薪運びもできずに、ヨイヨイになっても、近所の人は、ああまた、鬼瓦のじいさんが猫踊りをしているくらいにしか思ってくれないだろうし、薪がなくなり仕方ないから、家の中の丸太の仕切りの壁をノコギリで切る、その音が夜更けに響いて、ガラス戸には、じいさんの影が・・・ああ、思うだに恐ろしい、自分の将来の姿。

 いかん、それではいかんと、自ら首を振る。もっと日ごろから、健康に留意して、山登りと家の仕事だけではなく、常に体を動かして、脱メタボを図らねばと思う。
 かといって、長年ぐうたらに過ごしてきた日常生活が、急に改められるわけでもない。哀しいかな、人は、後に危険が迫って初めて、自分の残された時間を知るだけなのだ。まして一ヶ月前には、めまいがして倒れたというのに。

 そんな私だから、余計に思うのだ。「この世の名残(なごり)、夜も名残」(『曽根崎心中』より)にと、本州への遠征の山旅を計画しているわけであり、このところ、毎年、年に2回、夏山と初冬の山を見に出かけている。
 今年の夏は、あの白山(7月31日、8月2日、4日の項)であり、そしてこの秋には、世評に高い北アルプスの穂高連峰は涸沢(からさわ)、さらには槍沢(やりさわ)の紅葉を見に行くべく計画していた。
 しかし、行くことができなかった。今年の涸沢の紅葉は、いつもより早く、二ヶ月前に購入した安い航空券での一週間の予定と、ずれた上に、例の台風までやってきたのだ。泣く泣く、半額の解約料を払い、キャンセルした。
 しかし、あきらめないぞ。それならば、いつものように、初冬の雪の北アルプスを見に行こう。去年の常念岳から蝶ヶ岳(11月1日、3日の項)、その前の年の、立山から剣御前への思い出がよみがえってくる。

 そんなことを考えていると、ストーヴの薪のことや、自分のぐうたら生活の反省など、どうでもよく思えてきた。人は、走り出している時には、目の前に下げられたニンジンだけしか見えないものだ。
 もちろんそれは、自分の好きなことだけをやるというような、刹那(せつな)主義に陥っているわけでなく、まして、あのギリシアのエピキュロス学派の唱えるような、今を生きるために、神を恐れず、死を恐れず、生を楽しめ(一部理解できるものの)、というような快楽主義に走っているわけでもない。
 その反対に、むしろひとりであるがゆえに、『方丈記』や『徒然草』などに書かれているような、日本的な無常観の世界、達観の境地にこそ、多分に心惹(ひ)かれるものがあるくらいなのだから。


 思うに、人はいつもこうした相反する二つの世界に、心揺れ動いて、生きているのではないのだろうか。そうして生き続けていくことで、いつかは、何かが見えてくるかもしれない、と信じながら・・・。

 「人は年をとるにつれて、いっそう物狂おしくなり、またいっそう賢明になる。」
 『ラ・ロシュフコー 箴言(しんげん)集』 二宮フサ訳 岩波文庫より

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