ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(31)

2008-03-11 19:08:39 | Weblog
3月11日 昨日からすっかり春めいてきた。今日の気温は17度と、サクラの咲く頃の感じだ。ウメやツバキの花が咲き、足元にはナズナやオオイヌノフグリの小さな花も見える。
 そしてあちこちに開いているフキノトウは、酢味噌和えにして、熱いご飯の上に乗せて食べるとたまらん、と飼い主が言っていた。全く人間の食べるものは分からない。
 昨日の夕方の散歩のときに、飼い主がなにやらつぶやくように、小声で歌っていた。「春になればーしがこ(氷)もとけてーどじょっこなど、ふなっこなど、夜が明けたとおもんべなー」。例の森繁久弥(古いなあ)調のすこしなまった歌い方だった。
 毎日、雪が吹きつけてくる重たい色の空ばかりを見上げていた、北国の人たちにとって、春の訪れは、まさに暗い冬からの夜明けなのだろう。暖かいといわれる九州の山の中にいるワタシでさえ、その気持ちは良く分かる。
 冬の間、一日中、仲良しだったストーヴとは、もう朝の間だけの付き合いになった。地球環境を考えてとか言いながら、ケチな飼い主は、なにかにつけてすぐにストーヴを消してしまうのだ。
 ワタシがベランダで寝て、大あくびをしていると、それを見た飼い主がニヤニヤ笑いながら言った。
 「おいミャオ、オマエこの所、夜外に出かける時間が急に多くなったな。冬の間、トイレぐらいにしか出なかったのに。夜の集会なら、一度で終わるのだろうが、オマエは二度三度と出入りしているな。ひょっとして、この前のあのネコちゃんでないだろうな。
 ほれ、十日ほど前に、散歩していた時に出会ったネコちゃんよ。むこうは先にオマエに気づいて、低い姿勢で歩いてきて腹ばいのまま止まった。そしてオマエをじっと見ていたのに、少し先にいたオマエは気づかない。
 そのネコは、オレが傍にいるのに恐れるふうではなかった。間違いなく飼い猫だ。オレは先にいたオマエを後ろから抱きかかえて、そのネコと対面させた。 
 いやー見ものだったな。オマエはそのネコを見て、ビクッと体を硬くしたが、逃げはしなかった。小さくうなりながら、そのネコと間を開けて並ぶかのように、ゆっくりと近づいた。それは見たこともないゆっくりとした動きだった。ほとんどスローモーションで見るような、まさに芸術的なまでの動作だった。
 無駄な争いを起こさないために、相手を刺激しないようにゆっくりと、しかし相手への興味はあるという、見事な動物としての動きだった。
 オレは、そうしてじっと並んでいるオマエたちの邪魔をしたくなかったので、その場を離れた。しかしオマエは程なく戻ってきた、何事もなかったかのように。
 それから二三日して、ベランダの下の方で、あの甘く呼びかけるようなネコの声。マイケルの声とは違う、もっと若く、少し優しい声、あの時のネコちゃんだ。オマエはベランダの上から鳴き交わし、その後、走って逃げたそのネコを追いかけるように、ついて行った。
 オレはネットの猫図鑑で調べたんだが、どうもメインクーンではなくノルウェージアン・フォレスト・キャットらしい。大きくはなかったが、毛足の長いキレイなネコちゃんだった。まったくオマエの好みは、欧米か。」
 と、勝手に飼い主がほざいているが、自分がモテないものだから、ワタシのことばかりハナシのたねにして、ほんにすかんたこ、きゅうちゃん。