ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシの飼い主(9)

2008-03-07 17:56:11 | Weblog
3月7日 昨日、-6度と冷え込んだ朝、ワタシがストーヴの前で寝ていると、飼い主がやってきて、ストーヴの炎をガタンと消して、ワタシの耳元で何事かをささやいて、出かけていった。
 朝早くから、またバタバタと動き回っていたから、例の赤鼻のトナカイの山に行くのだろう。ワタシは小さくニャーと鳴いただけで、横になったまま寝ていた。
 おばあさんが一緒にいた頃は、このバカ息子が山に行くたびに、「気をつけてね」と声をかけられていたが、ワタシはまたかと思うだけで、何も言ってはやらない。飼い主は、おばあさんが生きているときは、うるさいと思うこともあっただろうが、いなくなって初めて、本当の親のありがたみが分かるものなのだ。
 ワタシだってトシなんだから、いつ死ぬか分からない。今のうち、しっかりネコ可愛がりしておくべきではないか。たとえば、夕方、アジの一匹を少し早めに催促したぐらいで、ワタシを叱らないで、ハイハイ、分かりましたおネコさま、すぐにおサカナを用意します、ぐらいのことは言えないのか。どこか外に出かけて、夕暮れ時になって、ましてもう夜になって帰ってくるなんて、そんなことはあってはならないことだ。
 以後、注意するようにと、言いたかったが、クルマの音がして、飼い主は出かけていった。その山の話は、飼い主が戻ってきて話してくれた。
 「今日は、由布岳に登ってきた。登山口の駐車場には、他に車が一台だけ。昨日、おとといと雪が降った後だけに、それを目当てに来て、人が少ないのはありがたい。
 5~10cm位の雪が積もった登山道には、昨日のものらしい足跡が一つだけ。それも途中まで登っていった所で、あきらめて戻ってきたらしく、あとは新雪の上に残されたウサギやキツネたちの足跡だけだ。
 しかし、そんなふかふかの新雪の上に自分の足跡をつけて登っていくのはいい気分だ。雪山ではこうありたいものだが、しかし30cm、50cm、そしてそれ以上もの深い雪になってくると、そんなことは言っていられない。自分がラッセル車になっての、辛い苦しい登りになるからだ。
 マタエと呼ばれる東西二峰の分岐に向かっての登りでは、雪も20cm位になり、さすがにきつかったが、周りの霧氷、樹氷が青空に映えてきれいだった。
 マタエから西峰そしてぐるりと回って東峰のつもりだったが、上空には西側からの雲が流れてきていた。仕方がない。そのまま東峰へと登る。風も強く、所々アイスバーンの急坂はアイゼンをつけたい所だが、注意すれば登れないこともない。
 そして樹氷に縁取られた頂上から、九重、祖母・傾、鶴見、高崎山から別府湾の眺めを楽しむ。30分ほどいて下りていくと、登ってくる人たちに次々に会う。登山口に下りてくるまでに、十二三人。良かった、人のいないときで。その上、帰りの道は溶け出した雪で、グチャグチャだった。なんと天気はそのまま晴れて、先に行かなかったことで、少し悔しい思いをした。
 家に戻って、デジカメの映像をテレビに映し出して楽しむ。今までの小さなノート・パソコンから地デジ付きのデスク・トップに買い換えたばかり。それにしても地デジ画面の素晴らしさは、まさに驚天動地(きょうてんどうち)もので、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)の嬉しさで、ああ、生きてて良かった。」
 まあ、それはよござんしたね。その喜びのご相伴に預かって、ワタシにも、早めのサカナをいただけませんでしようかね。・・・と前足を互い違いに、スリスリ。果たして、その結果、いつもより20分早く、アジコ一匹がワタシの前に。コリャコリャと、山にでも何でもジャンジャン登っとくれ。